茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

ブログに文章を書く

今年の5月からブログを始めたばかりなので、僕なんかはまだまだひよっこひよっこ、新米でございます。ブログに対する熱い思いとか、ブログ哲学なんてものは毛頭持ち合わせてないわけなんですけど、ちょこっとブログについて思うところがあったので書いてみます。きっかけは、ライティングの本を読んでこれはいいなという表現があったから、ただそれだけ(笑)。

 

僕の場合は、何百人、何千人、何万人も読者がいるわけではないので、何かヘタを書いても取り返しはつきます。あまりに読者数の多い人は、その影響力が足枷となってしまい、書いて発表した後の結果を考慮せんといかんから、なかなか自由に筆を走らすことはできない思います。しかし、僕みたいに大した影響力のない人間の場合は、(さすがに倫理にもとることや反社会的なことは書かないですけど) 基本的に何を書いても自由!これが影響力のある人だとそうはいかんですね。例えば、昨今話題になっている統一教会について反対の意思表明を示せば、統一教会側の人間から激しいバッシングを受けるようになるわけですから、どうしても苦し紛れに「中立」と言わなきゃいけない。中立って何だよ(笑)?って僕みたいなひねくれ者は鼻で笑っちゃうけど、多分自分も同じ立場になったらどちらにも与しない立場をとるんだろうなぁ。オリラジの中田敦彦の動画を観ると、かなり大勢に配慮して発言をしてるんだなぁって思います。もうサブスク数が300万くらい突破してるのかな。あそこまでの影響力になると、何を言っても叩かれるし、誰かを傷付けてしまうから、限りなく特色のない意見しか言えなくなりますよね。それはもはや意見というのかわからんですが。自分の思っていることを言えないなら、発信する意味の半分くらい失っているような気もするけど。池上彰なんかも同じだと思うけど、やっぱり公正中立なんて、この言葉そのものがおかしいし、欺瞞でしかないからやめればいいのにねぇ。いっそ「俺はトランプ支持だぁ!」とか明確に言ってくれた方が清々しい(笑)。話がそれました。まぁ、とにかく、僕みたいな弱小ブログを書く場合は、そんなに過度に余計なところに配慮しなくてもよいというのがメリットですね。

しかしながら、読者数が少ないからと言って、全く読まれていないわけでもないのです。ものを書いて投稿すれば誰かの目には触れられています。これは実にありがたいことです。ブログを始めた当初なんて、誰か見てくれたと思ったら全部自分だったりしたもんですからね(笑)。こんな脈絡のない文を読んでくださるだけでありがたやありがたや。読んでくださる方が何かを得られるように工夫せんとあかんのですけど、これがどうして、なかなか、駄文が止まらない…!社会にとって有用なものが書けるようにならんといかんですな。今後の課題です。と言いながら、たぶん今後も意味のない駄文を書き続けると思います。このブログが有用性に走ったら書く気がなくなってしまうかもしれませんので(笑)!

ブログは準発表の場

僕にとっては、「めちゃくちゃ読まれているわけではないけど、確実に誰かの目に止まっている」というこの塩梅がものちょうどよいです!ここで、先に挙げた本の表現を借りると、僕にとってブログが準発表の場となっています。あー、スッキリ。この言葉を書きたかった(笑)。「準発表」っていう言い表し方がちょうどピッタリだったから、これを使いたかったのです。

きちっとした公的なものではないけど、かと言って完全なプライベートでもない。僕のブログはこの中間に位置しているとおもいます。公共性の高さによって、自我の発露具合が変わってくるなぁと思います。例えば、日記を例にとってみましょう。これは完全にプライベートなものです。(昔の人は公開を前提にしていたけど、現代人の日記についてです) この場合は、我しかないと言ってもいいんじゃないでしょうか。まぁ、人の性質にもよりますけど、割とネガティブめな人の場合、日記を書くとかなり暗ーいことばっかりになってしまうと思います(僕はそうでした)。日記の場合、想定読者が自分だけだから、色んなことを省いて書いたり、愚痴ばかり書いたり、とても見返すことのできない内容だったりします(みなさんもそうですよね??)。少なくとも、僕の場合は完全プライベートな日記は内容がかなりひどかったです。最近は意図的に矯正したのでまだマシになりましたけど、数年前の日記は読み返して吐き気がするレベル(笑)!

これがブログの場合はどうでしょう?少ないとは言え、「他人の目」が入るので、自分の汚いところがある程度和らげられます。簡単に言うと、ネガティブ度合いが少しだけ減る!他人の目があると、100%ネガティブなことを言うのってなかなか躊躇しますからね。もちろん、そうではない時もありますけど、全体的にみて、完全プライベートな文章よりもポジティブ傾向になります。「ちょっとだけ他人に見られる」っていう匙加減がよくって、これが大勢に見られる場合は、他人の目を気にし過ぎて、当たり障りのないことしか書けなくなるようなきがする。それはそれで、自分の思っている事との乖離ができてしまうからよろしくない気がする。

あと、テキトーなこと書いても怒られないってのも利点ですね。もし何万人も読者がいたら、文章を書く前にあれやこれや調べなくちゃいけないですし、文章を何度も推敲しなくちゃいかんですからね。このブログなんて、書いたら読み返さずにサブミットボタンをポチッと押しちゃってます(笑)。僕なんて書くことがコロコロ変わるから、矛盾しまくりですけど、そんな首尾一貫していない男でもなんか見過ごされるってのはありがたいです(笑)。これがTwitterとかだったら、うっかり変なことを発言してとんでもない炎上に発展するかもしれんてますけど、ブログの場合はそもそもここに人が辿り着かないという利点がありますね。利点なのか欠点なのか微妙なところかもしれませんけど。そして、Twitterと違ってダラダラ書けるのもいいですね。140字なんて「あー、今日も疲れたー」ってつぶやいていたら、あっちゅーまに消費してしまいますからねぇ。僕のような駄文書きにはブログはちょうどいいツールでございます。

ブログを書いていて気づいたこと

僕は文章が全く書けない人間で、それを克服するためにもブログを始めたのですが、訓練の甲斐もあって駄文をダラダラ書く能力だけは上がりました。残念ながら、論理的な文章や、意味のある構造的な文章はダラダラ書いているだけでは書けるようになりませんね。こればっかりはは仕方がない。もしちゃんとしたものを書けるようになりたいなら、意図的な訓練をせんといかんですけど、意識低い系なのでそんなに志が高くない!

無意味にダラダラ書く能力はついてきたのですが、じゃあ文章を書くのが好きかどうかときかれると、正確には文章を書くのが好きなんじゃなくて、空白を埋めるのが好きなだけかもしれない(笑)。文章以外でも、何かチマチマやって空いていることろを何かで埋まることは大好きです。ペンキ塗りとかも好きです。地味な作業が好きなのです。そして、作業が終わってその成果物をみると「あー!今日も無駄なことしてやったぁ!!」っていう達成感があっていいんですよねぇ。ブログの場合だと、画面が黒くなっているのが好き。たぶん、読み易いかどうかよりも、文字が詰まっているかどうかの方が自分にとっては大切かも。読みやすさを強調される昨今では完全にアウトなやつですね。いやー、面白い文章を読みやすく書ける人が羨ましい!そうこうしていたらまた書きすぎてしまったのでこの辺で切り上げます。

ここまで我慢をスクロールして下さった方、ありがとうございます!そして全て読破された方、今時珍しいなんて奇特な方でしょう。ありがたい限りでございます。誰に頼まれるわけでもなくこれからも悪筆乱文を垂れ流していきますのでどうかお付き合いをば。

ベイビーのバナナモグモグ寝

最近はうちの次男のバナナネタを頻発しているような気がしていますが、そんなのはお構いなしにまた書きたいと思います。ただ単に僕が個人的に面白かったっていうだけなんですけど、「これを誰かに共有しないといかん!」という謎の義務感がどこからともなくわいてきましたので、頼まれもしないのに勝手にアップします。このブログの長所(?)は全く意味のないことをひたすら投稿していくということですから、今日も無駄に投稿していきましょう。他人に強制される無意味なことは耐え難いけど、自ら進んで行う無駄はいいもんです。有名な "最悪な刑罰" に「ただ穴を掘って埋める」といのがありますね。受刑者に何の意味もない穴を掘らせて、掘ったらその穴を埋めさせるっていうやつ。毎日毎日意味のない作業を続けさせると人間は発狂するとかしないとか。このブログだって、誰かに強制されたら絶対に書けないです。だってなんのためにこんな意味のない文章を書かなきゃいけないんだ!ってなりますからね。でも、これが自発的だと話は変わってきますね。無駄だからいい(笑)。よく言われる「みんなの役にやつ情報を発信しましょう」なんてクソくらえでい!ではでは、今日の無駄投稿です:

今日も二刀流でバナナを貪るベイビーです。

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とうもろこしのように横からカブッと噛み付いたりします🌽

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自分の方に入る量なんてお構いなしです。入れたいだけ口に突っ込む!今日もワイルドな食べ方です。

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そして、食べるだけ食べたらスヤーっと寝てしまいます。安らかに天に召されていきましたとさ(笑)。なんなんだ、この安らかな寝顔は!

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食べながらかなり睡魔と闘っていたようですが、なんとかバナナを食べ切ってから眠りに就きました。これがおっさんだったら、ただのだらしない奴って言われますけど、赤ちゃんは何をやっても可愛いって言われるからいいなぁ!!

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しかも親が布団まで運んでくれるんですよ。どんなご身分よ!何があっても親がなんでもしてくれるし、嫌われることはないし、ああ、僕も赤ちゃんになりたいなぁ(笑)。この前なんか僕はこのベイビーのウンウンを手でつかみましたけど(トイレットペーパーで巻いてね)、これが他人のウンチだったら絶対に触らないですよ。そこまでしてもらえるってのは、ベイビーちゃんの特権ですね。

「赤ちゃんになりたい」っていったけど、そもそも自分がちゃんとした大人になれているかというと、これがまた結構微妙な感じがするなぁ。昔思い描いていた30代ってのは、もっときちんと責任感もあって大人な感じがしていました。その時のイメージと比べると、今の自分はまだ中二の時と変わっていないような気すらします。中二のころの僕が今の自分をみたらびっくりするかもしれませんね。「こいつ、全然成長していない・・・!」って。昔、小説家の石田衣良がテレビで中学生におんなじ様なことを話していて、何故かそれがものすごく印象的だったんで今でも覚えています。中学生に対して「君たちは30歳とか40歳の人たちをすごく大人だと思っているかもしれないけど、なってみると中学生のころとそんなに変わらないよ」みたいなことを言っていました。今自分は40目前ですけど、いやぁ、まさにその通りだなと思います。頭の回転に関してはたぶん中学高校の時の方が早かったでしょうから、単に劣化しているだけかもしれんですね。なんて残念なんだ(笑)。

よく、子供が生まれると変わるとは言いますけど、僕の場合は他人様ほど成長していないような気がしますね。ちょっと言い訳をさせてもらうと、そもそも男ってやつは子供が生まれてもそんなに劇的に変わらんのですよ。女性と違って、肉体的な変化は加齢を除いて一切ないわけですから、女性が出産に向けて母親になっていくのに対して、男性の場合は子供が生まれてから父親になっていくので、そもそものスタートが違うんです。はい、すみません、ただの言い訳でございます。昨今は科学技術の進歩が目覚ましいので、パートナーの妊娠に合わせて男性の方もホルモンとかが同期するようなシステムができたら、男も出産の大変さがわかるかもしれませんね。妻のつわりを男性も同時に体験してみたりとかね。誰が得するんだかわかりませんけど。

精神と肉体は連携しているので女性の方が出産を通して母親になりますが、男性は意識的に学んでいかないと父親にはなれないというわけですね。じゃぁ、もっと意識的に父親になれよといわれたら「はい、おっしゃる通りです」としか言い返せません。男の体の中にも父親になるプログラムが組み込まれていればいいんですけど、うーん、僕の経験ではそんなものは人間の体の中には組み込まれていないようですね。人間は、意図的に父親にならないとあかんようです。

こんなぐだぐだ書いていますけど、全然成長してないかというと、そういうわけでもなく、ちったぁ成長したかなと思うこともあります。子供が生まれる前は、めちゃくちゃ自暴自棄に生きていましたけど、子供が生まれてからは柄にもなく「子供たちに誇れないような生き方はしちゃいかん」という思いが芽生えてきたのは確かです。柄にもなくね!!これには自分自身びっくりです。浪人したり、大学に入ったり、辞めたり、また入ったりとものすごくクズな生き方をしていた人間がそういうふうに考えるようになるんですから、まぁ、少しは成長しているといってもいいでしょう。

神経症の人に多いと思いますけど、僕なんかはすごく自意識が強くて、それがせいで抑鬱に悩まされたりするわけですけど、「子供のために」と考えると多少意識が我の方に向かわなくなるので楽ですね。なるほど、子孫を残すというのは、我を弱めるという意味で人間の生存戦略になっているのかも。

ここまで書いて大槻ケンヂの「踊る赤ちゃん人間」っていう曲を思い出しました。現実社会でうまくやっていけない、大人になれない人間を皮肉ったような歌だったかなぁ。自分のことを歌られているようで複雑な気分になった曲だったなぁ。うちにはすでに赤ちゃんはおるので、ちゃんとまっとうな人間にならんとなぁ。

おやじになったら機嫌よくした方がいいよねぇ

実るほど頭を垂れる稲穂かな。歳をとったら、若い頃よりもむしろ謙虚にならんといかんですし、そしてここで強調したいのは、歳とったらより一層にこやかにしてろ!ってことでございます。「男性」というだけで、「怖さ」ポイント10加点、「不快ポイント」30加点されているので、我々男性陣は存在自体がもうマイナススタートなんだと思うんです。そんでもって、これに加齢が加わると、そのマイナスポイントはどんどんブーストされていきます。30代、40代になったら、何もしていなくても、ただ息吸ってるだけでも、なんか不快そうな、不機嫌そうな感じに見えるもんです。これはもう、そういう定めみたいなもんだから、どうしょーもないのかなと思います。男ってやつは、ただ存在しているだけで、煙たがれるんです。

だからこそ、歳を取ったら笑えよ!っていいたい。口角を上げろ!かなり努力をしてやっとこさ「普通」ですよ、我々おじさん連中は。常にご機嫌でいろといいたいけど、流石にそれは難しいので、少なくとも他人を不快にするような雰囲気は出すんじゃない!って。特に30代以降は表情が乏しい上に、今はみんなマスクしてるから、本当に不気味ですわねぇ。努力して不快指数を減らすべきだと思いやすよ。

ちょっと架空の話をしましょう。

 

とある架空の会社のできごとです。その会社のとある部署で、新しく契約社員を入れることになったそうです。すでにデスクは空きがなかったので、備品を別の場所を移動して、さらに他場所の人達もちょっとずつデスクを移動して、何とかその新人さんのための場所を確保したそうです。

問題は、その部署ではなくて、その隣の部署の課長さんだったそうです。問題の課長は、自分のところは人が足りないから人員を増やすように前々から訴えていたのに、人員が余っているはずの隣の部署に人が増やされた上に、デスクの移動までさせられてイライラしていたそうです。そんなイラついてるところに「まだ狭いんで、課長さんのキャビネット1つ減らしてもらえませんか?」なんて言われたので、その課長さんは桜島並みに怒り大爆発だったそうな。「ああ"!?? なんで俺がそんなことやんなきゃいけねぇんだよ?意味わかんねぇだろうがぁ!!」って散々喚き散らした挙げ句「わっかったよ!俺がどきゃいいんだろ!おめぇたちの言う通りにどかしてやるよ!!」て大声を張り上げて、これ見よがしにキャビネットの中から書類を取り出して、それを天高く持ち上げて、バチコーン!バチコーン!ってデスクの上に叩きつけていったとさ。わざとみんなにわかるように、自分の机の上を書類の山にして、「ほらよ!これでいいんだろ?」って、もうこいつはヤクザかと…  あまりにうるさかったので、違う部署の人からも「一体何があった?」ってきかれたみたい。

その課長さんは、朝イチからそんな感じでその日は終始荒れ狂っていたとかいないとか… 僕も40年近く生きておりますけど、まだまだ世の中には理解を超えたキ○ガイがいるもんだなぁと考えさせられますね。怒るのはわかりますけど、子供じゃないんだから露骨に感情を表して怒り散らしちゃいかんでしょうに。交渉ごととかで、揺さぶりをかけるためにあえて感情的になったり高圧的にしたりすることはあるかもしれんけど、この件はどうやらそういうのでもないらしい(笑)。単純にブチギレて感情の赴くままに暴れたってだけやん… 何なんでしょうね、歳の人ほどすぐにキレませんか?20代の若手社員がすぐにキレるってのは聞いたことがないですけど、課長部長クラスの人は風が吹いただけでキレますからねぇ。なんでみんなそんなにすぐに感情的になるのか意味不明ですよ。怒ることができるってのは、それだけちゃんとまじめに生きてる証拠でしょうからいいのかもしれんですけど、周りにいる人間からしたらマジ勘弁って話ですよね。

 

30代以降は、もう存在しているだけで周りをちょっと不快にするもんだから、最低限自分が周りにどういう影響を与えているかは考えないといかんです。「おれはパワハラなんかしてねぇよなぁ?ああ"??」なんてふうに恫喝まがいの口の聞き方をするのなんて言語道断ですよぉ。実際にあるから怖いけど。

常にご機嫌な状態でいることは中年男性の義務かもしれんね。まぁ、いつもご機嫌でいることは難しいけど、最低限俺の周りを不快にさせないでくれ!って思いますなぁ(笑)。周りを不快にさせるようなオーラを発するのはそれだけで悪ですよ。地獄に堕ちろ😇不機嫌どもめ(´∀`)!!

いかんいかん、そんな地獄がどうとか物騒なことを言ってはならんですな。でも、マナーとして機嫌よくしといた方がいいと思うんだけどなぁ。機嫌が良くなくても、機嫌が良く見せるような努力はほしいよねぇ。

コロナ対策でマスクをつけるよりも、我々おじさんが機嫌良くしていた方が周りの人の免疫力が上がって効果的だったりして。

今の若い人たちって、人当たりのよい人が多いから(というのが個人的な実感)、あと十年もしたら機嫌良くすることが社会人としてのマナーになるかもしれませんね。

やっぱりベビーゲートは不評でした

我が家の次男坊 (1) が歩きまくるようになって、縦横無尽に家の中を徘徊するもんですから、リビングと台所のあいだにベビーゲートを設置しました。ゲートをつける箇所の幅が微妙に広かったために、無駄な作業をやるはめになったんですけど、まぁなんとかガッシリとつけることができました。設置早々、次男坊じゃなくて長男 (5) がゲートを無駄にガンガン開けたり閉めたりしたんですけど、きゃつの乱暴な扱いにもびくともしません。しっかり取り付けておいてよかったと思うとどうじに、「お前の方が問題だったかよ!」ってちょっと思いました(笑)。5歳にもなればある程度知恵はつくもんだって思うじゃぁないですか。でも、そうでもないんですよねぇ。5歳になってもいまだ知能はお猿さんくらいですね。ゲートを両手で持って前後にガシガシ動かそうとする姿は猿そのものといってもいいかもしれんです(笑)。

ベイビーくん、異変に気付く

ゲートを発見した直後のベイビーくんはこんな感じでした(↓)。この時はまだ「何か見慣れないものがあるな」くらいの反応でした。

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しかし、しばらくしてベイビーもこのゲートがどういうものか理解し始めたようです。

なんか、おれだけ向こう側にいけなくない??

そう、自分だけこのゲートのせいで自分だけ今まで自由に出入りしていたところに行けないと気付いてしまったようです。気付いて以降は、なんとかゲートの向こう側に行こうと、ゲートの側でそれが開くのを待ち、ゲートが開いたときにその隙間から侵入を試みるというベイビーにしちゃぁなかなか手の込んだ犯行に及んでおったわけです。

何度やってもベイビーくんの犯行は失敗に終わるので次第に彼も動物園のゴリラばりにゲートを揺すって威嚇行動をして、それが効果ないと知るやいなや・・・

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切ない顔をして親の同情を誘うという作戦に切り替えてきました。
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そんな顔をされても開けませんけどね(笑)。ゲートの設置によってベイビーの台所への侵入は防げましたが、行動を制限されたベイビーはあらたな自由を探して冒険を始めました。これまでドアの存在に気づいていなかったのに、気付いてしまった…

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あ… ドアに手が届くようになってる…!!幸い、まだドアの開け方までは理解できていないようですが、時間の問題でしょう。知らん間に大きくなっていたのね。ちょっと前まで地べたを這いずり回っていたのに、いきなり二足歩行を始めて、そして高いところに手が届くようになってしまいました。テーブルの上にモノを置いても端っこの方だったら手が届いてしまうので、安全領域がどんどん狭まっています。しかも、椅子の上に登るという技まで覚え始めたのでこれまたたちが悪い。赤ちゃんとのいたちごっこは終わりませんな。結局子供の知能の発達を待たないとあかんですな。もうね、やっぱり赤ちゃんのいる部屋にはなんだかんだで何も置けないです。

WiFiルーターをプリンターの箱で隠していたんだですけど、引っ張り出してはなにやら悪さをしておりますよ。

最近、なんだかネットの接続状況が悪くなってきたのは、もしやベイビーの仕業だったのかしらん。赤ちゃんってのは、一番触って欲しくないところから触っていきますからねえ。相手の弱点を本能的に熟知しておりますよ。

おまけ

もともとうちの次男くんは結構よく食べる子だったんですけど、ここ最近更に食べる量が増えてきました。ご飯は茶碗1杯では足りないようで、おかずやバナナなどをあげても「まだまだ足りんぞコラぁ!」ってキレてきます(笑)。

例えば、バナナを半分だけ上げると下の写真みたいにもう半分を早く差し出すように要求してきます。

あと半分隠しとるのはわかっとるからはよ出せぇ

「当然出すんだろ?」ぐらいの勢いでやってきますので、ちょっとふてぶてしいですね。そして、念願のバナナをゲットすると・・・

両手にバナナを握っていないと落ち着かないようです。長男のときもこんなに食べたっけかなぁ・・・??

まぁ、よく食べてくれるのはいいことなんですけど、食べた分だけこれがまーたよく出すんですよ!快便児とあだ名をつけたいくらいホントによく出しますね。1日3回ウンチをひねり出してくれます。しかも、毎回それなりにデカイ(笑)。とはいっても、今の時代、大昔と違って紙おむつなので、ウンチの処理もそんなに大変なもんじゃありませんよ。布おむつ時代は、ウンチのついたおむつを洗濯しなきゃいけなかったので、そりゃあ大変だったでしょう。って、たかを括っておったんですけど、うちの息子は更に上を行ってくれました。

先日、妻とベイビーがお風呂に入っていたら、妻が「あなたー!助けてー!!」と大声で叫ぶ声が聞こえてきました。風呂場の事故は多いので、一体何事があったのかと、結構焦りながら風呂場に駆け付けました。すると、妻は慌てふためいていて、ベイビーは全裸のまな突っ立っていて、その後ろにめちゃくちゃでかいウンチが鎮座しておるではないですか。形的には、浅草のアサヒビールの本社ビルのところにあるあのウンチのオブジェそのものですよ。二人の安全に別条がないのはよかったですけど、おいおいおいおい、これは想定外の大事故じゃないか!!一体なんでそうなったんだ!?どうやら妻が自分の髪を流している隙にベイビーは封印を解き放ったようです。目を開けた瞬間に赤ちゃんの出したものとは思えないような巨大なウンチが目の前にあるもんですから、妻は大声で叫んだのでありました。そりゃ叫びたくもなるよねぇ。まぁ、たしかに、お風呂場で赤ちゃんがウンチを出しちゃうっていうのはたまに聞きますけど、にしてもこれはでかすぎです。僕は慌ててトイレットペーパーを持ってきて、うんちゃんが崩れないようにやおら握ったわけですけど、とっても握りがいのあるブツでございました。「マイクっかよっ!」てくらいの太さです。あの小さな体からどうやったらこんな恐ろしいものがひねり出されるのか不思議でしかたがないです。長男のときは、ウンチがでかすぎて何度もトイレが詰まりましたが、今度のベイビーくんでも同じ事件が多発しそうな予感がします。

今日も汚いネタですみません。子供のウンチネタというか事件は今後何度も起きるでしょう… トイレのしつけはホント大変ですからね。

赤ちゃんの進撃を食い止めるには柵しかない

我が家の1歳児のベイビーくんは歩けるようになってから、日に日に活発になって、その行動範囲が順調に拡張していっております。子供が成長してくれるのはいいことなんですけど、赤ちゃんって手当たり次第にとりあえず口に入れていくので、常に側にいて変なものを口に入れていないか監視しておくか、部屋の中を赤ちゃんが口に入れても問題ないものだけにしておくかのどちらかですね。ああ、ベイビープルーフな部屋が欲しい…

子供ができる前までは「ベビーサークルにいれておけばいいんじゃね?」って思ってた

そう、子供を実際に持つまでは、赤ちゃんなんてベビーサークルに入れておけばいいんでしょって思っておりました。たぶん、多くの人がそう思んじゃないかなって気がします。普通は「サークルの中におもちゃだけ入れておけばいいんでしょ?」って短絡的に考えちゃう。でも、これがなかなかうまくいかんのです。まだ赤ちゃんが自分が柵の中に入れられていないと理解していないうちは問題ないのですが、ちょと知恵がついてくつと、「なんでこんなとことに入れるんじゃ!はよ出せぇ!!」っていう感じでギャンギャン泣き出します。そもそもベビーサークルの中に入ってくれないという問題が発生するのです(笑)。少なくともうちの子供たちは、商品写真のように穏やかにベビーサークルの中に入っているときの方が少なかったんじゃないかなぁ(笑)。一体なんのために柵があるのやら。

ベビーサークルの第二の人生

ベビーサークルは、赤ちゃんを中に入れるためのものですが、そのうち赤ちゃんは柵の中に黙って入ってくれなくなってしまいます。じゃあ、ベビーサークルはもう不要かというと、そんなこともないんです。これはたぶん、うち以外の家庭でも同じことをしていると思うんですけど、ベビーサークルの中に赤ちゃんに触られたくないものを入れる。そう、使い方が逆転するんですね。赤ちゃんを檻の中に入れておくか、モノの方を檻の中に入れておくか。こういうふうになるって、実際に子供を持つまでわからんかったです。育ててみると、そうならざるを得ないんだけど、なんか「ああ、なるほどなぁ」っていう不思議な納得感がありました。何に納得したのか謎ですが。

うちの1歳児もいよいよ柵の中に入らなくなってきた

だましだまし息子をベビーサークルの中に入れていたんですけど、どうやら部屋中歩きたいみたいで、最近はおとなしく柵に入ってくれないのでもう限界だなぁって思っていました。そうはいっても、そのままベイビーくんを解き放ってしまうと、台所の方に入ってきてしまって危険なのでなんとかせねば!赤ちゃんって不思議なもんで、絶対に触って欲しくないやつから触っていくんですよねぇ、ゴミ箱とか。台所とリビング(的な部屋)の間に仕切りを設けにゃあかんなぁ、これは。でも、ベビーゲートを買うのに今まで躊躇しておりました。すごくどうしようもなくケチな話なんですけど、もうこれ以上ベビーゲートは買いたくないなぁって思っておりました。

これまでに4-5個はベビーゲートを買っている

これまでに4つか5つくらいベビーゲートを買っているので、もうこれ以上は買いたくないなっていうのが本音。でも、なんでそんなにベビーゲートを買ったんだよって話ですよね。

まず、長男が生まれてから大西洋に面したどこぞの国に引っ越すことになりました。そのこお家は奇妙な構造で、やたらと階段が多かったので、赤ちゃんが階段から落っこちないようにベビーゲートをいくつか買わなきゃいかんかったわけです。

そこでの生活が落ち着いたところで、事務所の意味不明な移転により、1000kmくらい南下した州に引っ越すことになりました。僕が移り住んだ土地は、まだ開発真っただ中の新興地で、これがまたデカイ家しかないところでした。彼の国も、古い年代の家はわりかし小ぢんまりとしているのですが、ここ最近の家はどんどん巨大化しているようです。いま僕が住んでいるアパートの3倍は広かったです。アホみたいに広かったのに "フツー" と不動産の人はいってました。土地が日本の25倍もあると感覚が違うのね。うらやましい。

こんな無駄に広い家では、それまで使っていたベビーゲートがあまりにも短すぎて全く使い物になりませんでした。最終的に2-3mくらいのでーっかい柵を買いましたねぇ(笑)。あれはひょっとして動物用の柵だったのかしら?

そんなこんなで、長男が生まれてから4年でやたらたくさんベビーゲートを買ったわけです。で、日本に帰るときにさすがにもう要らないかなって思い、ちょうど赤ちゃんのいる人にあげてしまいました。今思えば小さいやつを1つだけ日本に送ればよかったと激しく後悔です…!

あきらめて新しいゲートを買いました

「新しいゲートなんてもう買いたくねぇなぁ」ってうだうた迷っていたんですけど、もうベイビーくんの進撃が止まらないので、潔く諦めて赤ちゃん本舗にゲートを買いに行ってきました。

今回と前回までとで違う点は、「5歳児と1歳児がいること」です。これまでは、自分と妻がゲートを開けられれば全く問題なかったのですが、今回は5歳児もゲートが開けられないといけません。ベビーゲートって、結構ロックがしっかりかかっていて、大人でも開けにくいやつがあるんですよね。これだと、うちの場合はアカンわけですよ。下手したら長男くんがロックアウトされてしまう。

なので、「ベイビーには開けられないけど、5歳児は開けられる」ゲートを探さないといけないわけです。こんな小児選択性の高いゲートなんてあるのかしら?(小児選択性っちゅう言葉は果たして存在するのか…)

赤ちゃん本舗の展示品を全て試したのですが、やっぱり5歳児には結構開けるのが難しいですね。中には僕でも開け方がよくわからないやつもあったし(笑)。そんな中でも、これ(↓)は子供でも割とスムーズにあけられました。というか、これ以外は5歳児には開けられなかった!

もうこれしかないよねって買うことに決めたんですけど、おや?スペックがなんか変だぞ?取り付け幅が90cmまで!?

た、たしか取り付ける場所の幅は92cmくらいあったなぁ… ああ、微妙に足りない…!!なんでこんな諦めきれない幅なんだろう。前から思っていたけど、このアパートはありとあらゆる場所の寸法がなんか変。この2cmの差って、本当に微妙です。一応、そのまま無理やり付けちゃってもなんとかなるくらいの差だとは思います。ただ、突っ張り強度が落ちてしまうので、ベイビーの突進に耐えられるか甚だ疑問なところです。こうなったら、やっぱりゲートを付けるところの幅を狭めるしかないですねぇ。

さぁ、DIYの時間です

DIYの基礎知識なんてろくすっぽ持ち合わせちゃいないので、「とりあえず板ぶち込んでおけばいいんだろ!」っていうすごく乱暴なのりでやっつけました。こちらが施工前のお写真↓

で、こんな感じで板付けておけばいいんじゃない?穴は退去時にパテで埋めればいいでしょう。至る所傷だらけだからひょっとしたら修復しなくても気づかれないかも。

こんな感じで両サイドに板をつければ、なんとか幅90cm以下になるでしょう。このやっつけ感、僕のいい加減な性格が滲み出ています。こんなやっつけ仕事では口がさけてもDIYブログは名乗れないね。(でもタグにDIYって書くくらいなら許してもらえるかな)

そして完成!!ガッシリついているので、ベイビーくんが体当たりをしてきても大丈夫でしょう。

そして、このゲートの設置を何故か長男が喜んでいる…

さて、このゲートをみてベイビーくんはどんな反応を示すでしょうか。

お土産をもらう人よりも、あげる人のことを考えるのが大事なのさ!

タイトルからして「何言ってんだこいつ」って感じだと思いますが、それは正しい感想ですね。僕もそう思いますもん。普通は、お土産は、それを受け取る相手のことを第一に考えにゃいかんのですけれども、なぜかそうならないこともありますわね。社会ってのは不思議なもんです。※フィクションですよ!!

とある会社の中堅社員くんは、サプライヤーの工場見学に行くことになったらしいです。その人だけでいけば、別に何の問題もない工場見学ですが、今回は会社の役員まで一緒に行くことになったそうです。

手ぶらでは訪問することはできませんので、手土産を用意しなければいけません。さてはて、これがなかなか悩ましいところ。工場にいくので、出来るだけ数の多いお菓子が好ましいです。ヨックモックは美味しいし、数もたくさん入っているので、工場の人達への差し入れにはピッタリなんですけど、もしこれをやっちまったらお偉いさんになんて言われるか分かったもんじゃありません。「てめぇ!俺にヨックモックなんて渡させる気かぁ!?コラァ!」って言われるのは火を見るより明らかです。そう、貰い手よりも、渡し手が気持ち良くなることを考えなければならない… あー、アホらしい(笑)。

まぁ、こんなことはどこの会社でも起きていますよね。社員が外ではなくて、社内の方ばっかりみている状況。狭い世界に閉じこもってしまうと、内輪だけで上手くやれればそれでいいという話になってしまいますね。こういうのが行き過ぎると、不正や、隠蔽が起きるんでしょうなぁ。

まぁ、そんなこんなで、その人は「お客さんが喜ぶもの」ではなくて、「お偉いさんが渡したいもの」を必死で考えにゃいかんのです。これはなかなか難しい。赤子と地頭と上司には勝てんもんです。だいたい、何を選んだところで絶対に、100パーセント、間違いなく、何か文句を言われたり怒られたりケチをつけられます。学生時代だったら、4択問題の内、必ずどれか1つは正解があったもんですけど、これが社会人となると、選択肢の全てが間違いというありえん状況が普通にありえてしまう。こうなると、何かいう前から「すみません。そうですよね、思慮が足りませんでした」という練習をせにゃいかん。Aを選べば「バカか、Bに決まってんだろうが」と怒られ、Bを選べば「バカか、Aに決まってんだろうが」と怒られる。こんな問題が受験で存在したら一大事ですよ(笑)。

その中堅社員は百貨店に行って、お菓子屋さんをみて散々悩んだそうです。和菓子にするべきか、洋菓子にすべきか… とりあえず、水菓子はダメだな。ある程度日持ちするものでないとあかん。そうなると、せんべいとかクッキーみたいな焼き菓子か。うーん、どうする?洋菓子を選んだら「なんでこの場に洋菓子を選ぶんだよ、馬鹿野郎が!」っていう謎な罵声が飛んでくるかもしれん。ならば、和菓子??いやいや、これはこれで何か言われるな。では、和菓子屋が出してる洋菓子にすればいいんじゃね??

っていう、不毛な検討を繰り返して、この中堅社員くんは吉兆の季節限定のクッキーを買ったそうです。これが正解というわけではないですね。これはこれで「こんなもの選びやがって馬鹿かてめぇは!」と怒られるに決まっているのですが、まぁ、多分失点は低い方でしょう。超絶減点法な社会なので、加点されることなんてありえませんね。いかに減点の幅を少なくするか!(ああ、この考え方が会社を、ひいては日本社会を衰退させていく…)

さてさて、この中堅社員くんの出張は無事に終わるでしょうか?

まとめ

いやー、実に不毛で無意味ですな。この中堅社員は早く見切りをつけて会社を辞めちまった方がいいよねぇ。こんなところで何年もへーこらしていても意味ないなぁ。

今の30代、40代って、上の世代よりも遥かに疲弊していて、いつもみんな疲れきってるよね。昔なら、どんなに理不尽なことがあっても給料は上がったし、そもそも社会全体が上向きだったからなんとなく、ほんわかとした夢のようなものはあったと思う。それが今ではその夢まで取り上げられちまっているもんだから、もうみんなゾンビみたいな顔で通勤電車に乗るしかないですわなぁ。何のために仕事にいくのか、何のために生きているのかわかんないんだもんねぇ。そりゃあ無理もない。

意味のない日々をやり過ごして歳をとっていくことに耐えられんですわね。このままでいいのかとみんな思いながら悶々と過ごしているよねえ。かと言って、夢もなければ、やりたいこともないってのが大半ですね。僕もその口です。

ただ、ものすごく危機感はあって、このままサラリーマンをしておったらいかんなと思うわけです。いくら惨めな生活をしてでも、自立せにゃいかんと。それこそ、たとえ家族に迷惑をかけることになっても、サラリーマンは早く辞めなければいけないと思う。これは家族を持つ人間としては最低な考え方だけど、でも、それでもさっさとサラリーマンに見切りをつけないとダメだと思う。

金銭的に家族に辛い思いをさせるのと、何の目的もなくゾンビのような姿を子供にみせる日々を続けるのとでは、果たしてどっちがよいだろうかねぇ?たとえ金銭的に辛くとも、「俺はちゃんと自力で生きている」と息子たちに見せる方が良い気がする。

この前息子に「ケンちゃんは虫博士になるけど、パパは何になるの??」と訊かれて何も答えられなかった自分が恥ずかしい。40を前にして、息子に何か突きつけられている気がしますね。さぁ、お前は何になりたいんだ?40年間ためてきたツケをさっさと払いやがれって言われてるのかな。飼われてばかりいないで、ちゃんと自分の人生を生きろ、自分!

放送大学に入ってみようかしら

ここ最近ずっと悩んでいます。放送大学に入ろうかどうしようかと。何でこんなことを考え始めたかというと、とあるはてなブロガーさんの記事を見たことがきっかけです。単純な頭なもんで、すぐに人に影響されてしまいやす。今まで放送大学というのはなんとなく知っていましたが、一体どう言うものか全く知らなかったですし、知ろうとも思わなかったですね。でも、その方のブログをよんでハッとさせられました。そういう学びの道があったのかと。人間死ぬまで学び続けにゃいかんのですが、放送大学はその一助となるかもしれんですな。

自分よりも年上の人が真剣に学んでいるのに、自分ときたらなに安穏と暮らしているんだい!死ぬ気で学ばなきゃあっという間に死んでしまうぜよ!

若い頃はあまりに怠惰でした

僕は10代の頃からニヒリズム沼にどっぷり嵌まってしまって、それから20年くらいはホントに無駄に生きてしまいました。大学を入ったり、やめたり、また入り直したりと、まぁ、フラフラしておりました。留年の危機に陥りながらも、なんとか首の皮一枚のところで大学院まで出たわけですが、ずっと不勉強だったことがトラウマになっておりました。どのくらいトラウマかっていうと、大学を卒業してからもずっと期末試験で落とされる悪夢ばかり見ていたくらいです(笑)。最近はだいぶこの手の悪夢は見なくなりましたけど、それでもまだたまに夢の中で留年しそうになってうなされます。どんだけ不勉強だったんだって話ですよね。いやぁ、もう本当に大学時代は常に恐怖に晒されておりました。でも、勉強しないというクズっぷり!

どうせ死んでしまうのにどうすりゃあいいんだよぉと青年時代の僕は鬱々としながらガチで鬱になって途方に暮れておったわけですが、それを打開しようと学ぶことすらしておりませんでした。しかし、身体はちゃんとわかっているんですね。散々悪夢で警告してくるってのはちゃんと学ばなきゃあかんってことですね。きっと今から挽回しても遅くはないでしょう。昔の僕が怠ってきた分を今取り返さなきゃいかん気がします。ちゃんと死ぬためにはちゃんと学ばないとね。

好きなことを学んだ方がいい

自分の好きなことを学ばなかったと言うことがトラウマの一因になっていると思います。僕は歴史とかよ人文系の学問が好きなのに、何を血迷ったのか全く関係のない薬学部に入ってしまいました。そこでちゃんと勉強して何かモノにすればよかったのに、一切学ばないで、ただ漫然と呆然と学生生活を過ごしてしまいました。あの時代、東海地方で僕よりひどい学生は多分いなかったと思う。

10代の自分に言いたい。苦手でもいいから、文学部とかに入って歴史とか哲学とか勉強しとけと。お前がちゃんと思考できるのはそういった内容だけだと。10年以上化学と付き合っても、一切興味もわかないし、楽しくないし、全く向いていない!自分でもびっくりだけど、興味が持てないものにはとことん興味が持てないんだなぁ(笑)。自分は理系分野に全く関心が芽生えない質の人間だと30くらいで確信しました。これまでの人生は壮大な無駄だったねぇ。残念!

申し込みました

上記のような文章を数日前に書いて、そのまましばらく放置しておりました。いつもの悪いくせで、途中まで書いてそのまま文章を死蔵させてしまう(笑)。結論からいうと、放送大学に出願しました!といっても、何年もみっちり履修するコースではなく、取り合ず1年だけの「選科履修生」ってやつに応募しただけです。お試しコース的な感じでしょうかね。

一応、ネットで出願できるようなので、試しにやってみました。住所も証明写真のアップロードもうまくいって、これで出願するだけだと思いきや、なんとその場でコースも選ばにゃいかんとな!?これは想定していなかったです。出願だけすればいいと思い込んでいて、まさかその場で科目選択もしなきゃいかんとは思わんかったです。色々調べている間に時間切れ!残念。やる気を失って、その日は出願を断念しました。

日を改めて2回目の挑戦!今度はちゃんと科目を調べてから入力を始めたのに、何故か途中でデータがクラッシュして今までの入力がなかったことになってしまった… なんてこったい。どうやら放送大学に嫌われているようです(笑)。気を取り直して3度目の正直!今度こそなんとか出願できました。紙に書いた方が早かったかもしれんですな(笑)。

選んだ科目は以下の通り:

- ビートルズ de 英文法
- 英語で「道」を語る
- グローバル時代の英語
- 哲学・思想を今考える
- 西洋哲学の根源
- 現代フランス哲学に学ぶ

英語は、なんていうかもう自分に課せられた仕事みたいなもんだから好きとか嫌いを超えたものとしてやってるけど、やっぱりやりたいのは哲学と歴史です。いっぺんに両方は無理だと思い、今回は哲学だけにしました。若い頃に仏教と哲学を真剣に学んでおけばよかったと激しく後悔していますので。とはいえ、学び始めるのに遅すぎるということはないでしょう。我々は死ぬその瞬間まで学び続けんといかんのですから。死ぬために学ぶと言ってもよござんしょう。

昔は哲学よりも歴史の方が好きだったけど、歳をとって嗜好が変わったのか、最近は哲学の方が興味ありです。人間がどう考えてきたかってことが、世の中を大きく動かしてきたと思うと、まぁこれも歴史ですよね。

えーと、申し込んだはいいものの、これからどうなるんですかねぇ。自分の悪い癖で、説明書の類は一切読まないで事を進めてしまうので、これからどうすればいいのかわからんですな。お金の支払いとかもあるだろうから、出願要項とかちゃんと読まなきゃ… さてさて、受講前から先が思いやられます。あっ!うちにはテレビがそもそもないけど、ネットだけで完結できるんだろうか…