茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

田舎より母きたる また楽しからずや

何年も日本から離れていたので、その間親に会うどころか地元にも戻れていなかった。地球の裏側にいるとそんなにおいそれと日本に帰る気はしてこないし、子供がいるとますます億劫になってしまって、結局「まぁ、みんな元気でやってるみたいだし、帰らなくてもいっか」なんてふうになる。世の名言に「亡くしてわかるありがたみ、親と健康、セロハンテープ」というものがある。親の余命があと20-30年で、年に1-2回会えるとしたら、実は会える回数というのは結構限られている。我々人間ってのは当たり前にあるものは大切に思わないでぞんざいに扱ってしまう。特に本当に大切なものほど粗末にしてしまっているきがする。親兄弟、配偶者なんてその筆頭かも。親と会う一回一回が実はとても大切なんだけど、永遠に失うその瞬間までそのありがたさはわからないかもしれん。感覚的にわからないなら、人間である以上、理詰めでその大切さを自分に納得させていくしかないかな。

母親と会うのは3年ぶりか。そんなに会ってなかったと自覚はしているけど、同時に、そんなに会ってなかったっけ?とも思う。日本に帰ってきてからはまだ実家に行ってなくて会うことができていなかった。赤ちゃんがいると簡単に長距離移動はできないので、今回は逆に母親が老体に鞭打ってこっちに来てくれるとこになった。老体とは言っても、最近の60代はとにかく若い。サザエさんのフネさんなんてあれで54歳くらいだけど、今どき還暦すぎでもあんなおばあちゃんは全くみない。最近のおじいちゃんおばあちゃんはとにかく若くて元気なのだ。

久しぶりにばーばに会えるとなって長男は大喜び。「ばーばに会える!」と発狂していたけど、実はこの子、未だに父側のばーばと母側のばーばの違いがあまりできていないんじゃないかという疑惑がある(笑)。ひょっとしたら、"ばーば" というユニット的なものとして受け捉えているのかもわからん。言葉の定義がかなりあやふやなことだけは確かだ。

子供の楽しみすらしつけに利用するのが親というものである。昨日も、なかなかいうことを聞かずにベイビーを虐めたり、駄々をこねたり、風呂に入らなかったりするもんだから、「ばーばと会わせないよ!」とか、「ばーばに来ないようにいうよ!」とか言ってちょっと脅してみる。すると、息子もそれは嫌だと一瞬だけ我に返っていい子になる。これはきっと子供あるあるだと思うけど、いい子になるのはほんの一瞬だけ。次の瞬間にはまた完全に忘れている。一体どんな脳の構造になっているのか不思議だ。この凄まじい脳回路の切り替え、僕も欲しいな。

そんなばーば来訪で発狂しまくりの長男は、普段は起きてから身支度をするまでにめちゃくちゃ時間がかかる。布団をでで、布団に入り直して寝て、布団を出て、トイレに行って、また布団に入って…とエンドレスな無駄行為を続けるのだけど、今日はばーば効果で一瞬で目覚めてきた。しかも起きただけではなくて、すぐにパジャマを着替えて、帽子を被ってリュックまで背負っている。寝起きから5分で帽子とリュックはちぃと早すぎる(笑)。彼のモチベーションの高さがわかりますな。

長男くんのやる気は評価したいけど、流石に早く家を出ても駅で待ちぼうけになってしまうから、朝ご飯を食べさせて時間潰し。この先延ばし作戦もなかなか間が持たず、長男は早く行こう、今行こうとせかしまくり。いつもこのくらいのスピード感で幼稚園に行ってほしい(笑)。

うちの母親は山岳地帯からわざわざ上京してくるので、果たしてちゃんと電車でやって来られるか不明である。まぁ、名古屋から新幹線に乗ってしまえば東京までは取り敢えず到着できるんだけど、そこから先は果たしてどうだろう?東京駅という巨大な建造物から一生出られなくなるともわからん。年老いた母親が日本の首都のど真ん中で迷子になり、憔悴死してしまうのは息子としては避けたいところ。そんな訳で息子と一緒に母を迎えに行くことにしたのだ。

取り敢えず息子にご飯を食べさせて適当に時間調整をしてから家を出ることにした。当初はばーばに帰ると興奮していた息子も、駅に到着するやいなや、その関心は完全に電車の方に移り、電車を見ては「かっこいい!!」と叫んで飛び跳ねている。欣喜雀躍とはこういうことかな。

パパ!写真して!」「なんでこんなに速いの!??」「パパ!写真して!」「パパ、写真したの?」とひたすら息子にせかれる。僕の地元はめちゃくちゃ田舎でそもそも電車を見る機会がなかったのだけど、自分も小さいときに電車をみていたらこんな風に興奮いていたのかしらん。こんな調子で終始息子は大興奮で、東京駅に着くまで息子を落ち着けるのに大変だった。

息子の今日の一番の目当ては新幹線を見ること。(ばーばのことはいったいどこにいった()) 東京駅について、東海道新幹線のホームに移動する。僕もなんだかんだで新幹線にはここ数年間全く乗っていないので、ちょっと興奮する。鉄道おたくでもなんでもないんだけど、新幹線ってちょっとだけ特別感がある。夢があるといおうか。新幹線のホームは暑く、熱気に溢れていた。たぶん、単純に気温が高かったせいだろう。

ホームにつくと、のぞみ N700 系の車両がでーんと停車していた。堂々たる風格だ。こいつが日本の大動脈を支えている。息子にとっては物心がついてから初めての新幹線ということになるから出会えた喜びもひとしおだ。「かっこいい!!」と叫び、ボルテージは最高潮。先頭車両までいってそのご尊顔を拝む。技術の粋が集められた流線形だ。

さてさて、他の新幹線も見に行こうかなと思ったら、息子の口からとんでもない一言が出た。

「パパ、かえろっか?」

えええ!??いま来たばっかりやし!というか、本来の目的は新幹線じゃなくてばーばを迎えにいくことだぞ!!子供っていうのは、本当に目の前のことしか考えていないなあ。「新幹線楽しかった!」→「帰ろう!」っていう単純な思考回路なんだね。なんともうらやましい。さすがに息子の言ってることを受け入れてそのまま帰るわけにはいかない。

僕「ケンちゃん、ばーばは?」

息子「あー!そうだった!ばーばぁ!!会いたい!」

よかった。一応完全に忘れていたわけではなかったようだ。小さい子の忘却能力はすさまじいから、たまに「この子は大丈夫か?」と不安になるとこがある。

新幹線が来るまで待合室で待って、ちゃんとばーばと合流して目的を果たしましたとさ。東京駅も広いもんだから、合流するまでちょっとだけトラブったけどそれもよくあること。でも、これは東京駅の広さのせいというか、うちの母親のコミュニケーション能力のせいかな。

僕「先頭車両のところにいるよ」

母「18輛目におったんやけど…」

僕「ねーよ、そんな車両は!のぞみは16両編成でしょ!!」

いったいなんでうちの母親は幻の18輛目に乗っているんだ… キツネにでもばかされたんでしょうか。そんなこんなですが、その後ちゃんと母親を無事「保護」しました。こんな感じでもちゃんと60年以上生きているんだから、まあ、人生何とかなるんじゃなかろうかと思います。