茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

暇は人を不幸にする

今日は比較的のんびりとした一日だった。外部からのメールも少なかったし、何より上司が有給でお休みだったことが大きい。別に上司のことは嫌いではないし、人間関係も良好な方だと思うけど、やっぱり「上司」っていう存在がいるのといないのとでは課の雰囲気がかなり違う。別にサボっているわけではないだけど、なんか職場の雰囲気がユルくなるんだよなあ。決してサボっているわけではないのです!タイトルを持ってる人間がいるのといないのとでは場の空気がちょっとだけ変わるよねって話。そりゃいつも通り仕事はバリバリのガリガリにこなしますよ。

実際、上司がいないとすごく仕事が捗る(笑)。申し訳ないけど、これは本当だ。別に上司の存在が悪いとかではないんですよ。ただ、上司が隣にいると、矢継ぎ早に色んなことを思いつきで言われるもんだから、全ての仕事がブツ切れに中断されてしまって、最終的にすごく時間がかかってしまう。ちゃんと終わるならまだいいけど、Aをやってる途中にBのことをいわれ、Bに手をつけようと思ったら今度はCのことを言われ、次にD, E についていわれ…と思いきやまた今度はA' に話が戻り…と言ったことを一日続けていると、一体僕は一日何をしていたんだろうということになることが少なからずある。

なので、上司がいないとまぁ、端的にいうと「邪魔されない」ということですな。いや、別に上司が邪魔っていう訳では全然ないんだけど、邪魔される確率が結構高いってだけで(笑)。

今日は自分の周りに誰もいなかったので、一蘭の味集中システムでラーメンを食べる客よろしく仕事に集中しまくってサクサクと仕事をこなしていったら、あれ?なんか今日やるべきことは全てこなしてしまってあとは他の人からの連絡待ちになってしまった。

こういう時こそ、サーバーとデスクの整理だ!と片付けたけど、これも割とすぐに終わってしまった。となると、次に頭をもたげてくるのは、人生の整理だ。暇な時間が生じると、人間はどうしてもしゃーないことばかり考え始める。僕の場合は「どうせ死ぬのに何故生きなきゃいかんのだ」という問いに30年苦しめられている。気を抜くとすぐにこの問いが沸き起こってくる。あとはこの問いから派生したどうしようもない問いのかたまり。

普通はこの手の悩みとかは中学くらいに解決できるものだけど、僕の場合はこれが全く解決出来ずに重度の中二病患者になってしまった。中学の時の自分がこの状況をしったらきっと絶望するな(笑)。時が解決すると思ってたのに、なんで悪化してんだよ!!って。

僕はもともと抑鬱傾向がかなり強いからこの手のしょーもない問いを育ててしまったんだろうなあ。周りの人を見ても、「死」と「生きる意味」について四六時中悩んでいる人間なんてあんまりいないし、こんなことをいうと大体「青臭い」とか「いい歳していつまでそんなこと考えてるの」って言われる。確かにそうなんだけどねぇ、こればっかりは自動的に考えちゃうからしゃーない。この前うちの親にこういう内容の話をしてみたけど、どうやらそもそも考えたことすらないような感じで、全く会話が成立しなくてびっくりした。DNAの半分はもらっているはずなんだけど、思考的なものについては一塩基分も遺伝してないんだなと愕然とした。僕みたいな変な思考に縛られてていない人は、それだけで宝くじに当たったくらいに幸運だと思う。

作業でもなんでも、何かやることがあって忙しくしていられる時は、そういうくだらない思考は表面に上がってこないからいいんだけど、少しでも時間があるとやつらは表面に浮上してきて心を掻き乱すんだよなあ。ホント、暇があると人間楽なことを考えない。できることなら死ぬまでずっと忙しい状態になりたいわ。そうすれば変な思考に支配されないですむもんなぁ。

今日浮かんできた変な考えの一つは、「本当にこのままこの会社に居ていいのか?」という問いだ。これは僕以外の人もよく考える、よくぶち当たる問いなんじゃないかなあ。多くのひとは、最初は夢とか希望とかをもって会社に入って、そして何年も経つと「こんなはずじゃなかった」とか思い始めるパターンが多いような気がする。

僕の場合は、そもそも夢も希望も持たずに生きる屍状態で過ごしていたから、もうずっと「このままでいいのだろうか??」って考えながらやってきたわけです。じゃあ、そもそも会社に入ってくるなよ!って、僕が経営者側だったら張り倒していますね。

この数年間、必死になって自分自身と向き合って、なんとか抑鬱はかなり抑えられるようになってきて、ちゃんと前向きに生きていこうを思えるようになってきた。普通の人からしたら「なにいってんだ?」っていう話なんですけど、抑鬱ニヒリズムに精神を支配されてしまうと、前向きに生きていこうというが全くわいてこないわけですよ。なので、地に足をつけてちゃんと生きていこうと思えたのは、僕にとってはかなりの前進だったわけです。

「ちゃんと生きていこう」「よりよく生きていこう」と思うと、これまでの選択をちょっと後悔したりしちゃうんですよね。これまで精神がお世辞にもよろしくない状態で人生の超重要なことを選択してしまったいたんです。もっと正確にいうと、選択する行為そのものをものすごくないがしろにしてしまっていた。大学選びも、就職も、「俺はどうせじきに死んでしまう」と何故か勝手に悲嘆して積極的に前向きに選択しようとしなかったんです。

化学が好きでもないのに化学系の学部を選んでしまい、好きでもない化学の勉強に苦しんで留年しそうになりながらなんとか大学を卒業して、今度は好きでもないのに化学系の会社に入ってそのままずるずると居座ってしまっている。主体性のかけらもなかった!!これは大いに反省すべき点だ。

よく「好きなことをやりなさい」とは言われますが、僕の場合は、自分の人生そのものに興味を失ってしまった結果、好きでもなければ得意でもなければ楽しくもないことを選んでしまった。これは完全に間違っていた!これから就活をする人がいたら是非僕の失敗を教訓にしてほしい。好きでもなければ得意でもないことを職に選んではいけないと(笑)。最低限、興味のあることを選んだ方がいいように思う。「興味がある」とか「好き」っていうのは、実はそれだけでそっち方面に才能があるといっても過言ではない。全く才能がないっていうのは、そもそもその物事に対して全く興味がわかないものだ (経験者談)。なので、「好き」という感情が芽生えた時点で少なくともなんらかの素質はあると思う。ちなみに、僕みたいに生きることに興味を失ってしまうと、ほんと何にもできなくなってしまうのでヤバいです(笑)。今は人生を取り返そうとあがいていますので、だいぶ改善されてきましたけど。

またとりとめもないことを書いていたら話が脱線してしまった… 「このまま今の会社にいていいのか」問題はこれからも向き合っていかないといかんですなあ。