茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

断酒について

この前、断酒について上司たちにカミングアウトしたところ、案外あっさり流してくれたから、特に問題ないかなと思った。しかし、今日ちょっとだけ課長と断酒の話が出たときは、ちょっと風向きが怪しかった。

今日はボーナスが出たから、お金の使い道についての話題になった。昔の僕なら酒で散財してしまっただろうという話になった。それだけなら全然問題はなかったんだけど、その話題の後で課長がボソリと話始めた。

課長「お前、本当に酒飲まねえのか?」

僕「はい、もう飲みせん」

課長「酒飲まねえなら、これから会食には同席させられねぇな」

僕「.....」

課長「お前、酒の席で酒飲まねえと部長めちゃくちゃ怒るぞ?」

僕「......」

うーむ、そう来たか。やはりなかなか一筋縄ではいきませんな。予想はしていたけど、一番の難関は上司たちか。サラリーマンって酒飲んでなんぼなところがあるからそういう展開になるとは予想していたけどね。でも、露骨に「会食に同席させない」って言ってしまうのは、上司の発言としてはアウトなやつやろって思うなぁ。今の時代、コンプラがうるさいから、パワハラだって言われたら完全にアウトなやつでしょうよ。まぁ、いちいち騒ぎ立てたりしないけど。

昔の自分だったら、今日の会話にビビってしまって断酒をやめてしまっただろう。でも、今はもう昔の自分ではない。金輪際酒は飲まないという信念を曲げるわけにはいかない。もしも酒を飲まなければ会社に居られないと言うのであれば、喜んでやめてやろう。そんな会社は願い下げだ。

僕にとっての断酒はイスラム教徒がアルコールを禁じているのと同等だと思う。アルコールは自分にとっては禁忌なのだ。飲酒をすると言うのは、戒律を破ることになるから絶対に認められない。体調を壊したから酒をやめようというのとはかなり次元が違う。信念に基づいた断酒だから、絶対に飲まないというか、飲めないのだ。断酒は自分にとっては原理原則にあたるので、絶対に破ることはできない。人を殺さないのと同じことだ。ダメなものなダメというやつだ。

部長に嫌われてようが、出世から外されようが構わん。今自分が選んでいる道は絶対に正しい。数十年後に人生を振り返った時に、あの時断酒をしてよかったと必ず思うはずだ。まだ断酒をして2年半だが、それでも断酒をしてよかったと心から思っている。これをあと10年続けたら、20年続けたら… 僕は絶対に過去の自分の選択に感謝するはずだ。

逆に今ここで酒を一滴でも飲んでしまったら、今までの努力が水泡に帰してしまう。そして、また抑鬱な生活に逆戻りして、毎日毎日酒に溺れて、意識が曖昧なままの生きた屍になる。そんな自分に嫌気がさして、さらに過剰飲酒に走り、現実と酔いとの境目がなくなっていき、いつか自殺さらに違いない。これは確実だ。僕が飲酒をしたら、家族を崩壊させ、そして最後は自分の生命を自分で終わらせてしまうに違いない。そんな将来がわかったから、僕は断酒することにした。もう後戻りはしない。

いやー、ここまではっきりとした軸を持てたのは人生で初めてかもしれない。「誰がなんと言おうと構わない」と本気で思えるにはやはり、精神的な支えがないとだめだなぁ。心の核がないと。断酒に限らず信念というものは人間にとって一番大事だ。信念がなければ周りに影響されてしまって、あっちフラフラ、こっちにフラフラ… 今の自分もまだ修行中だけど、断酒に関してはちゃんとした核ができ初めている。あとは、困難を乗り越えて、こな核を雪だるまのように大きくしていかないと。

「困難だけれども断酒する」という経験を何度繰り返していけば、「自分は酒を飲まない人間だ」というアイデンティティがより強くなっていく。確固たるアイデンティティが確立したらもう何が来ようが怖くない。

さあ、課長よ、部長よ、酒の席で僕のことを散々なじるがよいさ。あるいは、僕だけ仲間はずれにしても全然いいよ。本当に問題なのは、上司ではない。「上司がそう思っている」と勝手に妄想している自分だ。自分の妄想こそが一番厄介だ。それさえ克服できれば本当は何でもできるんだろう。現実問題、断酒をしたからといってリストラされることはない。本当に怖いのは妄想にビビってしまう自分の心だ。

妄想の中の上司に勝てればよいのだ。自分、その辺は頑張れよ!頑張るって言葉はあんまり好きじゃないけど、ここは頑張るところやな。