朝電車に乗っていたら、40代くらいのおばさんがお爺さんに声をかけて席を譲ろうとしていました。
結構大きな声で「どうぞ!」と言って席を譲ろうとしていたのですけど、そのお爺ちゃんはけんもほろろに断っていましたね。
断るというか、若干煙たがるような、ちょっと無視するような感じですかね。
この辺の対応って、やる方もやられる方もちょっと難しいもんがあると思いますけど、親切なことをされた側は、そこは相手の意を汲んで素直に受け取ることが逆に親切心なんじゃねぇのかなって思います。
その方が、行動を起こした側も気持ちいいじゃないですか。まぁ、確かに席を譲られて「わしはまだ他人の世話になるほど落ちぶれちゃおらん!」とか思う人もいると思いますけど、そこはさ、歳を取っている人の余裕で相手の好意を受ければええのにね。
自分の場合
自分の場合は、赤ちゃん連れで公共交通機関を利用すると時に席を譲られることがありますけど、そういう時はできるだけ好意に甘えようと思っています。たとえ一駅で降りることになろうとも!
もうね、ある意味好意を受け取るのも礼儀じゃないですかね。
僕みたいな超絶繊細な人間は相手が好意を施してくれた瞬間に、その人がどういう思いでその行動に至ったのか、発言したのかということを妄想してしまいます。
「ひょっとしたら、色々葛藤した挙句に僕に席を譲ってくれたのかもしれん」なんて考えちゃうので、選択肢としては好意を受けるしかないですね(笑)。
歳取ってる人の方が無礼?
客観的なデータがないので、大いに僕のバイアスがかかっている意見ですけど、最近の若い子たちの方が礼儀がいいような気がします。
席を譲ってくれるのも若い子の確率が高いし(まぁ、そりゃそうですけど)。
あと、歳とってる人の方が、無愛想で礼儀のなってないパターンが多いような気がします。実際のところはどうなのか統計とってみたいところですけど。
まぁ、僕の経験だけに基づいているので、都市部の団塊の世代がよろしくないというだけの話かも。
「最近の若い子は〜」なんてのは常套句ですけど、最近の若い子は爽やかで洗練されてる子が多いと思いますよ。少なくとも、僕の中では段階の世代よりは遥かに好印象ですね。
空気を読む文化
今回の一件でちょっと頭をよぎったのが「空気を読む文化」について。
「日本は空気を読む文化だ」なーんてよく言われますけど、本当にそうかなぁと。「空気を読む」を「相手の心を察する」とした場合、必ずしも日本人ってそんな相手のこと考えてないような気がする。
逆に、全く空気を読まなさそうに思われているアメリカ人の方が、僕は空気を読んでいるような気がする。
この点については同じようなことを書いてる人がいたので、別の記事で取り上げてみたいですね。
日本人と空気を読むポイントとか読み方が違うだけで、よほどアメリカ人の方が気を遣ってんじゃないかなと。もちろん、アメリカ人と言っても、宗教も人種も違うので一概には言えませんけど。
例えば、先の席を譲る例だと、アメリカ人の場合はニコッと最高の笑顔をしてその好意に対して感謝の言葉を述べると思います。
少なくとも、無碍に断ることはまずしないと思います。
そこはめちゃくちゃ空気を読むので。
たとえ断る場合でも、ちゃんと理由を話して、それでもあなたの好意には感謝しますくらいのことはいうんじゃないかな。
「アメリカ人はめちゃくちゃ空気を読む」っていうのに気付いたときは驚きました。だって、アメリカ人は楽天家でお気楽なもんだと思い込んでいましたから。(アメリカの人、ごめんなさい)
「アメリカ人はいつも笑顔で愛想がいい」というのは、この超絶空気を読む文化が醸成していったんじゃないかなぁと思います。あと、笑顔じゃないとぶっ殺される危険性があった(笑)。
なんにしても、「空気を読む」ってのは日本において特徴的な現象でもなんでもないですね。
さいごに
親切心についての話から遠ざかってしまいましたが、僕が最後にいいたいこと、それは…日本の中高年男性はもっと愛想良くそして謙虚にしろよ!ってことですかね。歳をとるとみんな「オラオラ系」になっていきますけど人を想う気持ちは忘れないようにしたいもんですね。