茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

ブログについて その2

えーと、時間が経ってしまったから何を書いていたのか忘れてしまいました… 取り敢えず、どうでもいいことを書いていたのは間違いないです。

あれか、「ブログを誰のために書くのか」みたいなことを書こうとしたのかな。

昔書いたネタで、僕のブログを読んでくれるであろう対象者を想定してみたんですが、それも今ではもうどうでもいいかなぁって思ってきました(笑)。

確かに、ターゲットを想定してそれに合わせて文章を書くことはいいことですけど、別にそういうのじゃなくてもいいなって思い始めました。

そもそも、僕の駄文が「誰かの役に立つかも」って考えることがおこがましかったですね。ホントすまんすまんです。「役に立つ」「立たない」で考えたら、そりゃもう僕の文章は圧倒的に役には立たんのです。

でも、それでいいんじゃないですかね。「他人の悩みを解消するブログを書こう!」とか、「他人の役に立つブログを」とかよく言われますし、それはそれで全くの正解なわけだけど、そんなに意味に固執しなくてもいいかな。

駄文であろうと世に出してしまった以上、僕がどう思うかってのは関係なく、このブログの評価は他人様がするわけですけど、それで誰かがクスッと笑ってくれればそれはそれでいいし、「こんなクソみたいな文を書きやがって!」と憤慨するならするでそれは仕方ないし。

あと、なんだかんだで自分のブログの一番の読者は自分なわけで、何か書いて得してるのも自分なので、それでもう十分だなって気がしますね。

ネガティブ防止

「じゃあ、自分の日記にでも書いろ!」って言われるでしょうけど、それはもうすでに書いてるしなぁ(笑)。あと、ブログに公開することの利点は、「誰かに見られる可能性がある」ってことですね。

これが個人の日記と圧倒的に違いますね。本の少しの差ですけど、読む人が1人でもいると、アウトプットされる文章の内容や量がガラリと変わりますな。

特に、僕みたいに抑鬱傾向の強い人間は放っておいたら凄まじくネガティブなことしか考えないわけですよ。かなり意識的にコントロールしないと、とんでもないことになる!

昔の日記を振り返ってみてみると、本当にネガティブ沼の澱を取り出して、さらに濃縮させたのうな内容で、自分で読んでも結構ドン引くレベルです。

これが、「他人の目」が入るとそこまでネガティブなことを言わないようにと気をつけるようになりますね。(それでもやっぱりネガティブは滲み出てくるんだけれども(笑))。

そんな感じで、ブログを世間様に晒すのには監視効果がありますね、僕の場合は。

結局誰のために書くよ?

この問いに対する声は、もうぶっちゃけどうでもいいなと(笑)。

自分の好きなように発信してみて、それで奇跡的に他人が喜んだらそれはそれでいいし、そうじゃなくても「書くこと」自体が目的だから、まぁいいかなと。

書くために書く

ああ、そうですね、「誰のために」とかじゃなくて、「書くために書いてる」っていうのが一番しっくりくるかも。

前にどこかで「書くことは排泄行為だ」なんて書いた気がしますけど、もう少し別の表現もあるかもと思うようになってきました。僕の場合、「嘔吐」に近いかもしれない(笑)。

僕は昔はとんでもない大酒飲みで、ここに書いたら多分アウトな感じでガバガバ酒を浴びらように飲んでいました。

平日でも飲みまくって、気持ち悪くなったら、酒を追加で飲むために吐いていました。吐くと溜まっていた気持ち悪さが一気に解消されますよね。それに近いかも(笑)。

吐瀉物は基本的に汚いですよね、それも書くことに似ているなあ(笑)。基本的に、過去に自分が書いた文って直視できないです。気持ち悪いから。

「吐き出さずにはいられないから吐いて気持ち悪さを解消する」みたいな感じ!うん、こんな感じだから駄文しか産出できないのですね。反省もんだな。

「書くこと」は、出した後の爽快感に例えるならウ○コですけど、気持ち悪さの解消っていうことろに焦点を当てるなら嘔吐ですね。うん、なんて品のない例え方でしょう。これが教養のない人間の限界ですね。

最近のブログについて思うこと

そうだ、なんでこんなどうでもいいことを考えたのかって言いますと、最近のブログになんか違和感っていうか嫌悪感を覚えたからです。

Googleで検索しても、「どいつもこいつも似たような」感じのSEO受けしそうなやつばっかりヒットして、なんか気持ち悪い

そして、内容がそんなに濃くないのに広告がやたらと多い。

そしてそして、兎に角醜悪な広告が多い!普通に調べているだけなのに、わけの分からんエロい漫画の広告とか載せないでほしいですね。ウンコだゲロだと言っていた人間のいうセリフじゃないですけどさ。

YouTubeの広告もそうですけど、まぁ人のコンプレックスと不安を煽ってからウソくさくその解決法を提示するいかがわしい広告の多いこと。

神田昌典あたりが広めたPASONAの法則も、いい加減一般的になっているからその効果がなくなってもいいはずなのに、なぜかしぶとく残っていますね。手の内はバレているのになんでだろ?

そんなこんなで、なぜかここ最近、今更ながら「広告で胸焼け」しておりました。なので、「ブログで小遣いを稼ごう」っていう気持ちが急速に萎えて行きました(笑)。

じゃあ何を書こうか?

こんなことを書き出すのは、きっと周期的に抑鬱期に入りつつあるのかなぁと思いつつも、今後の方針について考えてみましょう。

自分のために書いても、他人のためになるように意識して書いてもどっちゃでもええと思うんですけど、他人受けするような内容を書くこともそれはそれで良い訓練になるのでやって行こうと思います。

それと同時に、自分をえぐり出す文も書いていきましょうかね。たぶんこっちのは需要がないので、自慰行為みたいなもんですね。

太宰治か誰かが言ってましたけど、文章を他人に晒すのは娼婦よりも恥ずかしいことをしているもんだと。娼婦は体は晒すものの、心までは晒さない。モノ書きってのは、自分の頭の中を公衆に晒し上げているので娼婦よりも恥ずかしい商売なんだと。

昔は限られた人しか自分の文章を世に出すことができなかったですけど、今やどんな民草でもクリック1つでネットに自分の文章を公開できる。これはすごいことですね。世界に向かって自分の恥部を曝け出すことができるようになったんですから。

昔の文豪さんたちは私小説って形で自分の人生を切り売りしたりしていましたけど、今の我々は無料でしかもリアルタイムで同じようなことができちゃうんだからびっくりです。ブログってのは、「リアルタイム無料私小説って言ってもいいんじゃないかなと。

僕には商品を薦めるための文章は苦痛過ぎて書けないので、自分を曝露していくのが一番楽ちんだなぁ。まぁ、そんなのに需要はないけど(笑)!

何も考えずに頭に浮かんできたことをポンポン出していったので、またとりとめのない駄文になってしまいました。

まぁ、とにかく脳のデトックスということで、これからも駄文を書き綴っていこうかしらんと思った次第です。

不惑の歳が近付いているってのに、いつまでたってもフワフワしておりますけど、世間様と相当ズレてしまうっていうのは、だいぶ諦めができてきたような気がします。

ドンマイ、自分!来世に期待だ!