茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

ゼロ労働精神: 働くことから逃げよう!労働を廃絶だ!

働きたくない!!とそこまで強く願ってるわけじゃないですよ。労働は義務的な側面も権利的な側面もありますからね。確かに、今の仕事には不満が募りまくっておりますけれども、働くこと自体にそこまで嫌悪感はないです。ただ、現在の労働のあり方に納得がいかんだけでなのです。

「よし、仕事をやめよう!」と決意してから、自分の意識が変わったのか、ソレ系の本ばかり目に入ったり、引き当てたりするようになりました。人間ってのは面白いもんです。これも選択的意思が働いているんですかね。

この前は「ブルシットジョブ」を読んで共感しまくっておったわけですが、今度はまた面白い本を引き当ててしまいました。「本が面白い」というか、「面白い人」ですね。栗原康っていうアナキスト。この人のことは今まで全然知りませんでした。歳は僕よりも少し上ですが、まぁ同世代と言ってもいいでしょう。いわゆる「ちゃんとした仕事」は週一回の大学講師の仕事くらいしかしていないみたいで、あとは物書きとか活動(?)運動(?)をしてるんですかね。まぁ、ニート的な感じの人です。

いやー、世の中本当に面白い人がいるもんですね。僕なんかは大学を入ったり、やめたり、フリーターしたり、ニートしたり、んでもってまた大学に入り直したりしたので、世間からは結構 (いや、かなり) 白い目で見られるんですけど、この栗原さんはちゃんと筋を通して世間に迎合しないで生きてるからすごいですわ。

僕の場合は、抑鬱が強すぎて「なし崩し的ニート」をやってたんですけど、この人は「選択的ニート」ですね。ちゃんと理論武装してニートをやってますね。理論武装っていうか、信念に近いのかもしれんですね。僕もそんな意識高い系ニートであればよかったと今更ながら悔恨の念が湧いてきます(笑)!

同世代で面白い人を見つけると、嬉しいやら、比較して劣等感を感じるやら、なんか複雑な気分になりますね。素直に喜べよって話ですけど。

週末に本屋にふらっと入って、本を物色していた時に、何故だかわからないですけどたまたま目に入ったのがこの作者の「サボる哲学 (NHK出版新書)」っていう本でした。いやぁ、ホントなんでこの本を手に取ったのかわからないですけど、もしかしたら「働きたくない!!」っていう集合的無意識的なやつが引き寄せたのかもしれんですね(笑)。

不思議なもので、全然そういう本だとは知らなかったのですが「ブルシットジョブ」のこととかも書かれていたので、何やら運命的なものを感じてしまいました。たまにありませんか?意図したわけじゃないのに、似たようなものを続けて引き当ててしまうことって。確率だけで説明するにはちょっと不思議だなぁって思うことがたまにあります。

労働をやめよ!

この本、最初っからなかなか強烈です。

人は皆、労働をやめるべきである。

労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである。この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。苦しみを終わらせたければ、我々は労働をやめなければならない。

(ボブ・ブラック 『労働廃絶論』高橋幸彦訳)

かー!今時こんな調子で本を書き始めるひといないでしょ(笑)!なんか、マルクスの亡霊でもよみがえったのかと思いましたよ。いやぁ、でもこの引用文はいいですね。心に響きます。「万国の労働者よ、団結せよ!」なら、「おー!団結して資本家と闘うぜ!!」ってなります。しかし、「働くな!」っていわれると、みんなキョトンとしちゃいませんかね(笑)。でもね、言いたいことはわかります。現在我々がベストだと信じている資本主義というシステムでやっていく以上、どう頑張っても不幸になるしかないと。それはもう「そういう仕組み」になっているんだと。であるならば、資本主義妄想から早く脱却するのが一番であると。ふむふむ、わかる。それはわかるけど、もうどっぷり資本主義に毒されておるんですよ。一体どうしればいいのかしらん。

その点、この栗原さんは "ガチモン" のようですね。これまで労働を拒否して、ほぼ働いたことがないようです。しかし、そんな彼も「正直、この支配から抜け出すのは、口でいうよりもしんどいものだ。(サボる哲学 p.5)」って言っていますね。

ガチ勢の彼ですら苦労するなら、ぼくのような甘ちゃんがこの現代システムから逃げるのは相当骨が折れそうですな。

働くとはなんだろうね

仕事をやめて、自立の道を進もうと考えておるんですけど、その前に現代の労働っていうのが一体何なのかあまり深く考えてこなかったような気がします。これはイカンですね。ちゃんと働くっていうのはどういうことなのか、そもそも本当に世間で言われているように働かなきゃならぬのか、ちゃんと考えないといかんいかん。

ジョナサン・フリードマンっていう人類学者は「古代の奴隷は単に資本主義の古い姿であった」と主張しているらしいんですけど、この本では「近代的資本主義は単に古い奴隷制の新しい姿である」と言った方が逆にわかりやすいよねといってますね。うん、たしかにそっちの方がしっくりきます。

奴隷制では、誰かが勝手に僕らのことを売ったり買ったり貸したりしていたのが、いまでは僕らが自分自身の「労働力」という商品を資本家に貸していると。いくら暇であっても、就労時間中に仕事以外のことができないのはこれのせいですね。資本家からしたら、就労時間中はそいつの「時間を買い上げている」ので、仕事があろうとなかろうと、資本家の好き勝手にできると。自分の自由意思でなにもできないんだから、奴隷そのものですな。

いつからこうなったんだ??

僕らは江戸時代の百姓たちは侍に支配されてかわいそうだったなんて思っていたりしますけど、実際どうなんでしょうね。江戸時代の人たちの方が気楽でよかったかもしれんですね。幕末明治の日本に来た西欧人が、日本人の働き方をみてそのあまりのルーズさに驚いたっていう記録が残っていますよね。「雨が降ったから仕事にこない」とか、「今日は暑いから働かない」とか。昔はいまみたいに、「台風がこようが、豪雪だろうが9時には出社して働け!」なんてことは全くないわけで。よほど昔の方が人間らしいかもしれんですね。

西欧の方も、18世紀くらいまではだれもきちんと働かなかったみたいですね。そもそも、決まった時間に同じことを繰り返すっていうのが、かなり不自然なことなので相当教育しないとできないですね。

「誰もしたがわない」っていう状況が資本家には耐え難い問題ですね。きっちりと効率的に働いてもらわんと元がとれないわけですから。そこで、学校、教会、軍隊、監獄、工場などに人間をぶち込んで決められたルールに徹底的に従わせるように洗脳していくんですね、自発的服従がおこるように。こうした流れは現代社会でもばっちり残っていますね。学校教育で洗脳しまくって、社会に都合のよい人間を量産していく。で、たまに僕みたいなバグが出てしまうと社会からはじき出される(泣)。

人を従わせるために、もう一つ重要なことがあるみたいですね。個人を超えた、大きな種を想定して、それを洗脳させるというやり方。会社とか、国とかですね。「会社が倒産してしまうくらいなら、自分が首になってもしかたがない」とか、「国のためなら俺が犠牲になる」とか。統治側の都合の良いように支配されてしまうんですね。

現在我々が受けている支配構造は、資本主義とともに発展してきたんですね。

海賊の経済

いかに不自然な、そして資本家に都合の良い労働者が生まれてきたのか。どうやら、大航海時代の船にその答えがあるみたいです。

船という特殊な空間が、非人間的なシステムを構築していったんだとか。当時、太平洋貿易は極悪経営で莫大な富をヨーロッパ人たちにもたらしていたので、国家は利益を守るために船長に絶大な権限を与えていたみたいですね。しかも、海の上だから、治外法権でやりたい放題。船長に逆らえばすぐにぶっ殺されてしまうし、従順に従っていても、ろくにご飯もあたえられない。船という特殊空間で、水夫たちは「服従と規律」を徹底的に叩き込まれたみたいですね。こうして「都合のいい人間」がつくりだされていったと。現代のわれわれの原点がここにあるみたいですね。ふむふむ、なるほどね。

これに対峙しているのが、海賊!商船が海賊に捕まって、船長が殺されると、船員たちは歓喜したみたい(笑)。「ひゃっはー!あのクソ船長が死んだぜ!!」って。そんなときに海賊からリクルートをかけられるので、みんなこぞって海賊に転身してしまう。

海賊のイメージは一般的なものとだいぶ違うみたいですね。かなり平等で、海賊の船長が強力なリーダーシップを発揮するのは戦闘の時くらい。専横的な船長は、船員たちに投票で船から追い出されることもあるとか。かなり民主的ですね。むしろ、ふつうの商船の船長の方が、いまの僕らがイメージしている海賊の船長なみに極悪かも。

奪ったものも、すべて平等に分配(船長とかは多少取り分がおおい)。成果主義ではなくて、分捕ったものはみんなで平等に分けるってのが面白いですね。

あと、海賊船では体に障害を持った人にすごく優しいんだとか。これが商船だったら、まともに体の動かない人間はそのまま海に捨てられるかもしれんですけど、海賊船では保障がかなり手厚いんだとか。

で、ここからが面白いんですけど、海賊は商船とかを襲って遊ぶ金ができたらそれ以上は働かないで遊んじゃう(笑)。基本、働かない!それで、金が尽きてきたらまた一仕事して、金が尽きるまで遊ぶ。これって、狩猟採集民の生活に似ているような気がする。というか、本来の人間の労働のあるべき姿かもしれんですね。死ぬまで奴隷労働をさせられる商船の船員よりも、海賊の方が100倍幸せそうな生活してるじゃないですか?

商船と海賊って、「善と悪」みたいなイメージで語られることが多いと思いますけど、「近代 vs 前近代」とか、「資本主義 vs 非資本主義」とか、「非人間的 vs 人間的」みたいな二項対立にしてみるのも面白いかもしれんですね。

今の日本で例えると、サラリーマンでヒーヒー言いながら働いている人と、収入は200万くらいだけど自分の時間をちゃんともってゆとりのある生活している人みたいな感じかな。僕も資本主義の生活から半分降りてみようかしらん。

左翼思想

ブルシットジョブを読んでから左翼系の人の本も面白いなあと思うようになってきました。高校生くらいのときは、無駄に左翼系の言論は毛嫌いしていました。当時は、左翼系の言説が結構はちゃめちゃで、保守系の人の方がまっとうな人が多かったような気がします。

ただ、保守系の言論が強くなってきて、今度はネトウヨみたいなのもでてきて、それっきり僕は政治経済系について興味を失っていったような気がします。「あー、もううざいなあ」ってね。左翼系は「日本は極悪」みたいなことばかりいうし、右翼系は「日本マンセー」みたいなことばっかり言って、もうなんなんじゃいなと。そして、無気力無関心になっていくのです(笑)。

左翼系の言説も面白なあとは思うのですが、気を付けないといかんですね。特に、最近のゼロ成長あたりの言論も、よーく注意してみるとガワが変わっているだけで中身はマルクスだったりして(笑)。

左翼右翼はいいとして、労働とはなんなのか、もう少し深く考えていかないといかんですな。今の労働はおかしいと思うし、少なくとも改善の余地はたくさんある。じゃあ、いったいどうすればいいんだろうかなぁ。息子たちが成長する前にあらかた答えを出しておかねば。

・・・だから父さんは働かないんだよ!(ドヤッ)