茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

心温まるシーン、そして気づく「100投稿超えていたわ」

紳士なおじいちゃん

昨日、電車に乗っていたら良い光景に出会いましたのでちょっと書きたいなと思います。

夏休みが始まってから、電車の込み具合も徐々に解消されてきたような気がします。それか、コロナがまた増え始めてきたので、みなさんおうちから出てこなくなったのかもしれません。

僕が電車に乗るときにやることは、文章を書くか、本を読むか、英語の勉強をするかの3つしかないですが、このときは本を読んでおりました。「暇と退屈の倫理学 (國分功一郎)」です。いやぁ、これは素晴らしい本ですね。まだ序盤しか読んでいないですけど、買う価値はあったなと。こんなにいい本を800円で売るなんて、太っ腹すぎですね。10倍くらい金を払ってもいいなって思っています。

関東一の暇人である私が電車の中で暇に関する本を読んでおりましたら、後ろの方から何か、音の感じからして薄い何か、が落ちるような音が聞こえてきました。

ふと後ろを振り返ってみると、学生が暗記物でよく使う「赤いシート」が落ちていました。覚えたいものを赤で書く、もしくは覚えたいところを緑のマーカーで塗ると、赤いシートを被せたときに見えなくなる、アレですね。

落とし物の主は、プリントを膝に置いたまま眠りこけている女学生のようです。たぶん、大学生かな。僕が拾おうかなと思ったときに、僕よりも先にその女性の隣にいたおじいちゃん (70-80代かな) がその赤いシートをやおら拾い上げました。そして、その女性を起こさないように、そっとシートを彼女に返したのでした。

いやぁ、おじいちゃんの気遣いがよくかわっていいものをみたなぁって思いました。僕だったら、その女の人を起こして「すみませーん!これあなたのですか?」って無神経に尋ねていたかもしれんですね。

このおじいちゃんはそんな無粋なことはしないで、彼女の眠りを妨げないようにそっと彼女の落とし物を返したんです。いいなあ、僕もこういうかっこいいことをサラリと自然にできるようにしたいもんです。まだまだ修行が足りんですな。

そして気づく、投稿数が100を超えていたと

「ネット社会は」というか、人間社会はどうしてもネガティブな情報ばかりが拡散される傾向にあるので、こういう "いいこと" は意識的に拡散していかないとなと思ってブログで書こうと思いました。

それでブログをいじっていて、あることに気づきました。

 

あ、100投稿超えていた・・・

 

完全に油断していました。気が付いたら100超えていた。記録によると、今年の5月7日からブログをはじめて、それからせっせと駄文書きにいそしんでおりました。

どこかの記事で書いたとおもんですが、「100記事投稿したら、WordPress を始める」という目標がありました。あったはず!!「100投稿にはまだまだだから大丈夫~」なんて余裕ぶっこいていたら、すでに100を超えていました・・・

うーん、まだ何の準備もしていないな。これでは有言不実行になってしまいますな。はやく準備を始めないと。準備というか、そもそも極度のIT音痴なので、何をどうすればいいのか、調べるところからですね。

なぜ WordPress をはじめるのか?

別に、WordPress じゃなくても、ボルダリングでも、裁縫でもなんでもいいんですけど、「なにか自分がいままでやったことがないことに挑戦する」というのが今年の目標ですので、とりあえず何かやってみようと。WordPressなら家でもできるし、何か作った分だけ蓄積できるからいいかなと思った次第です。ちょっと前に、ランサーズでライティングの案件を何件かやってみましたが、あれだと安い料金だけもらって結局何も自分のところに残らないっていうのが欠点ですね。その点、WordPressで自分の書きたいことを書きまくって、それを蓄積すれば金はもらえないけど「誰も見ないであろう自分のためだけの情報ベース」ができるわけですよ。こっちの方が魅力的ですね。金は一銭も入らないどころか、登録と管理費でマイナスですけど!まぁ、飲み会に行って浪費する分をこっちに回したと考えればいいかな。

何故「新しいこと」にこだわるのか。それは、自分の好奇心を刺激するためです。僕にとっては認知療法的なもんです。昔、あまりに斜に構えて世の中をみて、そのせいで抑鬱に苦しんでいたんですけど、最終的に一切の物事に興味を失ってまさに生ける屍状態になっていました(笑)。全然笑い事じゃなかったですけど。どれくらいヤバかったかというと、もう自分の人生自体に興味を失って、主体性を失い、流されるがままに流されちゃいました。「俺はもうどうせすぐに死ぬんだ!」みたいな自暴自棄状態ですね。

興味を失った瞬間に、世の中は灰色の世界に様変わりです♪これは冗談じゃなく、本当に灰色がかって世界が見えるんですよね。僕は昔アメリカの南部の方にいて、そこは空がめちゃくちゃきれいで、「カロライナブルー」とか「インディアンブルー」って言われていたんですけど、その青さに全く気が付いていなかった!!今当時の写真を振り返っても、やっぱりびっくりするくらい空が青くてきれいなんですけど、超強力な「俺フィルター」がかかっていたために、その青さを認識することができなかったんです。

こんな感じなので、「何かものごとに関心を持つ」訓練として新しいことを初めて見ようと思います。いやいや、思いますっていって結局まだ初めていないんですけど。できるだけ早く始めたい!

興味を持つ訓練

「興味を失うとヤバい」ということに気が付いてから、必死になって日ごろからトレーニングをしておるんですけど、そのトレーニングは超地味です。

「通勤路を注意深く観察する」ですね。これ、バカにできないですよ。いつも通っている同じ道をしっかり観察して、昨日と違うところはないかって探すんです。うすぼんやりと生きていると、同じ通勤路を通っているだけで、そのとき自分は生きていいないんですよね。ゾンビと一緒ですね。そうならないためには、とにかく意識を集中されないといかんですな。

これって、小さいころは普通にできていたんですよね。小学校のときなんて、行き帰りでずっと下向いて飽きずに道ばっかりみていませんでした?子供のころは、すべてが新鮮だから意識せずとも意識的に生きていたんですね。それが、大人になると、すべてが惰性になってしまい、「知っている情報」はバッサリと省略されてしまいます。自分の人生がごっそりと省略されているってなかなか気づかないですよね。で、気が付いたらもう一年か!ってなる(笑)。

脳の省エネ機能

いいのか悪いのか分かならいですけど、人間ってのは省エネするようにできているので、一度行った場所とか、知っていることについては脳が勝手にテキトーな情報に差し替えているみたいですね。これって、めちゃくちゃ怖くないですか?見ているようで、実際にはほとんどなにも観ていなくて、脳が過去のデータからテキトーなやつを引っ張り出してきて、それを再生して「見ていると錯覚させる」んですよ。

たしかに、いつも見ているはずのものを「描いてみて」といわれると描けないです。見ているようで、全く見ていない。見ているとただ錯覚しているだけ。ホント、漫然としていてはいかんですね。常に注意を払って生きていないと、生きているようで死んでいるのも一緒。死というものが「意識を失った状態」とするなら、漫然としているのも死んでいるのと一緒ですね♪ 漫然と生きるな、自分!

おわり

ぐだぐだ書いてしまいましたが、自分の人生を矯正するために何か新しいことに挑戦しようと思います。人生っていうか、人格の矯正ですかね。

失ってしまった興味・関心をもう一度取り戻すために!ちゃんと自分の人生を生きるようにするために!この世の中で起こる事象を「面白がる」ようにしていきたいですね。これまでゾンビのように半死のまま生きてきてしまったとこを猛省しています。もう二度と昔の自分には戻らないとここに誓うのであります… そのためにお酒も2年半一切やめましたし、結構本気です。ちゃんと生きろ、自分!