茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

40歳まであと1年 / 今更ながら自己紹介

ハッピーバースデー、自分!もう39歳と言えばいいのか、まだ39歳といえばいいのかわからんですけど、この夏また一つ歳を重ねました。うーん、やっぱり振り返ってみるとこの39年という歳月は長かった気がするなぁ。「もう一度繰り返しますか?」って訊かれたらちょっと躊躇してしまいますね。別に今の人生が嫌とかそういうわけじゃなくて、単純に長い!!短縮コースならやってもいいけど。

もうすぐ年齢の二桁目が変わるわけですけど、まだ自分が30代だという事実が受け入れられていない!精神年齢が低いもんですから、いまだに20代くらいの感覚でいてしまう。目を覚ましたらあの時の自分に戻っていないかしらなんて事は考えないけど、本当に自分が39かと疑問に思うことはしばしば。

年齢の受け捉え方は人それぞれみたいで、このことを妻に話したら全く理解してもらえなかった(笑)。自分が30代になったのもショックでしたけど、それ以上に、自分の目下の人間も30代になっているというのがショック。

妹とは5歳離れているのですが、いまだに彼女のイメージは赤ちゃんのときのままです。そんな妹ももうとっくに30を超えているだなんてちょっと冗談みたい。うちの妻はそれよりももう少し歳下で、出会ったときはまだ10代。それがいまでは30過ぎとは。なんかびっくりですよ。なんとなーく、みんないつまでも若いような気がしていたのに、時は残酷にも過ぎ去っていく。時間は存在していないと言われますけど、人間の肉体はそれを実際に感じてしまうからどうしようもない。

誕生祝い

今年の誕生日は、妻子は僕の地元に帰っていたのでプチ独身生活をしていました。全く一人で誕生日を過ごしたのは結構久しぶりかも。一人で過ごしてみるとー、まぁ、なんも起こりませんわね(笑)。誕生日というものが単なる言葉で区切られたのもに過ぎないということがよくわかりますな。「こんなものを祝っているのは頭の弱い阿呆どもだぁ!」なんてことは流石に言いませんけど。ただ、昨日も今日も明日もなんの違いもないと、日常が平坦になってしまうので、たまにはハレの日があるとスパイスになっていいと思う。

誕生日は特に何もしなかったのですが、後日地元に妻子を迎えに行ったときに、誕生祝いをしてもらいました。これは全く期待していなかったので嬉しかったです。5歳児の息子はというと、誕生日をまだあまり正確に理解していないので「誕生日=ケーキ」と思い込んでいるようです。まぁ、それでも別にいいんだけどね。「パパ!誕生日!ケーキ!!」って、祝う気ゼロなのね(笑)。

歳をとりすぎてロウソクの数がおっつかない。

妻からプレゼント

なんと、妻がプレゼントをくれました。これも全く予期していなかったので嬉しいかったですね。妻は僕と同じでかなり "繊細さん (HSP)" な性格をしています。彼女が僕へのプレゼントを買うときに何を考えたのかは容易に想像ができます。彼女は、今は働いていなくて家で子供の面倒を見ています。なので、現金収入はゼロ。子供を育てることはものすごく大変なので僕は感謝していますけど、「現金収入ゼロ」に引っかかるのが繊細さんです。妻はプレゼントを買うときに絶対こう思ったはずです。「夫のプレゼントを買おうにも、今の私はお金がないから結局これは旦那のお金。ひょっとしたら『俺の金で何買い物してるの?』って思われないかしら?」と。一般的な人にはこういう思考回路はあまり理解できないかもしれないですけど、こう考えてしまうのが繊細さん。繊細さんとそうでない人は、もはや人種とか宗教の違い以上に異なるもんだと思いますね。同じ地上に生活したらいかんのですよ(笑)。

そんな妻が心理的な障害を乗り切ってわざわざ買ってくれたので嬉しかったですね。

では、妻が買ってくれたものはなんでしょうか?去年に引き続き本をプレゼントしてくれました。他人からもらう本って結構いいなって思います。自分が選ぶ本って、どうしてもジャンルが偏ってしまうので、インプットが自分の好きなところに集中してしまう。「自分フィルター」を介さないで本を選んでもらうと、新しい世界が開けていいですな。

「100の思考実験 (紀伊国屋書店) 著 ジュリアン・バジーニ」

おー、これは前からちょっと気になってたやつだ。買う前に貰えてよかった!

「もう革命しかないもんね (晶文社)  著 森元斎」

この作者のことはこれまで知らなかったのですが、なんと自分と同い年です。しかも子供が2人。頭がめちゃくちゃよくてちゃんと真っ当に生きているというところを除けば共通点がある!調べてみると、専門は哲学でアナキストを名乗っているようです。ん?アナキスト?この前たまたま読んだ栗原康も僕らと同世代でアナキストを名乗っていました。もしやと思い読み進めていくと、栗原康の名前がちらほら出てきました。やはり、つながりがあるようですね。面白いもんです。何かに興味を持つと、意図的であろうとなかろうと、それに関することが自然と近寄ってくるので。妻は森元斎がどう人か知らないで買ったにも関わらず繋がってしまいましたからね。

栗原康も森元斎もすごく個性的で面白くて、既存の社会の枠にははまらない人なんでしょうね。実際にあったら面白いんだろうなぁ。きっとド変態に違いありません。この場合の「変態」は「個性的」という意味で。彼らに共通するのは、まぁ、ひねくれている(笑)。彼らもきっと若い頃から相当な天邪鬼だったんだろうなあ。ただ、僕と彼らで違うのは、彼らは抑鬱で苦しんでないし、頭が賢いことですな。鬱がないだけで人生イージーモードですね。僕も来世は楽天的な人間に生まれ変わりたいもんです。

いまさらながら簡単に自己紹介

ほんとにいまさらなんですけど、自己紹介をしたいと思います。今年の4月から家族で千葉県に越してきました。カシワといいます。8月で39歳になりました。妻と5歳児と1歳児の4人暮らしをしています。都内のメーカーに勤務している、その辺に掃いて捨てるほどいるごくごく普通なサラリーマンの一人です。

このブログを始めたのは今年の5月からで、それまではまったくブログもFacebookTwitterも興味がなかったです。義母がブログをやっていたことに触発されてはてなブログをはじめました。文章が全然書けないので、なにかモノを書く練習になればいいかなぁと思ってやり始めたら、これがなかなかどうして楽しいではないですか。文章能力は上がらないけど、駄文を量産するスキルは多少上がったような気がします。今までは糞尿しか排出していなかったのに、駄文を排出するという新機能が40を前にして加わりました。

スペック

身長も体重も日本人の成人男性の平均ぴったりです。たぶん年収も平均値くらい。頭の良さは残念ながら平均以下ですな。大学のときに何度も留年の危機に遭いました。

幼少期ー超絶明るい期ー

田舎生まれの田舎育ちです。周りは田んぼと山しかないところにおりました。子供のころはめちゃくちゃ元気がよかったです。ものすごくエネルギッシュで、明るく、ひょうきんな子供でした。三つ子の魂百までとよく言いますけど、うん、ありゃ嘘ですな(笑)。もしこれが本当なら、僕は根暗ならぬ「根明」なはず。根は明るい子なんです・・・!

小学時代ーギリギリ明るい期ー

昔の写真をみておりますと、どうやら小学2年生くらいまでは元気がよかったようなのですが、その後徐々にダークサイドに落ちて始めています(笑)。剣道をやっていて、「声が大きい」というだけの理由で賞をもらったりしていました。今の自分と本当に同一人物かと疑ってしまいます。

小学生までは、ギリギリ普通の明るい子でした。いったいどこで間違えた(笑)?

中学時代ー天邪鬼形成期ー

小学校の時まではギリギリ明るく楽しくやっていたような気がするんですけど、中学に入って、自我が確立されてきたと同じくらいに他人との接し方がわからなくなってきたような気がします。そしてこのころから抑鬱のケが出始めてました。そして、天邪鬼な性格が完成したのはこのころです。今思うと、中二くらいのときにダークサイドに落ちてしまって、その後は闇へ闇へと突き進んでしまったかも。

死に対する恐怖とか人生の虚無感っていうを感じ始めていたけど、まだまだちゃんと人らしく生活をしていたと思う。

高校時代ー暗黒面に完全に落ちたー

高校時代は完全に闇落ちですね。黒歴史ですよ。中学校のときにはすでに他人とどう接するのかわからなくなり始めましたけど、高校に入ってからは完成形ですね。もう人嫌いの極みです。友達はクラスに数人だけ。授業もろくに聞かずにずっと寝ている。頭も悪いわ、態度も悪いという最悪な生徒でしたね、客観的にみて。

中学校の時から芽生え始めていたニヒリズム抑鬱が完全に開花してしまい、あとは坂道を転げ落ちるような人生です(笑)。世の中の人が青春を謳歌しているであろう時に僕は一人で勝手に苦しみまくっていましたね。ここから先20年くらい(笑)。

死の恐怖と、どうせ死んでしまうという虚無感が人の5000倍強く襲ってきてしまい、これにずいぶんと悩まされました。今はだいぶ克服できてきたんですけど、いやぁ、本当に苦しかったなぁ。そんなことで悩まない人にとってはどうってことはないでしょうけど、人間、どんな些細なことでも本人にとってはその生命を脅かすほどの悩みとなるもんですね。

浪人時代ー続暗黒期ー

こんな調子なもんですから、大学も滑るっていうか、そもそも生きる気力がもうゼロな感じでした。みんな大学が決まってそれぞれ明るい人生を進む中、僕は浪人することにしました。目的があるならまだしも、特に何もなく、ただぼんやりとしていました。ただなんとなく文系から理系に変えて、鬱々と生きていました。そして、暑がりの僕は日照時間が日本一短いという理由でなまはげの故郷へ旅立ったのでした。

大学を1年で中退ー続々暗黒期ー

まぁ、その結果はお察しの通りです。大学に入りたてのころはまだよかったのですが、また漠然とした恐怖が襲ってきて、一体自分は何をしているのだろうと悶々としはじめ、大学に行かなくなりました。僕が親だったら殴り飛ばしていますね、こんなドラ息子は。

フリーター、ニート、大学入りなおしー続々々暗黒期ー

大学を辞めて地元に帰ってから、フラフラしていました。まわりのみんなはゼミに入ったりしてきちんとしているのに、僕はといえばずっと鬱マックスな感じでしたね。ちょうどこのころから "ニート" が社会問題になりつつあって、テレビの特集とかでそれをみた姉が「これあんたのことじゃない?」って言ってましたね。僕もそれをみて、「あー、おれのことだ」と納得。

このままじゃいけないからとりあえず大学に入りなおすかと勉強をしたようなしていないような、なんとなくまただらだら過ごしてしまいました。

大学再入学ーちょっとだけマシになったー

受験科目に英語がないという理由で静岡にある大学に入りました。ここは元々が女子大だったので、女の子の比率が高くてよいところでした。大学っていうとむさくるしいイメージがあったのですが、この大学はとてもフォトジェニックな感じでしたね。

みんなが入社式に出ているころに僕は入学式に出るという、なんともひどい人間だったわけですが、僕が入った学部は多浪はあたりまえで、最高8浪の人なんかもいたので、何故かそれほど珍しい存在ではありませんでした。クズがクズを呼ぶ、恐ろしいところです。

大学に入って、ちょっとだけまた人と付き合えるようになってきて、いくぶんダークサイドから抜け出してきました。ほんのちょっとだけですが。

しかし、やはり何の目的もなくフラフラしていたので、学業にまったく身が入りません。もともと歴史とかが好きなのに、化学とかの勉強をしてもまーーーったく面白くないんですもの(笑)。そうこうしているうちに、成績は恐ろしく下がっていき、いつも留年ギリギリと言った感じでした。だいたい学部の3割くらいは留年する感じのところでした。毎回毎回再テストでなんとか蘇って単位をとっていましたので、不死鳥といわれたりしました。「なんでカシワくんが留年しないのか不思議だよ」って結構素で言われたものです。

大学院ーまだまだ続くよ鬱期ー

こんなことなら大学院なんていかなきゃいいのに、周りのみんなが6年生または大学院に進むもんだから、自分もただ流れて大学院に行ってしまいました。本当にこのころの自分はクズでした。大学にいったなら勉強しろよと。そもそも、自分の勉強したい学部に入れよと言いたいですね。

僕が入った研究室はブラックだったのかもしれません。7人いたはずなのに3人が途中で院を辞めてしまいました。みんな僕なんかよりも勉強できたのに。僕と違って、進んで大学院に来て、研究者になりたがっていたのに、実にもったいない。そして、僕みたいなやる気のない人間が残ってしまった。

 

あれ、簡潔に自己紹介を書くつもりが終わらなくなってしまった・・・ この続きはまたどこかで。怒涛の鬱マックスな話はまだまだ続きます(笑)。