茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

赤ちゃんが急にめちゃくちゃ歩くようになった

文字はいらない、読みたくない!写真とか絵だけでいい!

平日は文字を読みまくる生活だと思います。おそらく、人類史上こんなにも文字を読まされる時代はこれまでになかったと思います。そして、文字を読まされると同時に文字をたくさん書かされますわね。その大半が意味のないもんですけど!残念。

さて週末ですし、文字は少なめの軽い投稿でもしましょう!写真を見るだけでのものにしようと思います。

この夏に地元に帰りまして、妻と息子たちだけ2週間くらいそこに “疎開” しておりました。僕はというと、仕事があるので先に千葉に帰っておりました。次男 (1) はそれまで数は歩くぐらい、頑張って10歩くらい歩けるかなっていう感じだったのですが、ちょっと見ない間にめちゃくちゃ歩くようになりました。なんかもう異様なくらい歩きまくります。「異様に歩く」ってのも言い方としてどうよ… まぁ、沢山歩くんです。今まで地べたを這いずり回っていたので、二足歩行ができるようになってすごく嬉しいでしょうね、いつもキャッキャしながら徘徊しまくりです。

ここ最近は「空気入れ」という素敵なアイテムを手に入れて、これが痛く気に入ったようす。シュコーシュコーと空気を大気中に出しながら自慢げに歩いています(笑)。なんかそういう妖怪みたい。妖怪 “風おくり” なんてやついないっすかね。

 

なんやこれ!風でるー!!

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めっちゃたのしー

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たべてもうまい!!

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あー、つかれた!

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ズボンの位置が高いのは… デフォルトです。お腹出ると冷えちゃうからね。

さあて、よい週末をお過ごしくださいませ。

おまけ

「とりあえず、赤ちゃんとネコの写真ならみんや好きでしょ?」っていう浅はかな考えの投稿でした。僕は、昔は子供なんで大嫌いでしたし、自分の血を引く存在なんて絶対にいらないと思っていましたけど、姪っ子が出来てから随分と考え方が変わりました。変わったっていうか、かなりまともな方向性に修正されたっていうのが正確かも。恥ずかしながら何かしら哲学的な裏打ちがあったわけでもなく、単純に姪っ子が可愛かったってだけなんですけどね。頭で色々こねくり回して考えるよりも、体感的なことの方が大事かもしれんですね。

子供ができて多少は大人になったかっていうと、これが残念なことに全く成長しない。女性の場合は、肉体的に明らかに変化するので、精神面も強制的に変わっていきますけれども、男の場合はかなかな変わらんもんです。男は女性に「変わってほしくない」と願っても女性は変わってしまう。逆に、女性は男に「変わってほしい」と願っても、これが全く変わらんのだな!ごめんね、妻よ。

ただ、子供ができてより一層生き方について考えるようになりましたね。これは思春期からずっと悶々と悩んでいて、40を前にしても全く答えが出ない大問題ですけど。

いかに生きるか、何のために生きるか。これはなかなか難しい問題です。多分、自分の子供も中学くらいになったら自分に食ってかかるようになると思います。「俺は何のために生きているんだよー!!」って。これに対して「それは父さんもわからんから50年悩んでいるんだ!」なんて切り返したら息子も絶望もんだろうなぁ。でも、そうなりかねん。

人生を上手くやっている人とか、成功者ってのは、割と人生の早い時期に人生の目的を見つけらたケースが多いのかしらと思いますけど、凡夫の場合はこれがなかなか無理ですわね。

生きる意味にとらわれすぎて、余りに固執しすぎて、それがせいで自分を苦しめまくっているという事態になっているかも。「生きる意味なんてないんだよ」なーんて開き直ることができればいいですけど、できます?僕にはできんですね。30年近く考えて、悩みまくって、やっぱりできんです。「人生に意味はない」と言い切れる人はよほど自分なりの哲学を形成できた人か、あんまり考えたことのない人のどっちかですな。あとね、「父親」という立場からは「お前の人生に意味はない」なんて口が裂けても言えんわけですよ。言っちまったら父親失格っていうか、人間として最低。無理にでも言うなら、「人生に意味はない可能性がある」というくらいかな。

「生きる意味と目的がわからない」という点ではとてつもなく不幸な時代を生きているもんです。どうでしょうね、多分日本では1970年代くらいまではこの根本的な悩みに直面することはなかったんじゃないかな。このあたりまではみんな表面的な問題に着目して、それを生きがいにできてきた。会社のために働くこと、お金をいっぱい稼ぐことが生きる目的であって、さらに疑問を抱くのは一部の変な人だけ。「笑ゥせぇるすまん」が出てきた時には、みんな心に隙間がありまくりな状況になっていたから、この時点で日本人は生きる目的と意味を完全に喪失していますね。そしてそれは現代にまで続いている。

僕たちは、少なくとも今の30代より若い世代は、生まれたときから身の回りになんでもモノがあって、「あれが欲しい、これが欲しい」なんていう感情をそもそも持たないまま育ってしまった(と思ってますけど、みんなはどうなんだろ??)。医療も高度に発達して、普段僕らが肉体的に病むことは一昔前と比べると格段に減った。そのかわりメンタルな問題が爆増してしまった。

昔だったら、至れり尽くせりの恵まれた状態ってのは、釈迦みたいな一部の王侯貴族のみだったけど、今や一億総貴族みたいなもんですね。多分昔の貴族たちよりも僕らは恵まれた生活をしている。ありとあらゆる不幸が技術によって取り除かれてしまったが故に、今の僕らは一番厄介な悩みに直面させられてしまっている。何故生きるのかがわからんと。昔みたいに、生きるか死ぬかの状況だったらこんな問題は浮上しないわけで。「生きたい!腹一杯食いたい!」という思いしか生じないですわね。

人生ってのは本当に不思議なもんです。頼んでもないのにいきなりこの世に放り出されて、その意味も目的も与えられないのに、ただ生きてそして死ななきゃならん。普通、ゲームだったら、目的と終わりがあるけど、人生にはなぜか終わりだけあって一番大事なところがすっぱり抜けている。シミュレーション仮説が正しい場合、制作者は何の目的で我々を想像したんだか教えて欲しいもんですな。

「死ぬこと」と「何のために生きるのか (人生の意味と目的)」は人生一番の関心事であり、大問題です。学校ではこういった問題に答えをくれることはないし、そもそも一切触れやしない。あ、生真面目な先生がたまに超どうでもいいご高説をのたまうことありますね… 「そういうのが聞きたいんじゃないよ!」っていう "答え" をくれたり。いくら本をひっかきまわしても、答えはみつからない。ただ、どうやって考えていけばいいかとの手がかりは本を読めばある程度はわかりますわね。先人たちが到達したところから僕らは悩んでいけばよいのかな。週末も悩みは尽きませんな。

ゆっくり休んでね