茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

ブログに文章を書く

今年の5月からブログを始めたばかりなので、僕なんかはまだまだひよっこひよっこ、新米でございます。ブログに対する熱い思いとか、ブログ哲学なんてものは毛頭持ち合わせてないわけなんですけど、ちょこっとブログについて思うところがあったので書いてみます。きっかけは、ライティングの本を読んでこれはいいなという表現があったから、ただそれだけ(笑)。

 

僕の場合は、何百人、何千人、何万人も読者がいるわけではないので、何かヘタを書いても取り返しはつきます。あまりに読者数の多い人は、その影響力が足枷となってしまい、書いて発表した後の結果を考慮せんといかんから、なかなか自由に筆を走らすことはできない思います。しかし、僕みたいに大した影響力のない人間の場合は、(さすがに倫理にもとることや反社会的なことは書かないですけど) 基本的に何を書いても自由!これが影響力のある人だとそうはいかんですね。例えば、昨今話題になっている統一教会について反対の意思表明を示せば、統一教会側の人間から激しいバッシングを受けるようになるわけですから、どうしても苦し紛れに「中立」と言わなきゃいけない。中立って何だよ(笑)?って僕みたいなひねくれ者は鼻で笑っちゃうけど、多分自分も同じ立場になったらどちらにも与しない立場をとるんだろうなぁ。オリラジの中田敦彦の動画を観ると、かなり大勢に配慮して発言をしてるんだなぁって思います。もうサブスク数が300万くらい突破してるのかな。あそこまでの影響力になると、何を言っても叩かれるし、誰かを傷付けてしまうから、限りなく特色のない意見しか言えなくなりますよね。それはもはや意見というのかわからんですが。自分の思っていることを言えないなら、発信する意味の半分くらい失っているような気もするけど。池上彰なんかも同じだと思うけど、やっぱり公正中立なんて、この言葉そのものがおかしいし、欺瞞でしかないからやめればいいのにねぇ。いっそ「俺はトランプ支持だぁ!」とか明確に言ってくれた方が清々しい(笑)。話がそれました。まぁ、とにかく、僕みたいな弱小ブログを書く場合は、そんなに過度に余計なところに配慮しなくてもよいというのがメリットですね。

しかしながら、読者数が少ないからと言って、全く読まれていないわけでもないのです。ものを書いて投稿すれば誰かの目には触れられています。これは実にありがたいことです。ブログを始めた当初なんて、誰か見てくれたと思ったら全部自分だったりしたもんですからね(笑)。こんな脈絡のない文を読んでくださるだけでありがたやありがたや。読んでくださる方が何かを得られるように工夫せんとあかんのですけど、これがどうして、なかなか、駄文が止まらない…!社会にとって有用なものが書けるようにならんといかんですな。今後の課題です。と言いながら、たぶん今後も意味のない駄文を書き続けると思います。このブログが有用性に走ったら書く気がなくなってしまうかもしれませんので(笑)!

ブログは準発表の場

僕にとっては、「めちゃくちゃ読まれているわけではないけど、確実に誰かの目に止まっている」というこの塩梅がものちょうどよいです!ここで、先に挙げた本の表現を借りると、僕にとってブログが準発表の場となっています。あー、スッキリ。この言葉を書きたかった(笑)。「準発表」っていう言い表し方がちょうどピッタリだったから、これを使いたかったのです。

きちっとした公的なものではないけど、かと言って完全なプライベートでもない。僕のブログはこの中間に位置しているとおもいます。公共性の高さによって、自我の発露具合が変わってくるなぁと思います。例えば、日記を例にとってみましょう。これは完全にプライベートなものです。(昔の人は公開を前提にしていたけど、現代人の日記についてです) この場合は、我しかないと言ってもいいんじゃないでしょうか。まぁ、人の性質にもよりますけど、割とネガティブめな人の場合、日記を書くとかなり暗ーいことばっかりになってしまうと思います(僕はそうでした)。日記の場合、想定読者が自分だけだから、色んなことを省いて書いたり、愚痴ばかり書いたり、とても見返すことのできない内容だったりします(みなさんもそうですよね??)。少なくとも、僕の場合は完全プライベートな日記は内容がかなりひどかったです。最近は意図的に矯正したのでまだマシになりましたけど、数年前の日記は読み返して吐き気がするレベル(笑)!

これがブログの場合はどうでしょう?少ないとは言え、「他人の目」が入るので、自分の汚いところがある程度和らげられます。簡単に言うと、ネガティブ度合いが少しだけ減る!他人の目があると、100%ネガティブなことを言うのってなかなか躊躇しますからね。もちろん、そうではない時もありますけど、全体的にみて、完全プライベートな文章よりもポジティブ傾向になります。「ちょっとだけ他人に見られる」っていう匙加減がよくって、これが大勢に見られる場合は、他人の目を気にし過ぎて、当たり障りのないことしか書けなくなるようなきがする。それはそれで、自分の思っている事との乖離ができてしまうからよろしくない気がする。

あと、テキトーなこと書いても怒られないってのも利点ですね。もし何万人も読者がいたら、文章を書く前にあれやこれや調べなくちゃいけないですし、文章を何度も推敲しなくちゃいかんですからね。このブログなんて、書いたら読み返さずにサブミットボタンをポチッと押しちゃってます(笑)。僕なんて書くことがコロコロ変わるから、矛盾しまくりですけど、そんな首尾一貫していない男でもなんか見過ごされるってのはありがたいです(笑)。これがTwitterとかだったら、うっかり変なことを発言してとんでもない炎上に発展するかもしれんてますけど、ブログの場合はそもそもここに人が辿り着かないという利点がありますね。利点なのか欠点なのか微妙なところかもしれませんけど。そして、Twitterと違ってダラダラ書けるのもいいですね。140字なんて「あー、今日も疲れたー」ってつぶやいていたら、あっちゅーまに消費してしまいますからねぇ。僕のような駄文書きにはブログはちょうどいいツールでございます。

ブログを書いていて気づいたこと

僕は文章が全く書けない人間で、それを克服するためにもブログを始めたのですが、訓練の甲斐もあって駄文をダラダラ書く能力だけは上がりました。残念ながら、論理的な文章や、意味のある構造的な文章はダラダラ書いているだけでは書けるようになりませんね。こればっかりはは仕方がない。もしちゃんとしたものを書けるようになりたいなら、意図的な訓練をせんといかんですけど、意識低い系なのでそんなに志が高くない!

無意味にダラダラ書く能力はついてきたのですが、じゃあ文章を書くのが好きかどうかときかれると、正確には文章を書くのが好きなんじゃなくて、空白を埋めるのが好きなだけかもしれない(笑)。文章以外でも、何かチマチマやって空いていることろを何かで埋まることは大好きです。ペンキ塗りとかも好きです。地味な作業が好きなのです。そして、作業が終わってその成果物をみると「あー!今日も無駄なことしてやったぁ!!」っていう達成感があっていいんですよねぇ。ブログの場合だと、画面が黒くなっているのが好き。たぶん、読み易いかどうかよりも、文字が詰まっているかどうかの方が自分にとっては大切かも。読みやすさを強調される昨今では完全にアウトなやつですね。いやー、面白い文章を読みやすく書ける人が羨ましい!そうこうしていたらまた書きすぎてしまったのでこの辺で切り上げます。

ここまで我慢をスクロールして下さった方、ありがとうございます!そして全て読破された方、今時珍しいなんて奇特な方でしょう。ありがたい限りでございます。誰に頼まれるわけでもなくこれからも悪筆乱文を垂れ流していきますのでどうかお付き合いをば。