茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

映画「さかなのこ」を観ました

昨日の投稿で3連休は息子に付きっ切りだったと書いたんですが、その "付きっ切り" の内訳の一つが今回の映画鑑賞ですね。久しぶりに映画を観に行ってきました。

以前、息子がマックでハッピーミールを注文した際に、そのおまけでさかなクンの絵本がついてきて、更にそのおまけ的な感じで映画の告知もされていました。僕はさかなクンに関しては「変な子」ていどの感想しか持っていなかったですし、魚に対して何か特別な思い入れがあるわけでもないのですが、何故か今回の映画は気になっていたのです。

たぶん、気になったのはキャストのせいだろうなぁ。映画「さかなのこ」の主役は能年玲奈なんですよ。今は「のん」っていう名前に変わったのかな。あの朝ドラの「じぇじぇじぇ」の子ですよね。じぇじぇじぇの方のインパクトが強すぎて朝ドラのタイトルが全く思い出せません(笑)。

さかなクンってね、もちろん男性なんですけど、それを女性である能年玲奈がやるの??!ってところにかなりひっかかっておりました。これはもうね、クソ映画臭しかしないなって思っておったんですけど、いやいや、この映画なかなか面白いじゃないですか。見る前から「クソ」だなんて決めつけてスミマセンでした。

映画の感想を書いていきますが、たぶんネタばらし的なことも含まれると思いますので、映画を鑑賞予定の方は読まれない方がよろしいかと思います。

劇中の「さかなクン (ミー坊)」のことを書きますので、実際のさかなクンとはあまり関係のないことだと思いますよ。

ギョギョギョ

あの「じぇじぇじぇ」で有名な能年玲奈が主役なもんですから、僕は「どうせ "じぇじぇじぇ" の子に "ぎょぎょぎょ" って言わせたいだけの映画でしょ~」って思っていたんですけど、意外や意外、劇中で「ぎょぎょぎょ」がでたのは初盤くらいなもので、あとはミ―防 (劇中でのさかなクンのあだな) がテレビ出演をするまでぎょぎょぎょはほとんどでてこなかったですね。

タコ好きからさかなクン伝説がはじまる

さかなクンのことは「いつもギョギョギョっていってる変な子」くらいのイメージしかなかったので、正直全然詳しくなかったです。超魚好きなさかなクンですが、意外にもそのはじまりは魚ではなくてタコだったそうです。

毎週水族館に通っては、ひたすらタコさんを鑑賞していたそうな。これね、親としては結構キツイ修行でしょうね。子供本人はまったく飽きないからいいでしょうが、たぶんタコに強烈な思い入れのある大人ってそんなにいないですからね。

頭からタコのことが離れないミー坊は、起きてる間はずっとタコのことばかり考えていて、タコの白昼夢の中を生きているような子供です。

タコの絵を描いて、登下校も図鑑のタコをずっと見て、夕飯もずっとタコづくし!タコ三昧な生活にお父さんは「またタコかよぉ…」ってかなりウンザリ気味。

あるとき、ミー坊は家族と海に行きました(なぜか友達も一緒に)。海に来てもミー坊は頭の中からタコのことが離れず、海の中でお兄さんとタコを探しをしていました。

劇中では、ミー坊は、自分と同じくらいの大きさのタコをみつけて大喜び!その巨大なタコを体に貼りつけてみんなに見せにいきます。これはねぇ、僕の中では結構気持ち悪いシーンでした。小学生の体に巨大な吸盤だらけの生き物がくっついているんですからね。それよりびっくりなのが、ミー坊を見たお母さんの第一声が「わー、すごい!」。いやいや、「すごい」じゃないですよ(笑)。しかも割と落ち着いた声色でしたからね。普通、そこは悲鳴を上げてもいいんじゃないかな。まあ、劇の中なので実際よりかなり誇張されているでしょうけど。ミー坊もミー坊なら、このお母さんもお母さんだなぁ。寛容を通り越してちょっと頭がおかしいかもしれん(笑)。

"憧れのタコさん" を捕まえて幸せの絶頂にあったミー坊に悲劇が訪れます。息子が捕まえた巨大なタコを見つけたお父さん、その第一声は「でかしたなぁ、ミー坊!!」。いやいや、「でかした」とかじゃなくて、小学生が体に巨大なタコはりつけてきたら、普通 "ヤバい" って思うでしょ(笑)。

そんなお父さん、ミー坊から素早くタコを取り上げると、慣れた手つきでブチブチブチっとタコをシメて内臓 (?) を取り出して、「こうやらねぇとタコはうまくなんねぇんだよッ!!」って言いながらその巨大なタコをコンクリート(?)に親の仇といわんばかりに思いっきり叩きつけます。「おとっつぁん、そいつはオーバーキルだよ」っていいたいくらいに、何度も何度も「バチーン!バチーン!」ってタコを叩きつけるんですよ。たしかに、タコって硬くなっちゃうから、筋繊維をほぐしてやらないといけないらしいですけど、お父さんの目が殺気立っていて超怖い!息子のタコ好きのせいでタコ料理ばかり食わさせられた恨みを晴らしているようでしたね。

このシーン、僕には結構キツかったですねぇ。それまでほのぼのとした映画だったのに、何故ここで急にグロテスクなシーンを持ってくるよ!!これは子供が見たらトラウマになるんじゃないかな。

タコさんは、そのあとみんなでおいしく食べましたとさ。なんか、色々とトンデモナイ家庭だなぁ。

ギョギョおじさん

この映画には、なんとさかなクン本人も出演します。劇中では「ギョギョおじさん」という不審者 (?) 役なんですけど、挙動は普段のさかなクンそのままですね。さかなクンがいつも通り「ギョギョギョ!!」って叫んでる感じです。

劇中のギョギョおじさんは「没落した元金持ち」っていう設定で、特に定職はない感じです。あきらかに怪しい中年のおじさんです。

ミー坊が「ギョギョおじさんの家に遊びに行きたい」と親に伝えると、お父さんは間髪入れずに「そんなもんダメだ!ダメに決まってる!!」と否定します。うん、たぶんこれは父親として正しい判断です。だって、ハコフグの帽子をかぶって「ギョギョギョ」なんて言ってるおじさんはどっからどうみても怪しいですからね。

ところが、観音様レベルで寛容なお母さんは「いいじゃないのぉ」とギョギョおじさんのところに遊びに行くのを許してしまいます。微塵も人を疑おうとしないお母さんの性善説原理主義者っぷりにちょっと不安を覚えます。ホントにいいのか、お母さん?

結果、ミー坊とギョギョおじさんは "魚好き" ということで意気投合し、時を忘れて魚に夢中になっていたら、夜中の9時過ぎになってしまって警察に通報されてしまいました(笑)。

この時、ギョギョおじさんがミー坊にハコフグの帽子を渡すシーンがありました。これはちょっと驚きましたね。だって、さかなクンが帽子を取った姿ってみたことないですもん。国会に呼ばれたときなんかも頑なに(?)ハコフグの帽子を取らなかったんでしょ?なかには、あのハコフグこそがさかなくんの本体だと思っている人もいるでしょうに、そのハコフグをあっさりと取り外したんですもの。

で、さらに驚きなのが、帽子をとったさかなクンがあまりに普通過ぎてなんの驚きもなかったことです(笑)。まぁ、そりゃそっか、ただ帽子をとっただけだもんね。僕にとっては「帽子なしさかなクン」はなかなかのレアシーンでした。

このギョギョおじさん、魚にめちゃくちゃ詳しいけど、ちょっと変わり者で、社会にでて働いているわけでもない。これは、ひょっとしたらさかなクンのもう一つの可能せいかもしれないですね。現実世界のさかなクンは、魚好きという才能を余すところなく発揮して、「成功者」になったわけですけれども、もしテレビというメディアにでることがなかったら、このギョギョおじさんのように、一般社会に溶け込めないただの変人として終わっていたかもしれないです。

最後の方で、ギョギョおじさんがテレビに出ているミー坊に興奮シーンがあるのですが、これはその成功者と落伍者の対比かなぁと。

小学校でミー坊新聞が先生の間で認められる

学校でも何かにとりつかれたように魚の絵ばかり描いていたミー坊ですが、あるとき先生に職員室に呼び出されます。一体何事かと思いきや、ミー坊が発行していたオリジナルの新聞の出来があまりにも秀逸だったので、釣り好きの先生から大絶賛を受けたのです。これはさかなクンの自己形成に非常に重要な成功体験だったでしょうね。

仏様のようなお母さんから自分の好きなことをしてもいいと認められて、そして先生たちから賞賛されて自分の長所が魚好きでなおかつ絵を描くことであると幼少期に悟ったわけですからね。自分が他人と比べて何が優位であるのか、これが幼少期にはっきりとわかることってなかなかないので、いい経験ですね。これがはっきりとわからない、もしくはないからこそ、大半の人は悶々と過ごすことになりますわね。

周囲の大人たちに恵まれていたからこそ、ミー坊の特殊な才能はぐんぐんと伸びていったんですね。僕たち大人はなんでもかんでもダメだダメだっていって、子供の可能性を摘み取ってしまうので気を付けないといかんですね。子供の才能を伸ばそうとするんじゃなくて、いかに邪魔をしないかってのが大切かな。ミー坊も幼少期に魚好きを全否定されたら、その才能は開花しなかったわけで。そして、ミー坊のおとっつぁんは「あいつキモイ」くらいの勢いでミー坊の魚好きを全否定していました(笑)。理解あるお母さんがいたからミー坊はすくわれましたね。

高校に入ってからも相変わらずの魚好き

高校に入ってからもミー坊の魚好きは止まらず、というかむしろ加速しちゃって結構ヤバい感じになっています。魚の剥製を作って机の中にしまっていますからねぇ、同級生にいたらちょっとお近づきにはなりたくないですね。

不良グループに目を付けられるも、ミー坊の空気の読めなさがズバ抜けていて、不良たちとの会話が全然成立しない(笑)。コミュニケーションがあまりに成立しなくてミー坊に空恐ろしさすら感じてしまいます。不良グループに絡まれても、なぜかみんなさかなクンの独特な雰囲気に飲み込まれて戦意を失い (? )最終的に仲間のような感じになってしまいます。空気の読めなさが訳の分からない特殊能力に昇華していますね。コミュ障も極めれば、それが逆にコミュニケーションツールになるのかしら。

他の学校の不良たちと衝突した際も、「みんなでアオリイカ食って大団円」という謎な展開を迎えます。このとき、アオリイカのおいしさに感動した相手校の不良のトップ(籾山(通称: カミソリモミ)) はその後、すし職人に弟子入りして、自分のお店を持つようになります。

魚以外の科目は全く振るわず…

魚に関しては異様な能力を示すミー坊ですが、その他のお勉強はからっきしです。先生とお母さんとの三者面談では、成績の悪さを指摘されて、もっと勉強を頑張ってくれと言われるのですが、なぜかお母さんは「この子は魚と絵が好きだからそれでいい」の一点張り(笑)。

「みんな違ってみんないい」を極めるとミー坊のお母さんになりますね。みんなお勉強できる子ばかりじゃロボットみたい。この子はこの子の良さがあるから、それでいいの。って、すごい達観してるなぁ!僕は、ミー坊よりもこのお母さんのことがちょっと心配になってしまいました(笑)。

この作品では、お父さんとこの先生が常識や世間代表として描かれていて、お母さんがミー坊派 (子供の個性尊重) として描かれています。父親っていうのは、子供を社会に出す責任があるので、現実的なキビシイとことを言わなきゃいけないのです。しかし、その "子供のため" の言動が子供の想像力や才能を奪ってしまうこともありますわな。これは匙加減が実に難しいですね。

ミー坊は最終的に成功者になったからよかったものの、一歩間違えばギョギョおじさんみたいになったかもしれないっていうか、確率的にはそっちの方が高いですからね。このリスクを考えると、お父さんや先生の取る態度は「正解」であって、お母さんの浮世離れした対応の方が「不正解」かもしれません。

でもまぁ、なんにしろミー坊はちょっとぶっ飛んでるから、普通の生活は送れなかったでしょうねぇ。詳細は描かれていなかったですが、どうやらそんなちょっと問題児であるミー坊に対する教育方針も両親の離婚原因の一つだったっぽいですね。両親の離婚後は、ミー坊はお母さんと二人暮らしをしていたみたいです。

劇中では大学受験をしたのかどうかは不明でしたが、大学には行っていないようですね。お母さんに後押しされて、家を出て東京にいくことになりますが、引っ越し後の部屋のシーンがよかったですねぇ。

ミー坊は魚が好き過ぎて、狭いアパートにもたくさん水槽を置いて魚を飼育していたんですけど、畳の部屋だろうがリビングだろうがお構いなしだったんですね。普通の親だったら、さすがに「畳の部屋に水槽は置かないでくれ」ってなりますけど、ミー坊のお母さんはそれを許しているんですよ。ミー坊の引っ越しと同時に、水槽も搬出されたわけですけど、水槽のあった畳はカビだらけになってるんですよ。僕だったらマジで勘弁してくれって思いますけど、それを受け入れちゃうのがこのお母さんの懐の広さですね。

何をやってもうまくいかない

さて、家を出たミー坊は職を転々とします。劇中では水族館の飼育員やすし屋を経験しますが、全くうまくいきません。やっぱりね、だと思いましたよ(笑)。能力を魚に全振りしているので、通常の人が問題なくできることがミー坊にはできないんです。天才の典型的なパターンですね。行きつけの魚専門のペットショップの店長に拾ってもらってなんとか糊口をしのぐことになります。

これはなかなか勉強になりますね。「好きを仕事」にして失敗するパターンですね。よくあるんじゃないでしょうか。本が好きだから本屋の店員になるとか、音楽が好きだから、エンターテインメント系の会社に入っちゃうとかね。

ミー坊の場合は、魚は好きだけど、単調な作業とかが全くできないので普通の仕事には向いていなかったんですね。個性が強烈過ぎるので、それ自体を売りにするのが一番よかったんだけど、それに気づくのには時間と試行が必要だったんですね。

ちょっとだけ大人になる

実話かどうかは知りませんけど、ミー坊のところに幼馴染が子供をつれて転がり込んできて、しばらくの間奇妙な同棲生活をしていました。疑似家族生活をしていく中で、浮世離れしていたミー坊にもおそらく責任感がわいてきたのでしょう、命よりも大切な魚の水槽をいくつか処分して、さらにペットショップの店長に「金が欲しいからもっと働きたい」と懇願します。

これまでずっと子供じみていたミー坊が初めて大人らしい様子をみせました。家族 (?) を持つことによって成長したんですね。

しかし、そんな疑似家族生活も長続きはしませんでした。たぶん、自分たちがミー坊の負担になっていると感じて、幼馴染は家を出ていく決心をしたんでしょう。

ミー坊は、子供のためにプレゼントを買ってきたのに、部屋の中に入ると子供が描いてくれた絵と家の鍵が机の上にポツンんとおいてあるだけ。いるはずの家族がいない。これには、さすがのミー坊も大ショックで、居酒屋で飲んだくれて「シシャモをだせー!樺太シシャモはシシャモじゃねぇ!モノホンのシシャモをだせー!!」っとちょっと面倒くさい海原雄山みたいな感じになっていました。

お母さんの口から衝撃の事実が明かされる

この後、高校の時の不良友達と再会して、カミソリモミのすし屋の壁に絵を描くように依頼されます。ミー坊は張り切ってお店の壁に絵を描きまくります。まさに水を得た魚のように必死になって絵を描いたのです。

お寿司屋さんのオープンの時に、ミー坊のお母さんもやってきて、一緒にお寿司を食べることになったのですが、ここでお母さんの口から衝撃の事実が明かされます。

お母さん「実は今まで黙っていたけど、お母さんお魚苦手なの

ミー坊「えっ!?」

お母さん「お父さんとスミオ (兄) もよ。だからー、お父さんたちにはちょっと無理させちゃったかもしれないわね」

なんということでしょう。お母さん、今更そんな重要なこと告白しちゃうの(笑)??ミー坊家で魚好きはミー坊ただ一人で、他のみんなは魚嫌いという衝撃の事実です。それなのに、みんな毎日毎日食卓に魚が出るのを我慢していたんですね。親が離婚した主要原因はたぶんミー坊でしょう(笑)。

この後、お店の絵が評判になって他にもオファーをもらったり、同級生からテレビ番組の出演依頼を受けたりして、ミー坊はやっと自分の転職に出会います。「さかなクン」の誕生ですね。

能年玲奈が案外しっくりくる配役だった

作品を見る前は、「なぜにさかなクン役を能年玲奈がやんの??」って疑問視しておったんですけど、これがなかなかはまり役だったと思います。能年玲奈の天然な感じっていうか、ちょっとイッちゃってる感じがさかなクンにぴったりでしたね。

今回の映画は、僕は親目線で観たわけですが、さかなクンはお母さんあってこそ誕生したんだなぁって思いました。現実にはあんなに寛容なお母さんは存在しないですよ。普通なら、さかなクンの才能をペキッと折ってそれで終了です。世の中にはいつの時代も天才が生まれているんでしょうけど、その才能をちゃんと開花できる人は本当に一握りなんでしょうね。僕も子供を育てるときは気を付けないと。いかに変な口出しをしないか、いかに阻害しないかですね。

で、ここまで書いてあれですけど、なんでさかなクンが映画の題材に選ばれたんだろう?なにか受賞したりしたのかな。次は武井壮あたりも作って欲しいな(笑)。