茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

飲み会で一人だけ酒を拒否する

酒をやめてから今月でちょうど3年が経ちました。それまでの人生は酒にまみれたひどく惨めな生活を送っておりました。生活の中心が酒になっていて、完全に堕落した人間でした。

このままでは肉体的にも社会的にも死んでしまうと思い、酒をきっぱりとやめて、この3年間一滴も飲んでおりません。というと、なにか真人間になったかのような感じもしますけど、それまでがひどいマイナス状態だったので、これでやっとゼロポイントに戻れたかなって感じです。まだ普通の人間レベルに戻ってはいないです(残念)。

「よくやめられたね。ちょっとくらい飲んでもいいのに」とよく言われるのですが、これは全く逆な話で、酒がやめられない人間だから、一切断つしかなかったわけです。ちゃんと自制心のある人間ならゆるいやめ方ができまでしょうけど、自分みたいなクズ of クズな人間の場合は、中途半端にやめることができないのです。この感覚はクズにしかわからないかもしれないですね。"ちゃんとした" 人だからこそ、中途半端にやめられるのであって、れっきとしたクズにはそんな芸当はできないのです。

たまに、飲み会の時だけタバコを吸う方がいらっしゃいますけど、僕には全くできないことです。一度吸ったら最後。次の日からベビースモーカーに逆戻り確定です。実際に何度もこんな感じで禁煙に失敗してきましたし。

何かにすぐに依存してしまう人間は、依存対象から完全に隔離されてしまうことが一番ですね。視野に入ってしまうから、本能が搔き乱されるわけですね。

僕の場合は、タバコは割と我慢ができたのですけど、お酒の場合はなかなか難しい。どうしても仕事上、取引先との会食は避けて通れないですし、皆さんがお酒を飲んでいる中で自分だけ酒を断るのは、明らかに空気を読んでいない(笑)。

今日の会食相手は、半数が宗教的にお酒がタブーな国の人たちでした。そんな彼らですら、相手が日本人だからと付き合いで酒を軽く飲んでくれているのに、そんな空気を完全に無視して僕だけ完全に酒を拒否!!

これはね、流石に上司たちの評価を落としたでしょうねぇ… 上司たちからは直接的には酒を飲めとはいわれませんでしたけど、代わりに上司ではない人から散々に「酒ぐらい飲めよ」とか「1杯くらい付き合いで飲めよ」と言われました。くどくどと言われましたよ。まぁ、昨今はアルハラで簡単に訴えられてしまいますから、上司は酒を飲めとは絶対に言わないですね。墓穴を掘るほど馬鹿じゃないということですね。でも、直接関係のない人はガンガン言ってくるもんですね。羨ましいなぁ、こういうことを良心の呵責なく言える人って。

今日の一次会は一人当たりワイン1-2本くらいだから大して飲んでいないと思いますけど、それでも最後の方はみなさんホロ酔いな感じになって、中国式(のような) "乾杯" をやっていました。昔みたいにアホみたいに酒を飲むことはなくなりましたけど、それでも名残のようなものはまだありますね。こういうのをみると、東アジア人だなぁって実感します。遺伝的にお酒があまり飲めない人種なのに、東アジアの飲み会文化が激しくなってしまった理由が知りたい。なんてことを思いながら、一人だけ酒を酒を拒否し続けていたら、昔の上司 (日本人) に "I'm very disappointed that you have quit drinking." なんてちょっと目が真剣な感じで言われたり、5年ぶりくらいに会った人からは "Seriously? I remember you drank tons of alcohol." と言われる始末。おいおい、昔の自分は一体どんなイメージだったんだと自分で突っ込みたいところですが、やはり周りからの評価は「飲んだくれ」だったということで間違いなさそう。

酒を飲んでいたら飲んでいたで「こいつはダメなやつだ」と烙印を押され、酒を飲まなきゃ飲まないで、「酒を飲まないからこいつはダメなやつ」と烙印を押される。進むも退くも地獄ですな。飲酒の業は深いのでございます。

一次会で今日は解散!ということにはまずなりませんね。むしろ二次会の方が本番かも。酒が入った状態での会話なので、「あいつは仕事ができないからダメだ」みたいな不毛な会話が多いですね。きっと自分も酒の席で散々ボロクソに言われているんだろうぁ。でもまぁ、こういう昔ながらの生産性ゼロな飲み会って久しぶりなのでなんかちょっと懐かしい気もしました。改めて思うのは、やっぱりこの手の飲み会は四半期に1回とか、半年に1回で十分だなぁ(笑)。

そうこうしているうちにお店の閉店になってしまい、終電間際で家に帰りました。電車の中はぐでんぐでんに酔ったお父さんたちの屍が何体も横たわっていました。昔は自分もそのうちの一体だったのですが、今は素面。自分にこういう飲み会の文化の善悪を評価する権限はないですけど、ただ、今後はどんどんなくなっていくんだろうなぁ。僕らより上の世代は飲みにケーションに重きを置いていますけど、僕らよりも下の世代はそんなのは通用しないので、もっとクリーンでドライな関係を求める風潮が広がっていくんだろうなぁ。

パワハラについて

飲み会と同様に、パワハラに対する考え方も、僕らより上の世代と下の世代では絶望的なくらい理解に差がありますね。今の50代くらいの方々は「昔はそんなのは当たり前だったのに、時代が変わったからパワハラパワハラってうるせーよ」っていう感覚をもっている方がわりといるみたいですね。なんちゅーか、この考え方がそもそもダメなんじゃないかと思う。パワハラもセクハラも、それが良しとされていた(と思われている)時ですら、ダメだったと思うよ。時代の倫理が変わったという人もいるけど、今現時点でダメとされていることの多くは、昔でも理性的に考えたらダメだったでしょうよ。ただ、それが広く問題視されているかされていないかだけの違いだけで。

例えば、江戸時代の初期くらいはまだその辺歩いている人を辻斬りしちゃうくらいは普通にあったし、罪の意識はすごく軽くて割と許容(?)されていたけど、この当時の理性的な考えを適用したら、やっぱり辻斬りはアウトだと思うんですよ。江戸初期から中期にかけて価値観が変わったときに生きていた人たちはこんな会話をしていたんじゃないかな。

 侍 A「最近は百姓斬ったくらいで五月蠅いんだよぁ。いったい何で刀の切れ味を確かめればいいってんだよぉ」

 侍 B「全くだよあな。犬コロ斬るのもダメっていうしな。何斬ればいいんだよ。」

あ、侍なんか持ちだしてきたら話がよく分からなくなってきてしまった(笑)。

パワハラにつては、世代間の認識のギャップがあまりにひどいですね。これはそのままパワハラをする側とされる側の認識の差なんでしょうね。

「おれらの時はもっとひどい仕打ちをうけた」という方もいますけど、だからといってそれを若い世代にしてもいいという理屈にはなりませんし、自分が嫌な思いをしたのなら、若い世代には同じ思いをさせないようにしないといかんですね。・・・とはならないのが人間の難しいところ。なんで他人を不幸にさせたがるのか不思議ですね。