茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

みんな悩んでいるというウソ

世の中には細かいことに躓いてしまう人と、そうでない人がいます。最近では便利な言葉が発明されたので、前者のことをHSPとか繊細さんって読んだりしてますね。じゃあ、その反対はなんていうんだろう?鈍感さんっていうのかしか。ちょっと失礼な響きだな(笑)。普通に「普通の人」でいいのか。

繊細さんってのは通常の人が気にしないような細かいことに気が向いてしまって、悩んだり傷ついたりします。悩み事が他人には瑣末なこと過ぎて「考え過ぎ」なんて一蹴されることもしばしばなんじゃないでしょうか。挙句、「悩んでるのはみんないっしょよ!悩みのない人なんていないんだから!悩んでるのはあなただけじゃないわよ」なんて高圧的な意見を言われたりするんでしょうなぁ。まぁ、確かに世の中悩みのない人はいないんだろうけど、なんかこの言説には違和感を感じます。まるでみんなが「同じ程度で悩んで」いるかのような意見に聞こえます。果たして本当にそうなのか?今まで会ってきた人たちを振り返ってみても、明らかに生きやすい人生を歩んでいる人と、辛い人生を歩んでいる人がいた。しかも、その差を生み出すその原因が必ずしも外因的なものではなく、内因的なもの、その人のパーソナリティに起因するものが結構多いように見受けられる。誰もが同じように悩みを抱えているようには思えないんだよなぁ。「風邪気味」くらいの悩みで済んでいる人もいれば、常に「末期的」な悩みに苦しんでいる人もいる。後者の場合、現状をなんとか改善しようとして、その “治療” のためにより一層症状を悪化させてしまったりする。

人の心ってのは外観からは全くわからないから厄介なもんです。ちょっと油断すると「みんな同じ」と勘違いしてしまう。「心に傷を負ってる場合は顔面にめっちゃアザが出る」とかだったらわかりやすいけど、そういうことはない。

人間の体質が人それぞれ違うように、心の在りようも千差万別。どれだけ違うかってのは、体を例に挙げればわかりやすいとおもうんですよねぇ。私は、昔はものすごく暑がりで汗っかきでした。なので、真夏が全く耐えられるなかった。みんなが「暑いよね〜」なんて呑気に言ってるときには、こちとら汗だくでそんな言葉も出ないレベル。暑いねぇなんて言ってる輩はまだ暑さを楽しむ余裕があると思ってました。同じ気候の中に置かれても、その感じ方は全く異なります。個人差が絶望的にあり過ぎて、共通する「暑い」がどう頑張っても成立しない。しかし、この違いを細かく説明するボキャブラリーなんて存在しないので、我々共通の暑さがあるかのように表現されてしまう。”35℃” みたいな感じで客観的に数字で気温を表すこともできるけれども、それはあくまで物理的な状況を説明しているに過ぎない。個人個人についてまでは踏み込めない。

寒さについても然りですね。私は暑がりな反面、寒さには滅法強い方だったので、関東くらいの寒さであれば冬場でも平気で半袖で出かけたりしていました。なので、「寒がり」とか「冷え性」っていうのが全く理解できませんでした。両者の間には圧倒的なディスコミュニケーションが横たわっているので、お互いがお互いを理解することはできないと思います。みんな自分の感じ方を疑わないので、「みんな同じ」だとついつい思い込んでしまう。

身体に関することはまだ数値化できたりするので、みんなが「違う」ということが表すことができなくはないのですが、精神的なものになった瞬間に歯が立たなくなる。何故か「みんな同じ」幻想が立ち現れてしまう。だから、「みんな苦しんでるわよ」とか「みんな悩んでるよ」みたいな暴力的な言葉を平気な顔して他人に投げつけてくる。たぶん、こういうことを平気で言える人は大して悩んでないんだと思う(笑)。そして、残念なことに(?)世間の圧倒的多数は繊細さんではない方の人たちだ。繊細さんたちがいくら「苦しい」と訴えたところで、永遠にその言葉は届かない。残念ですねぇ。そもそも「そんな人がいる」というところまで理解が及ばないんですからね。

繊細さんたちは内省的な人が多いと思うんですけど、だいたいこういう人はネガティブかなぁ。でも、世間はしきりに「ポジティブシンキング」みたいな害毒にしかならないような考え方を撒き散らして、金科玉条のようにしている。繊細さんは「ネガティブはダメだ!ポジティブにならなきゃ!」と “頑張って” ポジティブになろうとして、より一層疲弊していってしまいますね。ポジティブになろうと思ってポジティブになれるやつは、そもそもがポジティブなんだよ(笑)。個人の性質は多少の変化することはありましょうけど、核となるところはほぼ変わらない、もしくは変えるのが困難だと思います。三つ子の魂ですな。魚が無理して鳥になろうとしてもなれない。たまに自分がトビウオだったと知らなかった人が飛べるようになって、「ほら、僕も変われたからあなたも変われる!」と啓発しようとしてきますけど、いやいや、なんか元が違うぞと。

人間を無理矢理繊細さんと鈍感さんに分けるとすると、この繊細さんってのは現代社会では明らかに不利になることが多いです。繊細さんが持っている特徴は一般的にはネガティブなものとして受けたら得られることが多いですから。例えば "100苦悩" があったとして、多分繊細さんは"1万苦悩"とか"1億苦悩"に増幅させてしまう。そういう才能なんだからしゃーない。ところが、鈍感さんはこれが100そのままか、本当に鈍感な人だと気づかないことすらある。客観的にみたら100苦悩は100苦悩なので、「みんなが同じように」それを受け取っていると考えられてしまう。酒を1升飲んでも酔わない人がいたり、一口飲んだだけでも倒れてしまう人がいるように、精神的なもののダメージも個人差がかなり激しい。なのに、何故かそのあたりがあまり考慮されない。不思議だなぁ。人によって「違う」のではなくて、「全く違う」のに、何故かこの理解がすっぽり抜けてしまう。脳にプラグでもブッ刺して他人の思考が見えれば、いかに僕らが違う世界を生きているかわかるのにねぇ。

いくら繊細さんが「辛い、苦しい」と言ったところで、社会の少数派だから、無視されるのがオチ。これは残念だけどしょうがないよね。諦めるしかない。

うちの息子が繊細さんな気質がかなり強いので、こんな駄文を書きました。いや、息子とこの駄文は関係ないか。ただ書きたかったから書いただけですね。息子の特徴を殺さないようにするにはどうすればいいかなあと日々気にかけております。彼のモチベーションを奪わないように、彼の創造性を奪わないようにと気を付けて、気を付けて… その結果なのか、ものすごくわがままなモンスターに育ってます(笑)。多分、育て方ミスったな。