茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

気持ち悪い

日立の牛久、これだけ色々と整っているのに何もない。こんなに気持ち悪い街は初めてだ。この街なんなんだ?綺麗に整っているのに、何もない。人間がいない。人間を前提としていない。こんな街で人間が生きていけるのか??この違和感はなんなんだろう。

飲酒地獄

コロナが始まる前くらいに、なぜかふと「もう酒をやめなきゃ」と思って、その日以来4年近くぴたっと飲酒をやめていた。元来大酒飲みで、家族も周りの人間もちょっとひくくらい酒浸りな生活。正直、当時はアルコール依存症だったと思う。

そんな酒飲みが突然酒を辞めたもんだから、周りは私に何か起きた(酒で失敗した)んだろうとか、病気になったんじゃないかとか疑いだした。まぁ、酒で失敗するのは毎回だが(後悔しても何故か反省はしない)、特段何かがあったわけではなく、このまま酒を飲み続けたら廃人になってしまうと思って、コロナが始まる前に断酒した。

コロナという状況もちょうどよかったと思う。人間との直接的な接触がなくなり、同時に会食の機会も消滅。だから誰かに酒を強要されるような機会もなかった。だからこそ、4年間も1滴も酒を飲まずにやり過ごせた。

当時は(今も)、もう酒なんて今世ではいらないし、飲みたくないと思っていた。酒とか煙草とか、麻薬類もそうだが、世の中の薬物なんて百害あって一利なしだ。「酒は百薬の長」なんていうのは、平賀源内みたいな天才的なやつが酒のプロモーションのために生み出した言葉なんじゃないか。百薬の長どころか、万病の元といって差し支えない。

これだけ酒をディスっているのに、一旦飲酒を再開したら、あれよあれよと元の生活に戻ってしまった。日本に戻ってきてから取引先との会食とかちょいちょいある部署に戻ってきてしまったのが原因。あと、単純に周りに酒飲みが多い。最初のうちは、頑なに酒を断っていたが、いかんせん周りの人間は私の過去の飲酒歴を知り尽くしているので、まぁ、あれやこれやと進めてくるし、「サラリーマンなのに酒を飲まないなんてありえない」みたいな説教まで垂れてくる。

毎度毎度色々言われると、こっちも疲れてくるし、いい加減腹が立ってくる。このくそやろうが!そこまでいうならてめえらが後悔するまで酒飲んでやる!ってんで、飲酒を再開したら、今度は「お前は酒を飲み過ぎだ」「酒癖が悪い」といわれる始末。だから、4年間1滴も飲まなかったんじゃねぇか!

まぁ、飲酒をしてすべてが悪かったかというと、そういうわけでもない。飲みつながりでいろんな部署の人間ともつながりができたので、「0.5利」くらいはあったといっていいかも。煙草もそうだけど、コミュニケーションツールとして使えてしまうから、社会人としては、いっそうやめるのが困難になる。今まで泥酔状態で付き合ってきた人と、今更シラフで付き合えって言われても、そりゃ御無理でございやしょう。

しかし、まあ、やはり私にとってはできるかぎり酒とは距離を置いた方がいい。酒とか煙草とか依存性のあるものに弱過ぎるのだ。煙草はもう10年吸っていないが(正確には、飲み会の時に中国人とかに強制的に何度か吸わされた)、「やめた」と断言できるまでに何十回何百回も禁煙に挑戦してことごとく失敗してきた。

酒の場合もそうだ。4年間断酒するまでに、何度も何度も断酒に挑戦しては失敗を繰り返してきた。その度に、自分の意志薄弱さに嫌気が差して、さらに飲酒が進んでしまうという罠。いっそ、意気込んで断酒するとか思わない方がいい。自分は意志の弱い人間なんだから、思い立っただけで酒を断てることなんたぁ来世でもできない。

でも、やっぱりできれば酒を断ちたい。こんなの本当はいらねぇんだ!と理性の方の自分は叫んでいるのに、依存症だから体の方が勝手に求めてくる。理性vs本能の闘いだから、だいぶ理性には分が悪い。酒でプラスになることなんて、冷静に考えたら何もない。こいつは、マイナスをただゼロにしてくれるだけのものだ。それなのに、相対的にプラスになったような気がするからやめられなくなる。煙草だってそうだ。気分が落ち着くのではなくて、イライラが基準点のゼロに戻るだけなのに、なぜか勘違いをおこしてしまう。そのイライラは煙草のせいで生じているのに。でもやめられない。お酒もやめられない。酒のせいで落ち着かなくなっているのに、酒がなければ生きていけない体になってしまう。

酒のやばいところは、ウシジマくんに出てくる多重債務者みたいなもんで、どんだけいっても借金が減らない。酒の飲みは今日の鬱憤を晴らすために酒を10だけ飲むが、次の朝には負債が11になって返ってくる。こいつを返すために次の日は11飲んで、その次の日は12の負債になって自分にのしかかってくる・・・終わりのない地獄だ。いくら返しても返しても、借金の付け替えしかしていないから、まったく減らない。何が人生を悪くしているかって、そりゃ酒だろうが!こんちくちょう、やってられるか!ってまた酒をあおって、次の日、重い体をやっとのことで布団から引きずり出すことになる。

ここまで酒のことを悪く書くなら、断酒宣言をするかと思いきや、それはしない。もちろん、酒なんていらないし、ない方が絶対にいいという考え方は変わっていないが、断酒宣言は自分の首を絞めるだけだ。あと、今の環境にいる以上、どうしても取引先と会食する機会が生じてしまう。

なんの業かはわからないが、しばらくは飲酒と断酒の間をいったりきたりしなければいけなさそう。いったん酒を再開すると「くそ!どうにでもなれ!」とありえんくらい酒を飲み続けてしまうのが厄介だ。いかにして、できるだけ早くゼロ状態(断酒)にもっていけるか・・・これが難しい。

次の人生では下戸に生まれたい・・・それか、酒の飲めない地域に生まれ変わりたい。日本はいかんせん酒に対する規制が緩すぎる。坊主だって普通に酒飲むし、酒どころか、浄土真宗でもないのに妻もめとるし、こんな国は他にないんじゃないのか。戒律の厳しい国なら、私のような酒飲みなんて存在できないハズ。

新しいテクノロジーはとりあえず規制しとけ

「新しいテクノロジーはとりあえず規制しとけ」みたいな考え方を持っている人が一定数というか、相当数いるような気がしてならないです。慎重なことは悪いことではないけど、はたして・・・

ChatGPTが出現してから数年が経ちますが、いやはや、近代以降すごい勢いで発達してきた科学技術が、いよいよこれまでにない領域に突入しつつあるんだなぁと思います。何がすごいかって、開発している人たちももう今後何が起きるかわからない状態になっている。今はまだ人間がAIの開発をしていますけど、そのうち人間では追いつかなくなってしまい、AI同士でAIの開発をして、それを人間はポカンとみつめるだけになってしまうかも。

「日進月歩」なんて言葉ではもう生ぬるいので、何か代替する四字熟語を作らないとね。こんなわけのわからない変化の時代に生きていると、人間の取る行動はだいたい3つ。

1. 新しい波に乗る

2. しばらく静観する

3. よくわからないので、とりあえず拒否する

この3番目のタイプはホントよろしくないと思う。1番のアーリーアダプター達はときにずっこけることもあるけど、新しい技術がどんなものかわからないから「なんかとりあえず嫌」みたいな態度をとると、新しい世界に全く追いつけなくなってしまう。

ChatGPTが出てからは、あまりに感動して毎日使いまくっています。私の場合は、主に語学学習とか、自分の英語の修正とか、契約書とかのお堅い文章の修正に使っています。いまだにハルシレーションが起こるので何が正しいのかちゃんと意識的に使わないといけないのですが、多少のハルシレーションに目をつむってもそれでもそんじょそこいらの人間よりも遥に優秀。

もっとみんなも使えばいいのになぁと思っていたのに、突然務めている会社から使用禁止のお達し・・・ 情報漏洩の可能性があるから言語はありとあらゆるAIツールは使うなとのこと。これにはショック。そりゃそうだけど、うちみたいな小さい会社の情報を狙うやつがおるんかいなと突っ込みをいれたいくらい...

代替として、会社が情報が残らない・学習しないAIを用意してくれたんだけれども、これがなんとも使いづらくてたぶんだれも使っていない。あまりに使い勝手が悪いから、みんなこっそり自分の携帯を使っている始末。これじゃあ前より悪化しているのではないかしら。

この前、他社の友人と話していたら、そこでもAIの規制が入って似たような状態になっているとか。ドローンが出始めたときもそうだったけど、この国はとにかくなんでもかんでも規制する方向に進みたがるのかなぁ。

AIという禁断の、人類が手にしていいかどうかわからない未知の技術が出てしまった以上、もう時計の針は戻らないし、これと付き合っていかなくちゃいけないんだから、いっそ積極的に使っていけばいいのにな。スマホと同じであと10年後にはみんな使っているんだから。時代は韻を踏んで繰り返すというけど、スマホが登場したときのように、AIの登場によって、人間の能力がまた一段と低下して、そして、効率がが進んでしまうがために今よりも仕事量が増えてしまう未来が待っているんじゃないかな。で、たぶんこの未来はもうどうやっても回避できないのでは。多少遅らせることはできるかもしれないけど。さて、いまの子供たちが大人になるころにはどうなっているんだろう。

 

初の女の子出産 その1

前回、「たまには世間様に少しくらい合わせた文章を書こう」みたいなことを書いたので、ちょこっとだけ世のみなさまの需要があるかもしれないような内容を頑張って書いてみよう。

赤ちゃんですよ、赤ちゃん。子猫と赤ちゃんならなんか需要があるんじゃないかなって思うわけで。YouTube 黎明期はやたらと猫とか赤ちゃんの動画が多くなかったですかね?気のせいかな。猫と赤ちゃんはたぶん一般ウケするジャンル。しかも、無理やり赤ちゃんネタを書くというわけではなくて、実際につい最近生まれたばかりだから、何か無理くり書くわけでもないし。ということで、赤ちゃんネタで何か書いてみましょう。

一重に出産といっても家庭によって状況は千差万別なので、取り敢えず我が家がどんな感じが箇条書きにしておきましょう。うちと状況が似ている人には参考になる話になるかも。

・すでに子供が2人いる (両方男の子)

・3人目で初の女の子

・父(私のことね)はドラゴンボールど真ん中世代

・関東圏に在住だけど、地元は西の海なし県。

・今住んでるところから妻の実家までは車で40分くらいだけど、妻の家族関係があまりよくないのか、近いのに親の手助けはあまり期待できない

とまぁ、こんな状況で3人目のベイビーちゃんを持つことになりました。

地元のアドバンテージの大きさ

私の場合は関東とは縁もゆかりもないわけなんですけど、気が付いたら東京本社にいて、そのままずるずる居続けているパターンなんですけど、ことあるごとに地元が遠いことのデメリットを痛感します。地元が横浜、埼玉、千葉の人はいろんな面で楽でいいよなぁ。

地元が近いことの最大のアドバンテージは、なんと言っても「親ヘルプが使える」ことなんじゃないかと。私の感覚だと、子供が1人だけなら夫婦だけでもなんとかなるけど、子供が2人になると夫婦だけでは結構キツイ。どっちかが出張とかでいない時に、ワンオペで子供2人を同時にみるのは不可能に近い。こんな時、実家が近いと「お母さん、ちょっと子供の面倒みて〜」と簡単に親に頼ることができるからめちゃくちゃ楽(これは私の実の姉がよくやってるやつ)。まぁ、親に頼らないとしても、頼る親が近くにいるかいないかは雲泥の差です。助けてもらえるという状態が整っているだけでも精神的に楽。

今回、3人目の出産にあたって、親ヘルプの偉大さを実感しました。長男は日中は小学校に行ってますが、次男はまだ幼稚園にも入っていないのでどうしても誰か家にいないといけない。しかも、いまだに病院はコロナの影響を引きずっているのか、立ち入り制限がめちゃくちゃ厳しいです。私の妻がお世話になった病院は、面会や立ち会いは1人だけで、入れ替わりで他の人が病院に入ることも禁止!!新生児を扱っているところなので特に厳しく制限しているのかもしれませんね。それにしても厳しいなぁと思いましたが。ひょっとしてコロナの厳しかったときと同じ制限のままなのかしら。入れ替わりで面会することもできないので、1日一人しか面会できませんでした。

妻が入院する時に、荷物を病院まで運んで行ったのですが、次男(2歳)を家に一人で置いておくわけにもいかないので連れていったところ、「なんで他に人を連れてくるんだ?さっさと出ていけ!」と言わんばかりに、まさに文字通り病院の門前で追い返されました。ちょっとした病原菌扱いでした。もし集団感染でもしたら騒がれるからナーバスになっているんでしょうねぇ。

こんな感じの厳しいところなので、基本的に一人で行くのが無難(一応託児保育もやってるっぽいけど)。それに、2歳児を連れて出かけるのってそもそも大変ですしね。こんな時、実家がすぐ近くにあったら親に子供の面倒を見てもらえるので楽なんですよねぇ。まぁ、残念ながら私の場合は地元が遠い。しかし、今回はその遠い地元から母親に来てもらい、妻が入院中は子供の面倒をみてもらいました。お陰で病院にも難なく行けるようになったわけです。いやホント、親の助けがなかったらこれは結構キツかったです。もし親が来てくれなかったら、7歳児と2歳児の面倒を一人でみることになるのでちょっと私には無理だなぁ。この状態で病院までいけないし。今回は地元の親が来てくれましたけど、本来なら自分自身が地元にいるのが一番楽ですね。縁もゆかりもない土地に住むってのは、子育てにおいてはかなりハードルが高い。

親の助けが得られない

「親の助けがありがたい」的なことを書きましたけど、ここで出てきている親って私の親で、妻の親ではないんです。一般的には、出産のときは母親側の親が色々と手助けしてくれるパターンが多いんですけど、なぜか妻側の親はその辺は基本的にスルーなのであまり面倒をみてくれないし、妻も実家に助けを求めようとしない。この辺はあまり私から言うと妻が怒りだすのであまり触れないようにしているけど、どうも親とのなかがあまりよろしくない。妻の実家は割かし近いんですけど、ほとんど助けが得られない状態。こうなると、なまじっか家が近いだけちょっとイラっとする(笑)。全く自分勝手な話だけど、「家が近いんだから、出産の時くらいちょっとは助けて欲しい」っていうエゴが出てきちゃうんですよねぇ。自分の我儘だとわかっちゃいるけど、助けれくれたら楽なのになぁって思っちゃう。自分の子供に子が生まれるとなったら、男親でも心配になってちょとしゃしゃり出てしまうと思うんだけど、そうではないのかねぇ??世の中その辺が心配にならない親もいるのかしら。私にはよくわからないけど… 

付き合っているときは、本人達だけで世界が構築されているから、本人さえよければあとはどうでもいいんだけど、やはり結婚という現実の話になると、附随することも重要になってきますな。今回の場合だと、実家と良好な関係が築けているかどうかってことですね。私も両親と別に仲がいいわけではないので他人のことは言えないけど。20代の時は、見てくれだけで遊びで付き合っても何の問題も生じないでしょうが、いざ子供が生まれるとなると、家族関係が結構重くのしかかってくるなって思いました。特に、妻側の家族関係は後々ボディーブローのように効いてくる(笑)。実際的な手助け以外でも、いろんな局面で現れてくるので、いやはや家族関係って重要だなぁって思います。人間の精神的な問題の大半は小さいころからの親子関係が原因ですしね。家族は良くも悪くも影響力が大きい!

助けてもらっておきながらアレだけど、親とは性格が合わないなぁ

じゃぁ、自分の家族はどうなのかっていうと、別に私も親とそんなに大して仲がいい方ではないと思うし、今回比較的長期間子供の面倒を見てもらって思ったのは「やっぱりこの親とは性格が合わないな」ってことです。中学くらいから思っちゃいたんですけど、やっぱり考え方の根本が違うから、何をするにしても合わない(笑)。たまたま血がつながっていて、たまたま同じ空間で過ごしたというだけで、まぁ、共通点がなさすぎる。親子だからといって、みんながみんな合うだけではないし、仲がいいわけではない。むしろ、衝突する方が多いのかも。何の因果か知らないけど、たまたま巡り合わせただけですしね。

他のご家庭はどうだかわかりませんが、うちの場合はとにかく母親とは会話が通じない。会話のキャッチボールができないんですよ。たぶんあれは何かしらの障碍なんじゃないかと思うんですけど、人の言うことを彼女は理解できていない。会話のキャッチボールをしようとして、こちらが野球ボールを投げても、向こうからはサッカーボールが蹴り返されてくるようなイメージ。トンチンカン過ぎて会話が成立しない。一事が万事こんな感じなので、合うとか合わないとか以前の問題かもしれませんね(笑)。人語が成立していなんだから。

そんな彼女ですが、長年医療機関に従事してそれなりに仕事をしているのが不思議でしかたがない。人間の言葉を理解していないのに、いったいどうやって業務をこなしているのか… 謎です。医療ミスとかは起こしていないのでそれなりにやっているんでしょうけど、何故あの読解能力で仕事ができるんだろう??世の中って不思議なことが多いですね。

 

 

 

 

 

 

役に立つ文章を書く

価値のある文章、面白い文章

人様の役に立つような文章を書いてみよう!なんてことはあんまり思ったことはないし、そもそも、役に立つような文章 (= 価値のある文章) だなんて私にゃ書く能力がない。駄文をダラダラ書いて楽しむくらいがちょうどいい。それに、他の人のブログを見たって役に立つ文章のつまらないこと!!役に立つような文章は汎用性が高くなってしまうから、その書き手の個性が失われてやすいし、これに文章術なんかが加わると本当に役に立つだけのつまらないものが出来上がってしまう。素人の文のよさは、有用性から離れているところにあると思う。ちゃんとした役に立つ文章はプロがいくらでも書いてくれるから彼らに任せて、素人は安心して一文の得にならない文章を書いていればいい(んじゃないかな?)。

他の人のブログを読んでいて思うんだけど、やっぱりその人なりの思想とか思考や感情のわかる文章ってのが一番面白い。「芸能人でもない人のことなんて知りたいやつなんていねーから」なんていうけど、顔も知らない自分と同じ市井の人がどんなことを思っているか知りたいニーズはあるんじゃないかなあ。ただ、ツイッターとかだと文字数が少なすぎて、意図が読みきれないものが多いから、ブログみたいにある程度まとまった文字数のものがいいね。

私の場合は、もともと文章を書くのが苦手すぎたのでモノを書く練習にとブログを始めたのですが、やってみると中々面白くって、ブログは更新していなくても常に何かは書いているような感じになりました。自分の頭の中の思考をただ吐き出して、文章校正もしないまま投稿しているもんだから、いつも文法的に変だったり、誤字脱字ばかり。それでもあまり気にしない。あまり外側に向けた発信ではないから。

でもあえて

でも、ちょっと内に向きすぎている文章を少しだけ外側に向けてみようかしらん。と思っていたんですけど、そもそも感覚が世間様とかなりずれてしまっているみたいで、みんなが読みたくなるようなモノがなんなんだか全くわからない。世間一般で良いと言われているものは自分にはよく理解できないし、その逆もしかり。もう不惑の歳なのに未だに社会化ができていないがっかり具合。しかし、こんな自分にも最後の切り札がある。そう、それは子供!子はかすがいとはよく言ったものです。私みたいなやつでも子供がいればギリギリ社会と繋がれる!というか、それくらいしか接点がない(泣)。パリピじゃない方の人種なので、外に出て誰かとわちゃわちゃすることなんてまずないですな。

子供が強力な武器になるって知ったのは、私がピザの国に島流し(大陸流し?)になってた時のことです。ネイティブの英語なんて何言ってんだか全くわからないし、カタコトの英語すら喋れているんだかいないんだかわからないアジア人男性でも、子供がいるだけでみんなから優しくしてもらえる!普通、アジア人男性がその辺うろうろしていたら、よくて「徘徊」、最悪な場合は「犯罪の下見」なんて言われそうですけど、隣に子供がいれば立派な「散歩」ですよ。しかも、「家族を大切にしているお父さん」というレッテルを貼ってくれるかもしれない。アジア人男性が歩くということは変わらないのに、隣に子供がいるかどうかで外からの見え方が全く違ってしまう。パリピの側の人間じゃないんで、「人種差別主義者がいきなりアジア人を襲ってくるんじゃないか」っていう偏見を少し持ってたりしました(実際にそういう事件はあるしね)。

差別云々はさておき、子供が隣にいるだけでピザ国の人たちがいっぱい話しかけてくれるんですよ。アジア人の小さい子供がある程度珍しかったのかもしれませんが、まぁ、なんちゃうかすごく構ってもらえました。ピザ国の人からアジア人に話しかけてくるなんて、BTS大谷翔平くらいなもんでしょう。それなのに、隣に子供がいるだけで話しかけてくれるわ、親切にしてくれるわ。日本にいても社会と関わらない (というか関われない) 私がかろうじてピザ国の社会と関われたのは子供のおかげでした。子供ができると親のありがたみがわかるなんていうけど、私は逆だと思うな。子供ができて子供のありがたみがすごくわかりましたよ。親の方が子供からたくさん恩恵を受けてますよ、絶対に。

そんなこんなで、私みたいな反社会ならぬ非社会的な私でも子供を使えば社会の皆様と多少の共通点が見出せるはず。

上の子はもう小学校に入ってしまったし、下の子ももう赤ちゃんではない。今更何か書いてもそんなに面白いこともないかなぁ。ちょうどこの前、三人目の子が生まれたばかりなのでその子について書いてみようかなあ。社会になかなか溶け込めない父親が子供を出汁に世間様と接点のある内容を少しだけ書いてみる。どうかなぁ。すぐ飽きるかもしれんけど。

そろそろブログのタイトルを変えたい

世間様と少し接点を持たせようとするなら、この「茹で蛙の盆踊り」っていうタイトルもそろそろ変えたいなあ。「ブログなんてどうせ3日で飽きるやろ」って思ってクソ適当につけたのをちょっと後悔してます。ブログを初めて書こうとした時に、ちょうど新聞の社説に「茹でガエル」についての例え話が出ていて、その時なぜか私の頭の中で超B級映画の「死霊の盆踊り」(見なくていいし、調べなくてもいい映画) が思い出されて、ついつい「茹で蛙の盆踊り」ってタイプしてしまった… 

でも、社会的に受け入れられるタイトルってなんだろうね?「〇〇パパの子育てブログ♡」みたいな感じか?なんか鼻で嗤ってしまいそうになるなあ(笑)。いや、40になっても自意識過剰な自分のこういうところが良くないのか… あえてベタなやつにするのが吉か。「イクメン奮闘ブログ」… うーん、なんか蹴り〇したくなるような響き。世間様にピッタリ寄り添って生きるのは難しそうですな。

 

 

年寄りの方がスマホ中毒か?

スマホが登場してからもう10年くらい経ちますかね。最初は若い人たちしか使っていなくて、中高年以上はガラケーを使っているような感じでしたが、今やそもそもガラケーがないので年齢関係なくみんなスマホを使うようになりましたね。

電車に乗ってもみんなスマホとにらめっこ。これ一台でなんでもできるんだからスマホ依存になるよなぁ。スマホは人間の暇を埋めるという史上最大の問題のちょっと嫌な答えになってしまった。みんな忙しいっていいながら結構暇なんだよね。

私の還暦はとうに過ぎている両親もスマホを使い始めてから久しいです。私もIT系は疎いので他人の事は言えた立場じゃないけど、やっぱり私の親世代は全くと言っていいほどスマホが使いこなせない。彼らが若い頃になかった概念ばかりだから仕方がないと言えば仕方がない。自分だってこれから先、出てくる新技術に追いつけるかと言えば多分無理。

じゃあ、スマホを使いこなせていない私の親がスマホを使っていないかというと、そうでもない。というか、むしろ私よりも頻繁にスマホ使ってんじゃないかってくらい。正確にいうと、若干スマホに振り回されてる感がする。

たまに実家に帰って親の近くにいてびっくりするのが、スマホの通知の多さ。四六時中、電子音が鳴りまくっていて、正直かなり鬱陶しい。馬鹿正直にデフォルトで全ての通知を受け取るようにしているからひっきりなしに携帯が騒ぎ立てる。必要な情報だったらまだいいけど、どうせ99%どうでもいい情報。

私はスマホの通知の多さにホントに嫌気がさして、電話以外の通知はほぼ全てオフにしてしまったけど、親と話す限り彼らは通知がそんなに耳障りと思っていない感じ。私の両親だけではなく、同年代くらいの他の人たちも、まぁ通知を鳴らしまくってる人が多い。みんなバイブだと気がつかないからってわざわざ音を鳴らしてくれるから本当にうるさい。個人差や地域差もあるから、お年寄りがみんなそうってわけじゃないけど、少なくとも私の接する範囲ではスマホの通知に振り回されてる方が多いような気がするなぁ。

子供たちが仲間から外れないようにLINEですぐ返信したりするのはなんとなくわかるような気はする。ただ、老人の場合はよくわからんなぁ。失礼だけど、時間なんて有り余ってるんだから即レスしなくてもいいんじゃないのかなぁ。なんならお年寄りの場合は既読スルーでも赦されるでしょうに。長く生きてきた人たちが携帯の通知に脳髄反射で動いてしまうのを見るとちょっと悲しいなぁ。これからいよいよ死にゆくというときなのに、どうでもいいことに時間を使わなくてもいいのにね。いや、違うのか。通知に常に振り回されて続ければ、死の瞬間まで嫌な事を考えることを回避できるのか。うーん、スマホは罪深いなぁ。人間は暇があるからこそクソどうでもよくて、クソどうしようもなくて、クソ重要な事を考え続けるのに、スマホがそんな時間を奪ってしまった。よく「科学技術が人間から人間性を奪いとる」みたいなことを言うけど、全くその通りだと思うなぁ。スマホは便利すぎるから困るよね。便利すぎるから、こいつ抜きの生活はもう考えられないけど、こいつのせいで生活がより忙しなくなって、人間がより虫やロボットに近い存在に近づいていってしまう。

人間みたいなAIが出てくることを危惧している人はたくさんいるけど、そんなことよりもすでに自分達が自らロボット寄りの方向に向かっていることに恐れを感じていない方が怖い気がするなあ。

サンタ業務完了

今日は子供たちにとっては待ち遠しいクリスマス。自分も幼い頃はドキドキしながらサンタのことを待っていたなぁ。正確にはサンタっていうか、サンタが持ってくるプレゼントにしか興味はなかったけど。

思春期くらいになると思考が捻くれてくて、「うちは臨済宗だから邪教のイベントなんぞ関係ない!!」なんてうそぶいておりましたけど、いざ自分に子供ができるとそんなことは言ってられない。自分も子供の頃はクリスマスが楽しみだったくせに、自分の子供に「うちは仏教だからキリスト教の行事は関係ないわ」と言うほど私も鬼じゃない。それに、これだけ周りでクリスマスを喧伝されたら「うちにもサンタはくるはず」ってなりますからね。これでサンタが来なかったら社会のことが信じられなくなりますよ。

それに、仏教徒であることと、クリスマス行事を行うことがそもそもそんなに矛盾することなのかと考えると、あんまりそうでもないのかなと。真言宗とかはさておき、禅宗なんかは一神教のように何かを信じるものではないから、そこに他宗教のイベントが入り込んできても、そこまで大きな問題ではないのかな。逆に、キリスト教徒が仏教的な生き方や思考を取り入れたとしても、仏教は何かを信じることを強要するものではないから、まぁそれほど問題はないのかな。日蓮宗とかああいうエキセントリックな教えは、そもそもの仏教の流れからそれているからちょっとアレだけど。

宗教は心の問題だから、生き方や思考に直結するめちゃくちゃ大切なものだと思っているんですけど、妻にこういう話をしても「また面倒くさいこと言ってるわー」となるので、私も最近は理解してきました。私たち日本人には原理原則がないから、宗教の問題なんぞどうでもいいのだと。「なんか楽しけりゃいい!!」これが多分大切なのね。細けぇこたぁいいから、プレゼントもらえりゃいいんだよ精神ですね。「人々の購買意欲を掻き立てて、経済活動回してるんだから何が悪いってんだ!」みたいな感じかしら。

宗教とか面倒なことを考え始めると生きるのがとても難しくなる場合があるので、息子たちにはその辺はちゃらんぽらんになってほしいところです。日本的な宗教に対するいい加減さや節操のなさを身につけてほしい。なんなら、神様と仏様の区別すらつかないくらい宗教音痴なくらいがちょうどいいと思うなぁ。

ということで、我が家でも毎年クリスマスをやっているわけですが、もちろん私はキリスト教徒ではないので宗教色は全くありません。イエスのことをキリストと信じていない分だけ、クリスマスをやることに罪悪感をめちゃくちゃ感じる!いや、でも、そもそもクリスマスなんてそもそもキリスト教なんて関係のないケルトか何処かの土着の民族の祭りだ!なんて言い聞かせながらやるわけです。

昨日は息子(小学校低学年)の希望により「マックのチキンナゲット」がテーブルに並びました。マックのナゲットって、流石にクリスマスに食うもんじゃないだろうと思いますけどね、息子が食いたいというならしゃーないです。

大人にとっては「マックのナゲットごとき食べ物」って感じですが、息子にとっては最高のご馳走だったらしく(普段何を食わせているんだ…)めちゃくちゃハイテンションになって部屋中を駆け回っておりました。ナゲットで狂気できる若さがほしい!

お風呂に入ってから、息子はサンタを降臨させるための "祭壇"  作りを始めました。私が子供の頃は、クッキーと牛乳をサンタにあげるってあんまり聞かなかったような気がするんですけど、最近はクリスマスに関する情報も精度が高くなってきておるんですね。息子も頑張ってクッキーを作っていました。いかに害獣(次男坊)に食い荒らされないようにするか苦慮していましたけど。

卓上の小さいクリスマスツリーの隣にクッキーを置いて準備完了。私にはお供物にしか見えない。

息子は「サンタさん牛乳とクッキーいっぱい食べてお腹壊さないのかなぁ」って結構真剣に心配していました。それは私も思う。各家庭のクッキーと牛乳を食べていたらとんでもないことになるなぁ。

長男作成のクッキー。味はよし

サンタが来ると興奮しまくっている長男を寝かしつけるのは大変です。クリスマスのことはまだ何も理解していない2歳の次男まで感化されて興奮状態。二人ではしゃぎまくりです。

子供の寝かしつけをやっていたら私もすっかり寝てしまったのですが、妻が起こしてくれました。ナイスアシスト。起こしてくれなかったらそのまま朝まで寝ておりましたよ。

押入れに隠しておいたプレゼントを引っ張り出します。長男と次男と妻の分のプレゼントを置いて、クッキーを回収してサンタのお仕事は完了!たまには私のところにもサンタさん来てくれないかねぇ。

学校の時は全然起きないくせに、長男もこういう時だけはちゃんと早く目を覚まします。プレゼントの置いてある部屋に行って、プレゼントを発見して大興奮。しかし、まだ次男が起きていなかったのでプレゼントを開けていいか躊躇する長男。一緒にプレゼントを開けたかったみたいで、そういうところは案外冷静に弟のことを思いやれるのね。私が「次郎はまだ寝ているから先に開けてもいいよ」というと、よろこんでプレゼントの包装をべりべりと破っていきます。そこで息子が一言:「今年のサンタさんのは開けやすいよ!!

よくわかったな、息子よ。ええ、そりゃ去年まではパパがガチガチに包装してテープを貼りまくっていましたからね。今回はヤマダ電機の店員さんが丁寧に包装してくれたから開けやすいですよ!

任天堂スイッチとピクミン4を手に入れてご満悦の長男。ゲーム機なんて何年ぶりに買ったかわからないけど、高かったなぁ… でもまぁ、友達がみんなもっていて、自分だけ持っていないのもちょっとかわいそうだしね。本体さえ買ってしまえば来年からはソフトだけ用意すればいいし(笑)。それにしても、ゲーム機とソフトだけでこんなに単純に喜べるっていいなぁ。この気持ちは忘れてはいかんですな。

スイッチとピクミン4に大喜び

結局、長男に無理やり起こされた次男くん、寝ぼけ眼でプレゼントを開封したのですが、プレゼントに喜ぶよりも、眠りを妨げられた不快感の方が勝っていたようでちょっと不機嫌。

そもそも、まだクリスマスっていうものを理解していないのでなんでプレゼントがもらえたのかわかっていない様子。まぁ、私も、この子はクリスマスが分かっていないだろうってことで、食パンマンとドキンちゃんのぬいぐるみしかあげていない。長男と軽く20倍以上の値段の差が(笑)。まぁ、まだ2歳だからしょうがないよね。

食パンマンとドキンちゃんをもらい怪訝な顔をする次男

と思って、昔の写真をみてみたら、長男がこのくらいの年のときはちゃんとしたクリスマスプレゼントをあげていたみたい。しかも、複数個あげているっぽい。クリスマスツリーも大きいし。これが長男と次男の格差か。長男の時はいっぱいおもちゃを買ってあげたけど、次男のときは誕生日プレゼントすら半年くらい忘れていたもんなぁ(笑)。

長男の時はプレゼントがちゃんとしていた…

こんなことはうち以外でもたいていそうかなぁと思います。二人目ができた瞬間に多が回らなくなって、なおざりになってしまう。次男の場合は大抵のものが長男のおさがり。ごめんね、悪気はないのよ。

長男は少しずつサンタの正体に気付き始めているみたいだけど、いつまで純粋に楽しんでくれるかなぁ。子供が成長してくれるのはうれしいけど、成長とともに大切な心を失っていってしまうのは残念だなぁ。クリスマスにたいするワクワクとか、ドキドキといった高揚する感情は生きていくうえで一番大事だと思う。こういう感情は大人になる過程で一番真っ先に失われて行ってしまう感情だけど、この感情こそが長い人生には必要だと思う。こういった感情がなくなった状態で、生きていくというのは、もはや「生きる」というよりは「死んでいない」だけの状態になってしまう。

私の場合は、10代から20代で心が死んでしまったから、毎日が本当につらかった。繰り返すだけの日常が無間地獄のように感じられた。だから、子供たちにはこのワクワク感をずっと持っていてもらいたいね。年を取ればとるほど、感情というものが大切だなぁと思います。喜怒哀楽のうち、"喜" と "楽" からすぐに失われて、"怒" まで失ってしまうともうおしまい。まだちゃんと怒ることができている人はマシな部類ですね。これまでなくなってしまうと、もう廃人ですよ。自分の感情に気付く訓練をちゃんとしないとなぁ。