茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

Web ライティングに挑戦してみよう

新しいことを始めよう

最近きになる仕事があって、それは web ライティングなるもの。昔からライティング自体は聞き覚えがあったし、ブログとかか流行ってからとくに副業としてライティングのお仕事は増えてきたような気がする。それで、何故自分が今更ライティングに興味を持ったかというと、それは副業としてである。本業以外に何か新しいことを始めたいと思っていて、それで出会ったのがライティングをいう仕事だった。自分が副業を探す際に気を付けていた点がいくつかある。

気を付けた(ている)点:

1. お金をかけない: 副業というよりも、これは起業系でよくあることだと思うけど、何か始めるときにいきなり大金をぶち込んでしまって、それでいて事業がうまくいかずに資金切れとなって頓挫してしまうケースをよく聞く。副業を行う際も、できる限り最初は小さくはじめたいところ。いきなり準備に多額のお金を使うことはハードルが高すぎるし、もし失敗したときに取り返しがきかない。副業ではできるだけ多くの失敗をしたいので、金銭的な損失はできるだけ避けたいところ。金銭的な損失が限りなくゼロであれば、いくらでも立ち直れる!そう、気力・体力が続く限りは。ということで、初期費用がかからないライティングはまさに理想的と言えよう。

2. 在庫を持たない: これも1と同じことになると思う。つまり、経済的な損失をできるだけ小さくして、失敗しても何度でも挑戦できるようにするためには、在庫は持たない方がいいし、できるだけ持ちたくない。そして、そもそも我が家は家が狭すぎるので、そもそも何かモノを置くような物理的余裕は一切ない!ライティングに限らず、Web系の仕事は基本的に在庫が発生しないので、副業や起業にはうってつけだと思う。ライティングで在庫が発生するとしたら…紙くらいなのもかな?今の時代、紙でモノを書く人もそう相違ないだろうと思うけど。

3. バイトはしない: これは「時間の切り売り」はしないということ。コンビニのアルバイトや、道路の交通整理員とかをやった方が実際のところライティングをやるよりもはるかに確実にまとまった収入が得られると思う。しかし、これらのバイトは結局自分の時間と交換にお金をもらっているだけで、自分の身に残るものが少ない。どうせ自分の貴重な時間を費やすのであれば、後々自分の身に残るものをやりたいところだ。ライティングも時間の切り売りだろうと言われれば、たしかにそうなんだけれども、僕の場合は「モノを書く」ということは非常に苦手なので、何か書くこと自体がとにかく訓練になる。たかが数百字書くだけでも結構ヒーヒーで青息吐息だ。なので、モノを書くことは僕にとって時間の切り売りにはならず、これは「訓練」になるといえよう。

実際に探してみた

善は急げといわんばかりに、さっそくクラウドソーシングサービスに登録してみた。最近はいろんな会社がサービスを提供していて一体どこがいいのかわかならい。たぶん、どの会社も似たようなサービスを提供しているだろうと思い(これはたぶん偏見)、とりあえず有名そうな Lancers に登録をしてみた。

さっそくライティングのお仕事を探してみるものの、さっそくその仕事内容に圧倒されてしまう。「3000字400円!」とか、「1記事1500字、800円!」とか、「コタツ記事歓迎」とか、どうやら自分が今まで接してきた世界とは違うようだ。いったい何がどうなっているのやらよくわからない。あれやこれやと検索してみるものの実際にどんな仕事内容かもよくわからない。事前に色々調べてはいたけど、実際に戦場に立つと何をどうしたらいいのかよくわからないものだ。全くゼロからのスタートだからしょうがない。これはもう「えいやッ!」と取り敢えず何かに申し込んで行動に移すしかない。悩んでもどうしょうもない時は、取り敢えず動いてみるべしだ。

ということで、まずは3件くらい申し込んでみた。僕以外にも既に何人も申込者がいるから、果たしてはじめての案件となるかどうか。先方からの連絡待ちだ。

Webライティングで儲かるのか?

ネットで調べ物をすると、「Web ライティングで月○○万円!」みたいな景気のいい見出しが踊っていたりするけど、実際どうだろうか?まぁ、考えるまでもなくそんな都合のいい話は転がっていないだろう。僕がLancers でみた案件も、1文字0.5-1.0円なんていうものばかりで、副業っていうか昔の内職に近い感じがした。1文字1円だと結構良い方らしい。けど、これって結構大変じゃないか??僕が何も考えずにただひたすらに頭に浮かんできたことだけ文字にしていっても、2000字書くのに40-60分かかった。文の構成とか論理性とか誤字脱字を一切気にしないでこの速度だ。ということは、ちゃんとクライアントの要望にそって、論理的で誰がみてもわかりやすい文章を書こうとしたら一体何時間かかるんじゃいと突っ込みを入れたくなってしまう。やっぱり時給換算したら多分とてつもなく安くなるね。

それでも書いてみる

それでも書いてみようと思ったのには訳がある。自分は昔からとにかく国語が苦手で、日記や読書感想文などは全く書けない子供だった。小学校の時に書いた日記をみたら「今日は何もなくて書くことがない」と何ともひどい内容が記されていてビックリしたことがある。ひどいにもほどがあろうて。今日は暑かったとか、誰と遊んだとか書けばいいのに、日記に「書くことがない」って書くものかねぇと過去の自分を説教してやりたい。

夏休みにはどこの学校でも読書感想文を書かされると思うけど、これも物凄い苦痛だった。まず本が読めないし、数千字も文章を書くことなんてできやしない。感想文を書くのに夏休み丸々一ヶ月かかっていた記憶がある。そしてそんなに時間をかけたにもかかわらず、はちゃめちゃな文章で、先生から「何が書いてあるのかわかりません」と言われる始末(笑)。とにかく国語能力が恐ろしく低かった。そのため、大学で日本史を勉強したかったのに諦めて理系に進んだくらいだ。これに関しては苦労してでも大学で歴史の学べる学部に行っておけばよかったなと今でもちょっと後悔している。

自分が人生で間違った(少なくともあまりよろしくない)選択をしてしまったのも単に国語力が低かったからということに尽きる。読み書き能力の内、読む方に関してはだいぶ改善されてきたものの、書く方に関してはまだまだ改善できていない。そんなことからも、とにかく書いて自分の国語能力を高めたいと思っている。

文章が書ければ

書くことは即考えることだと思う。というか、人間書かないと考えることはできないんじゃないかなと思っている。他の頭のいい人はどうかわからないけれども、自分のようなお馬鹿さんに分類される人間は紙とペンなしでは思考ができない。頭の中だけで考えるのは無理だ。大体同じことばかり反芻してしまって、思考が先に進まない。その点、書くことができれば、その書いたもの自体が思考のセーブポイントになるから思考が先に進める。

あと、人間は言語の範囲内でしか考えることができないから、モノが書けるようになるということは、思考の幅が広がるということだ。他の人にも当てはまるかわからないけど、言語化してから初めて自分が何を考えていたのか気づいたりする。これは逆パターンだけど、言語化してから、思考がそっちに引きづられることもある。それまで頭で漠然としていた物を言語でしっかりと期待してやると、人間とは面白い物で今度はそっちの枠に自分の考えていることを当てはめようとし始める。という現象が僕には起きるんだけど、他の人にも当てはまるかしらん。

何にしてもモノが書けるに越したことはないですな。