茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

ゼロ労働精神: 働くことから逃げよう!労働を廃絶だ!

働きたくない!!とそこまで強く願ってるわけじゃないですよ。労働は義務的な側面も権利的な側面もありますからね。確かに、今の仕事には不満が募りまくっておりますけれども、働くこと自体にそこまで嫌悪感はないです。ただ、現在の労働のあり方に納得がいかんだけでなのです。

「よし、仕事をやめよう!」と決意してから、自分の意識が変わったのか、ソレ系の本ばかり目に入ったり、引き当てたりするようになりました。人間ってのは面白いもんです。これも選択的意思が働いているんですかね。

この前は「ブルシットジョブ」を読んで共感しまくっておったわけですが、今度はまた面白い本を引き当ててしまいました。「本が面白い」というか、「面白い人」ですね。栗原康っていうアナキスト。この人のことは今まで全然知りませんでした。歳は僕よりも少し上ですが、まぁ同世代と言ってもいいでしょう。いわゆる「ちゃんとした仕事」は週一回の大学講師の仕事くらいしかしていないみたいで、あとは物書きとか活動(?)運動(?)をしてるんですかね。まぁ、ニート的な感じの人です。

いやー、世の中本当に面白い人がいるもんですね。僕なんかは大学を入ったり、やめたり、フリーターしたり、ニートしたり、んでもってまた大学に入り直したりしたので、世間からは結構 (いや、かなり) 白い目で見られるんですけど、この栗原さんはちゃんと筋を通して世間に迎合しないで生きてるからすごいですわ。

僕の場合は、抑鬱が強すぎて「なし崩し的ニート」をやってたんですけど、この人は「選択的ニート」ですね。ちゃんと理論武装してニートをやってますね。理論武装っていうか、信念に近いのかもしれんですね。僕もそんな意識高い系ニートであればよかったと今更ながら悔恨の念が湧いてきます(笑)!

同世代で面白い人を見つけると、嬉しいやら、比較して劣等感を感じるやら、なんか複雑な気分になりますね。素直に喜べよって話ですけど。

週末に本屋にふらっと入って、本を物色していた時に、何故だかわからないですけどたまたま目に入ったのがこの作者の「サボる哲学 (NHK出版新書)」っていう本でした。いやぁ、ホントなんでこの本を手に取ったのかわからないですけど、もしかしたら「働きたくない!!」っていう集合的無意識的なやつが引き寄せたのかもしれんですね(笑)。

不思議なもので、全然そういう本だとは知らなかったのですが「ブルシットジョブ」のこととかも書かれていたので、何やら運命的なものを感じてしまいました。たまにありませんか?意図したわけじゃないのに、似たようなものを続けて引き当ててしまうことって。確率だけで説明するにはちょっと不思議だなぁって思うことがたまにあります。

労働をやめよ!

この本、最初っからなかなか強烈です。

人は皆、労働をやめるべきである。

労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである。この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。苦しみを終わらせたければ、我々は労働をやめなければならない。

(ボブ・ブラック 『労働廃絶論』高橋幸彦訳)

かー!今時こんな調子で本を書き始めるひといないでしょ(笑)!なんか、マルクスの亡霊でもよみがえったのかと思いましたよ。いやぁ、でもこの引用文はいいですね。心に響きます。「万国の労働者よ、団結せよ!」なら、「おー!団結して資本家と闘うぜ!!」ってなります。しかし、「働くな!」っていわれると、みんなキョトンとしちゃいませんかね(笑)。でもね、言いたいことはわかります。現在我々がベストだと信じている資本主義というシステムでやっていく以上、どう頑張っても不幸になるしかないと。それはもう「そういう仕組み」になっているんだと。であるならば、資本主義妄想から早く脱却するのが一番であると。ふむふむ、わかる。それはわかるけど、もうどっぷり資本主義に毒されておるんですよ。一体どうしればいいのかしらん。

その点、この栗原さんは "ガチモン" のようですね。これまで労働を拒否して、ほぼ働いたことがないようです。しかし、そんな彼も「正直、この支配から抜け出すのは、口でいうよりもしんどいものだ。(サボる哲学 p.5)」って言っていますね。

ガチ勢の彼ですら苦労するなら、ぼくのような甘ちゃんがこの現代システムから逃げるのは相当骨が折れそうですな。

働くとはなんだろうね

仕事をやめて、自立の道を進もうと考えておるんですけど、その前に現代の労働っていうのが一体何なのかあまり深く考えてこなかったような気がします。これはイカンですね。ちゃんと働くっていうのはどういうことなのか、そもそも本当に世間で言われているように働かなきゃならぬのか、ちゃんと考えないといかんいかん。

ジョナサン・フリードマンっていう人類学者は「古代の奴隷は単に資本主義の古い姿であった」と主張しているらしいんですけど、この本では「近代的資本主義は単に古い奴隷制の新しい姿である」と言った方が逆にわかりやすいよねといってますね。うん、たしかにそっちの方がしっくりきます。

奴隷制では、誰かが勝手に僕らのことを売ったり買ったり貸したりしていたのが、いまでは僕らが自分自身の「労働力」という商品を資本家に貸していると。いくら暇であっても、就労時間中に仕事以外のことができないのはこれのせいですね。資本家からしたら、就労時間中はそいつの「時間を買い上げている」ので、仕事があろうとなかろうと、資本家の好き勝手にできると。自分の自由意思でなにもできないんだから、奴隷そのものですな。

いつからこうなったんだ??

僕らは江戸時代の百姓たちは侍に支配されてかわいそうだったなんて思っていたりしますけど、実際どうなんでしょうね。江戸時代の人たちの方が気楽でよかったかもしれんですね。幕末明治の日本に来た西欧人が、日本人の働き方をみてそのあまりのルーズさに驚いたっていう記録が残っていますよね。「雨が降ったから仕事にこない」とか、「今日は暑いから働かない」とか。昔はいまみたいに、「台風がこようが、豪雪だろうが9時には出社して働け!」なんてことは全くないわけで。よほど昔の方が人間らしいかもしれんですね。

西欧の方も、18世紀くらいまではだれもきちんと働かなかったみたいですね。そもそも、決まった時間に同じことを繰り返すっていうのが、かなり不自然なことなので相当教育しないとできないですね。

「誰もしたがわない」っていう状況が資本家には耐え難い問題ですね。きっちりと効率的に働いてもらわんと元がとれないわけですから。そこで、学校、教会、軍隊、監獄、工場などに人間をぶち込んで決められたルールに徹底的に従わせるように洗脳していくんですね、自発的服従がおこるように。こうした流れは現代社会でもばっちり残っていますね。学校教育で洗脳しまくって、社会に都合のよい人間を量産していく。で、たまに僕みたいなバグが出てしまうと社会からはじき出される(泣)。

人を従わせるために、もう一つ重要なことがあるみたいですね。個人を超えた、大きな種を想定して、それを洗脳させるというやり方。会社とか、国とかですね。「会社が倒産してしまうくらいなら、自分が首になってもしかたがない」とか、「国のためなら俺が犠牲になる」とか。統治側の都合の良いように支配されてしまうんですね。

現在我々が受けている支配構造は、資本主義とともに発展してきたんですね。

海賊の経済

いかに不自然な、そして資本家に都合の良い労働者が生まれてきたのか。どうやら、大航海時代の船にその答えがあるみたいです。

船という特殊な空間が、非人間的なシステムを構築していったんだとか。当時、太平洋貿易は極悪経営で莫大な富をヨーロッパ人たちにもたらしていたので、国家は利益を守るために船長に絶大な権限を与えていたみたいですね。しかも、海の上だから、治外法権でやりたい放題。船長に逆らえばすぐにぶっ殺されてしまうし、従順に従っていても、ろくにご飯もあたえられない。船という特殊空間で、水夫たちは「服従と規律」を徹底的に叩き込まれたみたいですね。こうして「都合のいい人間」がつくりだされていったと。現代のわれわれの原点がここにあるみたいですね。ふむふむ、なるほどね。

これに対峙しているのが、海賊!商船が海賊に捕まって、船長が殺されると、船員たちは歓喜したみたい(笑)。「ひゃっはー!あのクソ船長が死んだぜ!!」って。そんなときに海賊からリクルートをかけられるので、みんなこぞって海賊に転身してしまう。

海賊のイメージは一般的なものとだいぶ違うみたいですね。かなり平等で、海賊の船長が強力なリーダーシップを発揮するのは戦闘の時くらい。専横的な船長は、船員たちに投票で船から追い出されることもあるとか。かなり民主的ですね。むしろ、ふつうの商船の船長の方が、いまの僕らがイメージしている海賊の船長なみに極悪かも。

奪ったものも、すべて平等に分配(船長とかは多少取り分がおおい)。成果主義ではなくて、分捕ったものはみんなで平等に分けるってのが面白いですね。

あと、海賊船では体に障害を持った人にすごく優しいんだとか。これが商船だったら、まともに体の動かない人間はそのまま海に捨てられるかもしれんですけど、海賊船では保障がかなり手厚いんだとか。

で、ここからが面白いんですけど、海賊は商船とかを襲って遊ぶ金ができたらそれ以上は働かないで遊んじゃう(笑)。基本、働かない!それで、金が尽きてきたらまた一仕事して、金が尽きるまで遊ぶ。これって、狩猟採集民の生活に似ているような気がする。というか、本来の人間の労働のあるべき姿かもしれんですね。死ぬまで奴隷労働をさせられる商船の船員よりも、海賊の方が100倍幸せそうな生活してるじゃないですか?

商船と海賊って、「善と悪」みたいなイメージで語られることが多いと思いますけど、「近代 vs 前近代」とか、「資本主義 vs 非資本主義」とか、「非人間的 vs 人間的」みたいな二項対立にしてみるのも面白いかもしれんですね。

今の日本で例えると、サラリーマンでヒーヒー言いながら働いている人と、収入は200万くらいだけど自分の時間をちゃんともってゆとりのある生活している人みたいな感じかな。僕も資本主義の生活から半分降りてみようかしらん。

左翼思想

ブルシットジョブを読んでから左翼系の人の本も面白いなあと思うようになってきました。高校生くらいのときは、無駄に左翼系の言論は毛嫌いしていました。当時は、左翼系の言説が結構はちゃめちゃで、保守系の人の方がまっとうな人が多かったような気がします。

ただ、保守系の言論が強くなってきて、今度はネトウヨみたいなのもでてきて、それっきり僕は政治経済系について興味を失っていったような気がします。「あー、もううざいなあ」ってね。左翼系は「日本は極悪」みたいなことばかりいうし、右翼系は「日本マンセー」みたいなことばっかり言って、もうなんなんじゃいなと。そして、無気力無関心になっていくのです(笑)。

左翼系の言説も面白なあとは思うのですが、気を付けないといかんですね。特に、最近のゼロ成長あたりの言論も、よーく注意してみるとガワが変わっているだけで中身はマルクスだったりして(笑)。

左翼右翼はいいとして、労働とはなんなのか、もう少し深く考えていかないといかんですな。今の労働はおかしいと思うし、少なくとも改善の余地はたくさんある。じゃあ、いったいどうすればいいんだろうかなぁ。息子たちが成長する前にあらかた答えを出しておかねば。

・・・だから父さんは働かないんだよ!(ドヤッ)

ものすごく久しぶりにTOEICを受けに行ってきました

今日もみなさんのお役には立てないことを書いてまいりたいと思います。でも、いつも書いているようなことと違って、今回はみなさんも多少は興味ありそうなことなんじゃないかなとおもいます。英語についてです。(いつもの僕の雑文よりは一般的に興味がありそうって意味で捉えてくださいませ)

巷に溢れてる広告をみれば、英語に対するコンプレックスを煽りまくって、そんでもって「1日だった5分でペラペラに!」みたいな謳い文句で英語のできない人間から金を収奪する、そんなのばっかりですね。搾取ではなくて、もはや収奪ですよ。こんな感じで英語及び英語業界には並々ならぬ恨み辛みがあるわけですが、そういうのは今後小出しにしてまいります。

このブログでは残念ながら(?)他人から金を巻き上げる系のものはありません。このブログでは自分の恥を publish して laugh at されるのが目的みたいなもんですので。今日はそんな恥晒しの第一弾です。ひっさしぶりにTOEICを受けてきました。

なぜTOEICを受けようと思ったのか

他の記事でもちょいちょい書いたことがあるのですが、僕は英語が、いや英語がというか語学全般がからっきしダメな人間です。どれくらいダメかっていうと、大学受験で英語が受験科目にない学科をわざわざ選んだくらいです。「いやいや、そんな学部あんのかよ?」って思うかもしれませんけど、昔はあったんです。でも、昔でも相当レアな話です。

こんな語学のできない人間ですが、しばらくの間、地球の裏側の大陸に住んでおりました。ふつう、こんなことを言うとみんな「じゃあ、英語ペラペラだね!」っていうんですけど、100%みなさんそうおっしゃるんですけど、ここは声を大にして言いたい。「そんな簡単に英語力は上がらねぇえよ!」って。英語が好きで、得意な人ならまあわからんでもないですけど、英語が嫌いで不得意な人間はね、もうスタートラインからダメダメなんでございます。そして、コロナが始まってからなんて、ただの引き籠りでしたから、日本にいるのと変わらなかったですし… 

言い訳ばっかり書いてもどうしようもないので、ここはどのくらい自分が英語ができないのかいっちょ証明してやろうと低能力自慢意識が芽生えたのです。TOEICみたいな第三者のテストを使えば、ある程度客観的な英語力が測れるでしょう。まぁ、TOEICのテスト自体に茶々を入れるとどうしようもないので、ここは「TOEICである程度の英語力がわかる」という前提でいきましょう。

さあ、レッツ低能力測定!!

いざ行かん、千葉大学

さてさて、今回の受験会場はといいますと… 千葉市!うーん、千葉市ってどこですか(笑)??もちろん、名前を知らないとかそういう話じゃなくてですね、うちからどうやって千葉市まで行くのよ?

僕の家の周辺にもそこそこ大学があるので、その辺の大学に割り振られるかなぁなんて淡い期待を抱いておりましたけど、一気に打ち砕かれましたね。全く縁もゆかりもない場所に飛ばされてましたよ。あー、なんか思い出してきました。昔受験した時も結構遠いところまで行ったような気がします。これもTOEICさんの粋な計らいでしょう。会場に来るまでに体力を削るというね。

僕は田舎者なので、そもそも電車の乗り方も知らんし、何線がどこを走っているのかもよく知らんのですよ。

ネットとかアプリで調べれば一発でわかりますけど、それでも初めての場所は結構迷ってしまいます。基本スペックが低いもんで田舎の畦道しか対応できんのですよ。

まずね、柏駅で乗り換える時にいつもの出社コースに行ってしまいましたよ、反射的に。人間の体って怖いもんです。いかに常日頃「意識的に生きていないか」がよくわかる現象ですね。英語のテストを受ける前に「あー、俺はこの瞬間生きていなかったな」なんて振り返ってしまう。もう、早く会場に辿り着きたい(笑)。

どうやら船橋まで移動しないといけないみたいですね。船橋って、よく聞きますけど実際に行ったことはなかったです。まぁ、今回もただの乗り継ぎだけですけれども。

さて、つきました船橋。なるほど、なるほど、ここが船橋ですか。

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うん、なんの感慨もないですね(笑)。乗り継ぎするだけだし。船橋総武線とやらに乗り継いで西千葉駅に行けばいいみたい。総武線に乗るのは多分人生初めて。

西千葉駅の改札から千葉大学まではホントにすぐなんですね。すぐっていうか、もう目の前が大学ですね。

大学の敷地に入るのは一体何年ぶりでしょう。留年しそうになった嫌な記憶ばかりが蘇ってきます(笑)。最近やっと見なくなりましたけど、大学を修了してからもずいぶん長い間、テストで苦しむ夢をみていました。理系大学ではよくあることだと思いますけど、進級できるかどうかが本当に怖かったです。なんせ勉強なんてちっともしていなかったので。

フラッシュバックと戦いながら、大学の構内を歩きます。今日は昨日より湿度が低いので結構清々しいです。木漏れ日の中を歩くのは気持ちがいいですね。その間もちょいちょい留年の悪夢が顔を出しますけど。

この大学の構内・・・セミがめっちゃうるさいけど、リスニングの音はちゃんときこえるんだろうか・・・(部屋の中もセミの鳴き声は聞こえましたけど、リスニングはまぁ問題なかったです)

試験会場の中

大学の教室に入ります。おー、なんか学生になった気分。また意味のわからない授業を聞いて吐きそうになってた記憶が……

割と小さめの教室に受験生が30人くらい入ってました。年齢層はやはり20代くらいが一番多いですね。30代以降は少ないですけど、それでも3割くらいはいたかな。それよりもっと歳上の方もいましたね。

僕の前の席にいた人は、白髪混じりで50-60代のおじさんでした。この人のインパクトが結構強烈。短パンにビーサン、そしてどこかの野球チームのユニホーム的なものを羽織っていました。髪の毛はもじゃもじゃ。うまく伝わるかわかりませんけど「上野アメ横あたりの飲み屋で日曜の朝から飲んだくれてる茂木健一郎みたいな感じを想像してくれればよろしいかと。

僕のいた教室で一番強烈な個性を解き放っています。なんかもう、かっこいいと勘違いさえしてしまいそう。「最初はなんか汚いおじさん」と思っていましたが、ひょっとしたらイギリス文学とかやってる人かもしれません。あの歳でわざわざTOEICを受けるんだから、きっとその筋の人でしょう。どの筋かは知りませんけど。

もじゃもじゃ頭でちょっとデカダンスな感じ。よく考えると「TOEICを受けにきた坂口安吾」に見えなくもないですね。もしや、このおじさん、できる!?

最初はアメ横にいる汚い呑んだくれおやじ」って言ってたのに、今度は「イギリス文学をやってる坂口安吾ですよ。この人の評価の変わりよう… えーと、ここで言いたいのは、偏見と妄想はやめましょうということですね。はい、気をつけます。

準備はよいか?

こういう試験は結構ルールが厳しいですからね、ちゃんと事前に用意をしておかないと。むかーし、受験したときは、証明写真を忘れて会場で慌てて貼り付けたことがあります。そんなことはないように、今回はちゃんと事前に用意しておきました。(威張ることじゃないですね、当然とことです)

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これでバッチリ!署名もちゃんとしたし!…おや、署名のところをよく見ると、「黒のボールペンで」って書いてある!いつものクセで青のボールペンで書いてしまった…!!抜かりなく準備したつもりがこれで減点1ですよ。まさかこんなところに伏兵がいるとは思わなんだわ。いやいや、普通みんな青ペン使うでしょ?使わないんですか?まあ、いいや、

このくらいのミスで受験資格が剥奪されることはないでしょう。

他にも決まり事がたくさんありますわね。「電子機器の電源を切ること」っていうのは、まぁそれはそうですわね。試験中にバイブ音が鳴ったら迷惑ですもんね。

「アップルウォッチとかもダメ」って言われて、ふと不安になってしまいました。僕はアップルウォッチではないのですが、Fitbit を普段着けています。歩数と時間くらいしか表示されないすごく機能の制限されてるやつです。これもひょっとしてアウト?ってこの時思ってしまい、外して鞄の中にしまいました。「Fitbit 以外に時計があるからまぁいいや」とこの時思ったんです。そして、この時の選択が結構致命的なミスでした。

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右側のが普段着けているFitbit で、左側のが今回使用した時計です。機械式の時計なんですよ。ゼンマイを巻くやつですね。はい、お察しの通りです。試験中に止まってました…

さぁ、テスト本番です!

まずはリスニングからですね。「こんなもん簡単だろー!」なんて舐めた態度でいると、結構引っかかりますね(笑)。なんなんだ、TOEICよ、なんかトリッキーな問題出してくるのね。「テスト受ける前に過去問くらい解いておけよ!」って自分を叱りたい。

だいぶ解いてやっと奴らの攻撃パターンが掴めてきました!長文のやつは「この次どうなる?」みたいな問題があるので、文の最後までちゃんと聞いていないといけないわけですね。なるほど、なるほど。

それにしても、このTOEICのリスニング問題、めっちゃ面白いですね。特に質問文の後にその答えの文が3つくらい読み上げられるやつ。「いやいや、その答えはねぇだろ!」って感じのが沢山あって秀逸ですよ。笑いのセンスが抜群に高いですね。

例えば、「高子さん、わしは腹が減ったんじゃが、晩ごはんはまだかのぉ?」みたいな質問文があるとすると、選択肢がーー

    A) 奥さんとは昨年離婚したでしょ?

    B) 今日は鯖の味噌煮込みです

    C) 収入が減ったので晩ごはんはありません

    D) おじいちゃん、さっき食べたばかりでしょ

みたいな感じでございましょう?(実際は3択です)

明らかに不正解の選択肢のチグハグ具合が、ペッパーくんとのやりとりみたいで面白かったです。面白がる前に問題をちゃんと解かないといかんですけど。

そして悲劇は起こる

リスニングの次は、リーディングですね。文法問題とか、短文の問題は、わからなかったらもうね、「ヤイヤイ!!」って飛ばしていってしまえばいいのですが、問題は最後のなんか意味不明なやつ。あれって、Part 7 (??) ですかね。英文が3つあって、そこから情報を拾って答えを見つけるやつ。正直、「なにこれ?」って思いました。結構トリッキーで難しくないですか。英語云々もありますけど、単純に答えをみつけるのに時間がかかる感じですね。たぶん、日本語で似たような問題を出されても僕は戸惑うような気がする。

結構苦戦してやっていて、時間が気になってきました。ふと時計を見ると、11:50です。

おー、まだ11:50か。あと30分もあるなら結構余裕じゃない?

またしばらく問題を解いてから、時計をみます。

おー、まだ11:50か。あと30分もあるなら結構余裕じゃない?

※この時は、異変に気が付いていませんでした。

そして、また問題を解いてから時計を確認しました、

おー、まだ11:50か。まだまだ余裕だなぁ・・・・って、さっきから時間が変わっていない!??あ!時計が止まっとるやん・・・!!

これは致命的なミスでした。前述の通り、時計のゼンマイが切れていて、時計の針が完全に止まっておりました。気づいたときには時すでに遅し。

試験管「はい、時間です!終了してください!」

ちーーーん・・・10問は何もマークしないで提出しました。せめて何か塗り絵くらいしておけば2-3問は当たっただろうに・・・

今回学んだこと

今更ですけど、試験前にちゃんと過去問くらい解いて準備をするべきですね。社会人でなくても当たり前のことですよ(笑)。まぁ、まぁ、点数が低い「言い訳」はこれくらいにしておきまして、今回のテスト結果がでたらちゃんと晒上げますので、もしこの記事をここまでご覧になった方がいらっしゃったら楽しみにしていてください。みなさんの嗤いのネタに喜んでなりましょう。

わざわざ顔まで晒上げているのは今時なかなかないと思います。これはー、自傷行為的なもんです(笑)。一応、AIとかじゃなくて、ちゃんと実在する人間がやっています。これが綺麗な女性だったら客寄せになるんでしょうけど、僕は男なので、その辺は残念!客寄せどころか逆効果の可能性の方が高い!でも、どういうやつがこの阿保ブログをかいているのか、顔が多少分かった方がイメージがわきやすいでございましょ?なんのイメージかは知らんですけど、負のイメージじゃないことを願います。

ただ点数の低いテスト結果だけを晒すのも芸がないので、過去問を解いて練習してから1か月後にもう一度テストを受けて、その結果を比較してみましょう!

A) テストの点が上がった → 勉強の成果だ!やった!

B) テストの点が変わらん! → ただのアホじゃねえか!

まぁ、どっちに転んでも面白く受け捉えることはできるかな。いやいや、点数を上げねば!!それでは、乞うご期待。

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これは帰り道の様子です。帰りもセミがめっちゃ鳴いておりました。僕の前の方には、例の「飲んだくれ茂木健一郎」がいたんですけど、見た目によらず紫外線に弱いのか、日傘をさしていました。なんなんだ、このギャップ萌え的なやつは!あの会場の中で一番日差しとか気にしなさそうな雰囲気なのに!くそ!あのおじさんになんか一本取られた気がする(笑)。

赤ちゃんの髪の毛を切るのはS級難度

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こんばんは。小ネタでございます。

うちのベイビーくんがそろそろ1歳になるのですが、最近髪の毛が伸び過ぎてだいぶもっさりさんになってきました。

ボサボサ髪ではじめての誕生日を迎えるのもちょっとかわいそうかなと思って、髪を切ってあげることにしました。でも、ここで一つ心配なことがあります。

果たして失敗しないで切れるかどうか…

誕生日前にサッパリさせようとしているのに、逆にとんでもない髪型になっては、場合にやっちゃ一生もんの恥になるやもしれません…!

実際に、長男の時は何度もやっちまったことがあるのでなおさら心配です。

大人しくじっとしてくれればいいんですけど、赤ちゃんは100%動きまくります。途中で泣き叫んだりね。

うちの長男は、最近はお店でも切れるようになりましたけど、4歳くらいになるまではとてもじゃないけどまともにきれなかったです。ギャーギャー騒ぐので。一太刀一太刀が命懸けでございますよ。

取り敢えずやっちまおう!

迷っている間にも髪は伸びますので、やってしまいましょう。レッツ散髪!

さて、切る前の髪の伸び具合はと言いますと…

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こんな感じ。この写真だとちょっとわかりにくいですけど、前髪の長いバンドマンみたいな感じになっています。

さて、ここからどうするか… 分かっています。長男で散々失敗してきたので、わかっています。大事なのは、一にもニにも、まずスピード!!きゃつらは常に動きまくっていますから、一瞬で太刀を入れるしかない!待ってくれないのです。

鬼滅の刃は読んだことないけど、アレですよ、全集中の呼吸とかですよ。(すみません、テキトーに言ってるのでたぶん違うと思う)

 

髪をすくう!

切る髪の分量を見極める!

ハサミを入れる場所をイメージ!

ベイビーが動きを止める一瞬の隙をついて切る!!

 

るろ剣で学んだ飛天御剣流奥義の威力が大いに活用される場面です。僕らが中学生の時は、みんなるろ剣の技を繰り出しておったもんです。あの漫画は中二にはたまらんネーミングの技の宝庫でしたからね。

そして、あの当時から大して大人にもならないままに、二人のボーイズの父親になっています。「るろ剣とか言ってないで、さっさと髪切れよ!」って話ですよ。

最初のうちは、瀬田宗次郎もびっくりな僕の神速ハサミ走りに、うちの次男の礼次郎くんは自分が髪の毛を切られているとは気付きもしなかったわけですが、そのうち彼も異変に気が付いたようです。

「なんか髪の毛がほっぺとか首についとる!!」って。

でー、あとはギャン泣きですよ。こっちが泣きたい… 動くだけならまだなんとかなりますけど、泣いちゃったらもうおしまいですね。泣く子と地頭には勝てんですわ。

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「俺の髪に何すんねん!!」って顔してますでしょ?

ちなみに、ベイビーがあまりに動くので、ハサミで指を切ってしまいました(笑)。冗談なしで赤ちゃんの散髪は大変ですね。とにかく危ない。赤ちゃんを傷つけてないようにしていると、今度は自分の指をざっくりやったりしますので。こんなに危険なので、流石にお店にも行けないですよ。店の人が嫌がるだろうなって思います。

散髪後のベイビーくん

散髪は途中で断念せざるを得んかったですけど、まぁ取り敢えず前髪だけはなんとか切れたのでよしとしましょう。

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動きまくるのでやっぱり写真だと分かりにくいですけど、結構短くなりました。

後頭部と側頭部の散髪は… 来年頑張ります… 

おまけ 子供ができて思い知ったこと

独身時代と比較して明らかに変わったのは、自分の時間がなくなるってことですね。

隙間時間に、色々と書き溜めているんですけど、一旦作業を中断してしまうと何を書きたかったのか本気でわからんくなること多いです。鳥頭なので、三歩歩いたら全て忘却の彼方ですよ。

こんな調子で、中途半端に書いたブログの残骸が無数あります(笑)。

何かモノを書くのって、ナマモノみたいなところがあるなと思います。鮮度が命!「このタイミング」「このノリ」じゃないと文字が吐き出されないことってないですか?僕はそういうのばかりです。なので、一旦流れがブチっと切れてしまうと「あれ、なんだっけ?」みたいな感じになります。特に、僕の駄文は目的も何もなく書き散らしているものなので。

文章を書き始めると、あとはある程度は勝手に文字が文字を書いていってくれるので、自分はあってないような感じがしますね。文字に書き起こしていって初めて「あー、自分はそんなこと考えていたのか」って気付くことまありますし。

今日途中まで書いた駄ネタがあと二つあるのですが、このまままた死蔵されていくのであります…  

子育てしながら色々やる人ってすごいなって思います。今日の僕の一日なんて、だいたい "馬" になってたか、 “馬的な乗り物” になっていたかのどちらかです(笑)。

優秀なみなさんはプロダクティブな休日をお過ごしください。僕は関東で一番の馬になれるように頑張ります。関東は馬の産地ですからね。(今は知らんですけど)

昼にぶらり散歩って気候じゃないな、暑い!

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現金がなくなってしまってから2週間くらい経ちますけど、そもそも現金は使わないし、クレジットとかICカードとかでなんでも支払いができてしまいますね。

あと、単純に無料の時間帯にATMに行くのが面倒だったので、先延ばしにしていました。利子なんて全くつかないのに、手数料だけ取られるのも癪ですしね。

とはいえ、息子の習い事の支払いもあるし、今日は週末だし、重い腰を上げてコンビニのATMに行ってきましたーーー

 

いや、なんだこの蒸し暑さ!!

 

気温は30℃くらいだけど、もうね、ムワッとしますね。なんか大気を纏って歩いているみたいです。

久しぶりに昼間の上野の街を通ってみました。

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やっぱり、夜とは全く別の顔ですね。夜はもう不健全なんてもんじゃないくらいいかがわしさMAXですけど、昼間はなんか静かです。昼キャバとかやってるくらい。

この仲街通りのすぐ隣は割と健全な街になるから上野ってのは面白いところですね。

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さらにこの隣は不忍池ですね。

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ビル群と蓮の花が対照的で興味深いです。蓮の花はちょうど今が見頃ですね。僕は蓮花の中のあのブツブツした穴っぽこが苦手ですけど、遠巻きで見る分にはいいですな。

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言い方は悪いですけど、汚い都会のドブ池からこんなに美しい花が咲くなんて素晴らしいもんです。僕もこうありたいもんですな。っていうと、まるで今自分のいる環境がクソだって言ってるみたいに聞こえちゃうけど、そういうことではないです(笑)。

花は花でいいんですけど、それにしても湿度が高すぎです。

見てください、鳩たちもこの通りグロッキーで餌を探すことを放棄してますよ。

まだまだ暑いです。家に引きこもってエアコンをガンガンに効かせてアイス食べましょう!外に出る気候ではないです!!

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科学教育の大切さを実感しました

エセ科学的なのが多い

昔から科学っぽく見せかける手法はよくありました。それこそ、テレビで「納豆がダイエットにいい!その理由は〜」なんて感じで科学的な説明をそれっぽい感じの専門家が話すと、みんなころっとそれを信じてしまいますよね。

納豆がスーパーから消えた騒動は何年前のことだか…

残念なことに、我々の認知能力は数年前と比べて劇的に上がっているということはないので、今も昔もエセ科学には振り回されますね。

ここ最近気になるのが、「科学的に正しいホニャララ」みたいなやつです。

どうしても世の中を斜に構えてみる癖が抜けないので、こういうのをみた瞬間に「嘘つくんじゃねぇよ!」って反射的に思ってしまいます(笑)。

実際、嘘くさいやつが多いですし。これまた「科学的に」ってのがミソてますよね。ちゃんと実証できて、再現性があるかっちゅうことなので、「それがあんた個人に当てはまるかどうかは関係ないよ」ってことですから。

でも、こっちとしてはこれが知りたいんですよね。たとえ万人にとって不正解であろうと、自分にとって正解であればそれで全く問題なしですよ。

「できる人は早朝に仕事する!」みたいに言われようと、夜の方が仕事が捗るならそれはそれで正解だし。

「科学的に正しい」かどうかってのは、自分個人の問題に落とし込む際には、ホント参考程度にしか役に立たないし、なんなら害になることもありますわね。

自分の人生を振り返ってみて、科学的に正しそうなことが当てはまったことなんてまぁないですね(笑)。

睡眠一つとっても、1.5時間周期で寝てる人間なんていないですよね?睡眠にはまって結構長いこと計測をしていますけど、毎日結構ぐっちゃぐちゃですよ。その日の体調、気温、湿度などなど様々な要因で簡単にブレますので、単純に1.5時間周期にはならんなぁと。

そんなこんなで、僕個人的には巷で「科学科学」っていってるのにはちょっと猜疑心を抱いてます。

といいながらも、やっぱり科学は大事だな

ここまでちょっと科学をディスり気味に書いてきたのんですが、それでもやっぱり科学は大事だなと思った出来事がありました。

先日、髪を切りに床屋に行ってきました。美容院ではないです。昔っからやっている、今ではなかなか珍しくさえなってきた床屋さんです。

そこの兄さん、愛想がよくて髪を切るのもうまいのでいつも通っております。「兄さん」って言っても、僕より年上の方です。

そんな彼が、最近の湿度の高さについて語り始めました。

床屋さん「いやー、最近蒸し暑いですね」

僕「そうですね。ホント暑くて我慢できんですよ」

床屋さん「知ってました?除湿剤って、置いとくと、逆に湿気を寄せ付けちゃうみたいですよ?」

僕「え…⁉️」

 

うーん、なかなか難しい話ですね。確かに、除湿剤を置いたところの湿度が局所的に下がったら、周りとの湿度差が均衡になるように「湿度が寄せ付け」られちゃうでしょう。

けど、けど、この兄さんの話を聞いていると、どうもそういうニュアンスで話しているわけでは無さそう。

ゴキブリホイホイを置くと、逆にゴキブリを寄せ付けちゃう」みたいな話があるじゃないですか。あれの湿気バージョンでどうも話しているっぽい(笑)。

うーん… 僕は科学者じゃないからよくわかんないけど… そうなのかなぁ…?? でもまぁ、なかなか独創的な考えなので、思考法としては面白いですね。たぶん除湿剤に水分を呼び寄せるフォースがあって、周りの湿気を呼び寄せてしまうんだと。

うーむ、やっぱり科学教育は小さいうちからちゃんとしておかんといかんですな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログについて その2

えーと、時間が経ってしまったから何を書いていたのか忘れてしまいました… 取り敢えず、どうでもいいことを書いていたのは間違いないです。

あれか、「ブログを誰のために書くのか」みたいなことを書こうとしたのかな。

昔書いたネタで、僕のブログを読んでくれるであろう対象者を想定してみたんですが、それも今ではもうどうでもいいかなぁって思ってきました(笑)。

確かに、ターゲットを想定してそれに合わせて文章を書くことはいいことですけど、別にそういうのじゃなくてもいいなって思い始めました。

そもそも、僕の駄文が「誰かの役に立つかも」って考えることがおこがましかったですね。ホントすまんすまんです。「役に立つ」「立たない」で考えたら、そりゃもう僕の文章は圧倒的に役には立たんのです。

でも、それでいいんじゃないですかね。「他人の悩みを解消するブログを書こう!」とか、「他人の役に立つブログを」とかよく言われますし、それはそれで全くの正解なわけだけど、そんなに意味に固執しなくてもいいかな。

駄文であろうと世に出してしまった以上、僕がどう思うかってのは関係なく、このブログの評価は他人様がするわけですけど、それで誰かがクスッと笑ってくれればそれはそれでいいし、「こんなクソみたいな文を書きやがって!」と憤慨するならするでそれは仕方ないし。

あと、なんだかんだで自分のブログの一番の読者は自分なわけで、何か書いて得してるのも自分なので、それでもう十分だなって気がしますね。

ネガティブ防止

「じゃあ、自分の日記にでも書いろ!」って言われるでしょうけど、それはもうすでに書いてるしなぁ(笑)。あと、ブログに公開することの利点は、「誰かに見られる可能性がある」ってことですね。

これが個人の日記と圧倒的に違いますね。本の少しの差ですけど、読む人が1人でもいると、アウトプットされる文章の内容や量がガラリと変わりますな。

特に、僕みたいに抑鬱傾向の強い人間は放っておいたら凄まじくネガティブなことしか考えないわけですよ。かなり意識的にコントロールしないと、とんでもないことになる!

昔の日記を振り返ってみてみると、本当にネガティブ沼の澱を取り出して、さらに濃縮させたのうな内容で、自分で読んでも結構ドン引くレベルです。

これが、「他人の目」が入るとそこまでネガティブなことを言わないようにと気をつけるようになりますね。(それでもやっぱりネガティブは滲み出てくるんだけれども(笑))。

そんな感じで、ブログを世間様に晒すのには監視効果がありますね、僕の場合は。

結局誰のために書くよ?

この問いに対する声は、もうぶっちゃけどうでもいいなと(笑)。

自分の好きなように発信してみて、それで奇跡的に他人が喜んだらそれはそれでいいし、そうじゃなくても「書くこと」自体が目的だから、まぁいいかなと。

書くために書く

ああ、そうですね、「誰のために」とかじゃなくて、「書くために書いてる」っていうのが一番しっくりくるかも。

前にどこかで「書くことは排泄行為だ」なんて書いた気がしますけど、もう少し別の表現もあるかもと思うようになってきました。僕の場合、「嘔吐」に近いかもしれない(笑)。

僕は昔はとんでもない大酒飲みで、ここに書いたら多分アウトな感じでガバガバ酒を浴びらように飲んでいました。

平日でも飲みまくって、気持ち悪くなったら、酒を追加で飲むために吐いていました。吐くと溜まっていた気持ち悪さが一気に解消されますよね。それに近いかも(笑)。

吐瀉物は基本的に汚いですよね、それも書くことに似ているなあ(笑)。基本的に、過去に自分が書いた文って直視できないです。気持ち悪いから。

「吐き出さずにはいられないから吐いて気持ち悪さを解消する」みたいな感じ!うん、こんな感じだから駄文しか産出できないのですね。反省もんだな。

「書くこと」は、出した後の爽快感に例えるならウ○コですけど、気持ち悪さの解消っていうことろに焦点を当てるなら嘔吐ですね。うん、なんて品のない例え方でしょう。これが教養のない人間の限界ですね。

最近のブログについて思うこと

そうだ、なんでこんなどうでもいいことを考えたのかって言いますと、最近のブログになんか違和感っていうか嫌悪感を覚えたからです。

Googleで検索しても、「どいつもこいつも似たような」感じのSEO受けしそうなやつばっかりヒットして、なんか気持ち悪い

そして、内容がそんなに濃くないのに広告がやたらと多い。

そしてそして、兎に角醜悪な広告が多い!普通に調べているだけなのに、わけの分からんエロい漫画の広告とか載せないでほしいですね。ウンコだゲロだと言っていた人間のいうセリフじゃないですけどさ。

YouTubeの広告もそうですけど、まぁ人のコンプレックスと不安を煽ってからウソくさくその解決法を提示するいかがわしい広告の多いこと。

神田昌典あたりが広めたPASONAの法則も、いい加減一般的になっているからその効果がなくなってもいいはずなのに、なぜかしぶとく残っていますね。手の内はバレているのになんでだろ?

そんなこんなで、なぜかここ最近、今更ながら「広告で胸焼け」しておりました。なので、「ブログで小遣いを稼ごう」っていう気持ちが急速に萎えて行きました(笑)。

じゃあ何を書こうか?

こんなことを書き出すのは、きっと周期的に抑鬱期に入りつつあるのかなぁと思いつつも、今後の方針について考えてみましょう。

自分のために書いても、他人のためになるように意識して書いてもどっちゃでもええと思うんですけど、他人受けするような内容を書くこともそれはそれで良い訓練になるのでやって行こうと思います。

それと同時に、自分をえぐり出す文も書いていきましょうかね。たぶんこっちのは需要がないので、自慰行為みたいなもんですね。

太宰治か誰かが言ってましたけど、文章を他人に晒すのは娼婦よりも恥ずかしいことをしているもんだと。娼婦は体は晒すものの、心までは晒さない。モノ書きってのは、自分の頭の中を公衆に晒し上げているので娼婦よりも恥ずかしい商売なんだと。

昔は限られた人しか自分の文章を世に出すことができなかったですけど、今やどんな民草でもクリック1つでネットに自分の文章を公開できる。これはすごいことですね。世界に向かって自分の恥部を曝け出すことができるようになったんですから。

昔の文豪さんたちは私小説って形で自分の人生を切り売りしたりしていましたけど、今の我々は無料でしかもリアルタイムで同じようなことができちゃうんだからびっくりです。ブログってのは、「リアルタイム無料私小説って言ってもいいんじゃないかなと。

僕には商品を薦めるための文章は苦痛過ぎて書けないので、自分を曝露していくのが一番楽ちんだなぁ。まぁ、そんなのに需要はないけど(笑)!

何も考えずに頭に浮かんできたことをポンポン出していったので、またとりとめのない駄文になってしまいました。

まぁ、とにかく脳のデトックスということで、これからも駄文を書き綴っていこうかしらんと思った次第です。

不惑の歳が近付いているってのに、いつまでたってもフワフワしておりますけど、世間様と相当ズレてしまうっていうのは、だいぶ諦めができてきたような気がします。

ドンマイ、自分!来世に期待だ!

 

ブログについて

人間、刹那刹那で自我がコロコロ変わるので、自分の考えていることもまぁよく変わるもんです。

これは予防線みたいなもんですけど、僕も常に考えていることが変わります。本当にかわりまくります。鳥頭かってなくらいによく変わるもんです。このブログで書いていることも矛盾することばっかりですが気にしないでください!「そういうデフォルト設定」だと思っていただければ助かります。

でも、しょうがないですよね、だって諸法無我ですから(笑)。都合のいいときだけ使ってたら釈迦にしかられてしまいますね。冗談はさておき、僕の座右の銘諸法無我っていうのは本当です。この、自我ってやつに嫌というほど苦しめられています。抑鬱で30年苦しみまくっているほどですよ。それくらいに "I LOVE/HATE 自我" でございます。

なんで、「考えがよく変わる」と申し上げたかといいますと、ブログの方針についてまた考え方が変わってきました。

当初このブログを始めたきっかけは、義理のお母さんですらブログを続けているというのがショックだっらからでした。かなり失礼な言い方ですけど、だって、つい最近までスマホを使っていなかったような50代よりは自分の方が「できる」って思い込んでしまいますからね。何ができるのかはわからんですけど。

ブログを続けているのは、自分の「認知の歪みを直す」っていうのが大きい理由かなと。前にもこんなようなことを書いたような気がしますけど、きっとちょっと違うことを書いているんだろうなぁ。

子供のころからあまりにも世の中を斜に構えてみていたため、そのツケが溜まりにたまって、「鬱」という形で自分に襲い掛かってきてしまいましたので、これをどうにかせんといかんと思ったわけです。

そこで、これまでの自分の世の中の見方から変えないといけないなと。

数年前にいろんな自分ルールを作りました。

・流行りものには乗る

・流行りの歌を聴く

・ジャニーズとかAKBとかを否定しない

・本屋で平積みされている本は買う

・「なんだこの本は?」ってバカにしたらその本は買い取らなければいけない

・これまで否定してきた人たちの本を買う

などなどですね。基本的には「自分がこれまで唾棄してきたもの」に向き合うっていう感じですね。

本で言うと、自己啓発系とかですね。昔の自分がこういったのが嫌いで嫌いで唾を吐きまくっていました。「7つの習慣」とか「思考は現実化する」とか「引き寄せの法則」とか、昔は毛嫌いしていたものを買って吐きそうになりながら読みました。

あと、ホリエモンとかひろゆきも食わず嫌いしていたので、彼らの出している本もそこそこ読みました。

「一体お前は何の修行をしているんだ??」といわれたら、なんと答えればよいかわからんですけど、自分の認知の歪みを矯正するには必要だったなあと思います。

今もやっぱりどうしても世間様からどうしてもズレてしまいますけど、それはもうしゃーないなと。

 

ブログやSNSも自分が唾棄してきたものの一つでした。数年前なら絶対にやらなかったし、そもそもやろうとも思っていなかったですね。

プロフィールに顔写真を載せているのもそう。昔の自分なら絶対に個人情報を晒すなんていうことは絶対にしなかったですね。

たぶん、数年前の自分が今の自分のブログをみたら「こいつは頭がおかしくなったのか」と思うかもしれませんね。自分の子供のネタをブログで晒すっていうのも、昔の自分なら一番毛嫌いしていたことですね。「アラサー」とか「アラフォー」とか、「イクメン」っていう言葉も基本的に嫌いでしたね。なので、このブログ自体が自分の今までの毛嫌いを凝集したようなことろがありますね(笑)。

 

そんなこんなでブログを2か月ちょっと続けていますけど、僕もふとやましいことを考えおりました。

「ブログで小銭を稼げねえかな?」って。

自分の名誉 (あるのか知らんけど) のためにいいますけど、たぶん他のみなさんも似たようなことを思うでしょうし、そもそもそのためにブログを始めた人も大勢いるはず!

賢い人なら、チャチャチャッと自分のブログを立ち上げて、特化ブログを作って稼げるブログを作れるんでしょうけど、さすがにそれは僕には無理。

ということで、まずはテキトーに本をどっさり買い漁って調べてみました。30-50cm 分くらい読めばまぁなんとか方向性はわかるでしょう、という浅はかな考えです。

色んな本を読んでみて思ったのが、結局どの本も「これから小銭を稼ごうとおもうさもしい奴から金を巻き上げる」ために書かれているので、どうもピンとこなかったですね。

ブログで金を稼ぐには、まずは儲かるジャンルで何を売るかを絞って、それにあった特化ブログを構築して、Twitterとか他のSNSを駆使して集客するというかなりの根気と労力が必要そうです。うーん、僕には無理だな(笑)。

「自分が本当に良いと思ったもの、家族や友達にもおすすめできるものを売りましょう」っていうけどさ、そんなもんねぇよ!!ってなっちゃう。だいたい、自分の生活を振り返ってみて、普段何を買っているって、本とボールペンくらいしかないって。食費とかの必要経費をのぞいたら、自分の支出の9割は本だと思う。で、本なんて仮に薦めて売れたとしても、儲けにならんですな。

じゃあ、他の手数料の高そうな英会話レッスンとかを他人に薦められるかっていうと、自分がさんざん英語に苦しんできて、それなりに金も使ってきたから、他人をだまして金をむしり取ることは・・・うーん、無理だなぁ。英会話にしろ、プログラミングスクールにしろ、何も知らない初心者から金をむしり取るという構造は変わらんので、それに加担はしたくないなぁと思います。甘ちゃんですけど。

精神の矯正をしてはいますけど、そんなに簡単に天邪鬼な性格は治らないので、誰かにモノを売る前提のブログは僕にはできないなぁ。絶対ちゃちゃを入れたくなってしまう。そんな、自分が本当にいいと思ってもいないものを売れるほど、心が優れておらんのですよ・・・

まぁ、こんな感じでアフィで小遣い稼ぎっていうのは、僕の性格上たぶん向いていないですね。自分の卑しさに嫌気がでて抑鬱が強くなってしまう可能性がありますな。

 

誰かのために書くのか。このネタも、ちょっと前に書いてみたけど、また自分の考えが変わってきました。「誰かのため」に書くというのも大切ですけど・・・ あ、時間が来てしまった・・・続きはあとで書こう。。。