茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

断酒の覚悟。飲み会で酒を一滴も飲まなかった

どうということはない話ですけど、僕にとってはかなりの偉業(?)です。端的に言うと、客との飲み会で酒を飲まなかった!一滴も!!

これまで断酒を続けてきたけど、それができたのは第一に日本にいなかったから日本式のそもそも飲み会がなかったことと、あとはコロナでずっと引きこもり生活だったことが主な要因だと思います。特に、コロナじゃなかったら、客との会食は避けられないから、断酒は出来なかったでしょう。

今日は、なんちゅうか、もう典型的な日本の飲み会って感じの飲みだったわけですけど、一切酒を断わりました。

副社長やら常務やら室長やら部長やらお偉いさんばっかりいる中で、僕のステータスが一番低かったわけですけど、酒を全て断ってやった…!!全て!昔の自分だったら、多分あの席で一番酒をガバガバ飲んでいたことでしょう。しかし、昔の自分ではありません。

これでうちの上司が切れて、「おめぇなんかもう知らん!」と言ってきても別に構わんです。そんときは仕事をキッパリやめてやらぁ!

色々書いたいことはあったんですけど、もう、眠いので書けない… ただ、断酒を続けているって自慢したかっただけです(笑)。万に一人もいないだけうけど、もしこれを目にした酒をやめたいサラリーマンがいたら参考にしてくだされ。

 

どうでもいい仕事について。効率化という名で達成される非効率

「ブルシットジョブ」の本を読んでいたく感銘を受けて、あたらめて周りをよく見てみるとブルシットジョブの多いこと多いこと。7割くらいはクッソどうでもいい仕事なんじゃないかなって思います。これはあくまで主観的な見方なんですけれども。コンプライアンス関連の仕事なんて、僕にはどうでもいい仕事に見えてしまいますが、確かに大切だという意見もわかります。でも、人出ばっかり使って全く利益を出していないどころか、一般業務を非効率にしてるなぁって思ってしまう。

ここで書くのは僕の妄想の話だと思ってください。フィクションです。

作業がべらぼーに増えてる

とある中堅社員は、どこぞの関連会社に出向して何年かぶりに本社に帰ってきました。その数年間のうちに会社の様子は随分と様変わりしたようです。そもそも、合併によって自分のいた組織が消滅していました。

合併直後は2社のシステムを併走させていたそうなのですが、これを統合させなきゃいけないという話になりました。ここまではわかります。たしかに、同じ会社で使っている基幹システムが違ったら面倒ですからね。数年がかりで新しいシステムを構築した結果… 社員みんなから「クソシステム」と罵られるステキなものができましたとさ。

何が素晴らしいかって、以前よりも入力情報が格段に増えて、操作も複雑になったのに、検索はしにくいし、欲しい情報が全く出てこない… やたらとインプットは求められるのに、情報のアウトプットが脆弱すぎる… こんな状態なので、みんな必要なデータは「自分でエクセル管理する」という結局昔と同じ状態に戻ってます。「効率化」が目的だったはずなのに、作業がべらぼーに複雑化して、そのために膨大な時間を費やすことになるという笑えない状況ですね。みんな冗談で「紙の方が効率いいんじゃねぇの?」なんて言ってますけど、本当にそうかもしれない…

とりあえず人増やすという発想

そんなこんなで「効率化」の名目によって格段と非効率化されたその組織は、その体質として、いつもどこかお役所的なところがあるようです。「効率化しよう」→「システム統合だ!」→「データの入力が増えすぎて人が足りない」→「派遣をいっぱい雇おう!!」という流れになるみたいね。なぜこうなる… そこは効率化しようとしないで、人を増やせばいいという考えになるんですね。不思議なもんです。こうしてさらに非効率化は加速していくのです。

「人を増やす」というのも、実際に効率化につながるかどうかなかなか難しいもんだと思います。それぞれの作業がつながっていて、1人で全てこなした方がいい場合、それを分断して2人でやってしまうと逆にやりにくかったりしますわね。作業の引き継ぎのところでどうしてもロスが出てしまう。単純に人手を増やせばいいというもんではないよなぁ。

この「取り敢えず人増やしちゃう問題」は一体どういう発想からくるのか謎です。ある程度組織に人を置いて、それなりの形に仕上げるのがいいっていう面子からきているんですかねぇ。

明らかに仕事がそんなになくて暇そうにしているのに何故か年中「忙しい忙しい」って言って、人員を拡張しているところもありますわねえ。そして昼寝する派遣社員が増えていく…

pdfで効率化は達成できない

だいぶ前からペーパーレス化の波は来ていますけど、コロナになってからさらに加速したような感じですね。紙の管理は大変だし、保管に場所をとるのでpdfにした方が遥かに効率が良さそうなもんですがー、なぜか現実にはそうはならなかったりする。ブルシットな魔法がかかってしまいやすね。これも架空の会社のはなしなんですけど、こんなことが起きてるそうです。

ペーパーレス化を進めるにあたり、そのpdfをどうすれば適切に管理できるかということが浮上してきます。紙の場合は改竄がしにくいですけど、電子媒体の場合は、改竄してもパッと見分かりにくいですからね。例えば、お客さんからの受注や、こちらからサプライヤーへの発注記録なんかは厳密に管理しなきゃあかんという話になるわけです。いい加減に管理していたら、横領の温床になるかもしれんですからね。ここまでは話はわかります。ではどうやって管理するのかとなった時に、電子媒体で受発注をした場合は、「一件一件稟議(電子)にかけなければならない」という謎ルールがその会社では生まれたそうです。もう、何を言ってんだか全く理解できないです(笑)。これ、冗談ならわかるけど、本気でやっちゃうところがすごいよねぇ。どういう考え方をしたらそうなるのか… 電子化で効率化するはずが、管理のための仕事が増えて、それを承認するために多くの人手が必要となる。あれ?こんなことなら、紙をファイリングしておく方が100倍楽じゃない(笑)!?

技術の進歩は必ずしも人間の社会を豊かにしないということですね。僕たちは科学技術が進歩すればより幸せになれると信じてきたけど、案外そうでもないなあ。人類の歴史を1万年くらい遡ってみても、農耕が始まってから人類は餓死するようになったんだから、昔から人類は何かに呪われとるんじゃないかと思ってしまう。

拘束時間について

どんな部署の人でもそうだと思うけど、365日四六時中忙しいという人はまずいないはず。もしそんなのがいたら、仕事の管理についてもっと考えた方がよいですね。仕事には絶対緩急があって、繁忙期もあれば閑散期もあります。忙しい時もあればちょっと暇な時もあるはずなのに、現在の労働形態ではそんな事情は完全無視で、絶対に9-5時で会社にいなければいかんという。みんなこれが無意味だって思っているのに是正する手段は無さそうですね。

例えば、経理だったら四半期や決算期はめちゃくちゃ忙しいでしょうけど、それ以外の期間もそれと同じくらい忙しいかっていうと、そうではないですよね。暇な時は、それこそ昼の3時くらいに帰っちゃってもいいのになと思うわけです。

でも、できないんですよねぇ。これをやってしまうと管理が劇的に難しくなってしまいますわね。成果主義はいいとして、果たしてそれをどうやって公平公正に評価するのか。Aさんは会社に週40時間いるけど、Bさんは週20時間しかいない。「成果は同じだから給料も同じね!」なんてやったら、絶対に不平不満が爆発しますわなぁ。

ここで発生しそうな問題は、「公平公正に社員の働きを評価するシステムを構築しよう!」って言う人が出てくることかな。こんなことやったら嫌な予感しかしないです(笑)。一体何が起きるかなあ…

・新しい人事評価システムを構築するためのプロジェクトチームが立ち上がる

・効率的な人事システム構築のための超非効率で不毛な会議が何百時間も実施される

・結局誰得なのかわからないシステムができあがる

・システム運用のための部署ができて、人出が増える

・人事評価のために無駄なデータ収集作業が増える

・振り返ってみると前よりも無駄な仕事が増えてる…

冗談で書いてみたけど、こんなバカみたいなことが実際の社会で起きてしまうから不思議ですよねぇ。なんなんでしょうね、この意味のわからんパラドックスは。効率化を進めれば進めるほど非効率になっていく。僕ら人類は踏み込んではならない沼にどっぷり浸かってしまっているのかしら。

一体何が本当に効率的なのか、考えていかんとならんですな。人間がこねくり出す合理性なんて所詮欠陥だらけなんだから、合理性の陥穽にはまらないようにしないとね。

まとめ

合理性なんてクソっくらえだぁ!って叫びたいですね。所詮、人間の合理性なんて限界があるので、合理合理と叫んで、理詰めでいろんなものを構築していっても、不思議なことに不合理のキメラみたいなもんができちゃうんですよね。どうにかならんもんかね。やっぱり、少人数でツーカーで仕事をするのが「無駄な仕事が増えない」という点に於いては一番効率が良いのかも。個人的には、大きくても100-150人くらいの集団がちょうどいいなぁ。

赤ちゃんとゴリラの類似性

赤ちゃんとゴリラは一体何が似ているのか・・・

 

 

 

単純に見た目かな(笑)。すみません、なんも意味はないです。ただ、バナナ食べてる姿が赤ちゃんゴリラみたいだったから、やっぱり人間もサルの仲間なんだなぁって感慨深く思っただけです。昨日もバナナの投稿をしたから、ちょっとダブってますけど、今日の方が "よりゴリラ" ってことで。
誰もベイビーのバナナなんて盗らないのに、めちゃくちゃ真剣ですよ。

おれのバナナやから、ぜーったいにやらへんぞ!!

そして今回も激しいお食事。

人間らしく食べられるようになるのはいつでしょう。

そういえば、長男のときは食事しただけでお風呂に入ったりしていましたねぇ。あまりにも激しく汚すもんだから、拭くよりもそのまま風呂場で洗っちまった方が手っ取り早いってんでね。お食事に排泄。人間が人間らしい行動をとるようになるにはたゆまぬ訓練が必要ですな。食事よりもウンチの方がしつけは大変なんですよねぇ。ああ、思い出しました。「暇と退屈の倫理学」で、決まった場所に排泄するという行為はかなり不自然なことだから、これをなじませるのはかなり難しいとかなんとかって書いてありましたね。狩猟採集時代は、うんちはその辺にしていればよかったのに、定住がはじまるとちゃんと決められた場所にせにゃいかんので、これが人間の本来性と相容れないんだとか。へー、なるほどね。たしかに、したいときにしたいところでウンチできた方が合理的よね。いやいや、そんな世の中だったら散歩もろくにできないか。パリの街なんかワン糞と人糞だらけになっちゃうね。

さて、犬のウンチに気を付けて今日もでかけましょうかね。

他人の好意の断り方がわからない

超繊細さんな気質なので、ついつい他人がどう思うかなんていうどうでもいいことばかりが頭の中を駆け巡ってしまい、なかなか自分の主張をはっきりと表明することができません。みなさんもそういうことありませんかね?今回は、そんなスーパー繊細さんが他人からの善為を受けた時の話です。

休みの日は、出来るだけ息子たちを妻から遠ざけてストレスを与えないようにしないとあかんなぁと自分なりに気を遣っておるつもりです。時にはそれが裏目にでることもありますけれども。

この日は長男 (5) を連れて昼ごはんに行きました。単純に「外に行こう」と誘ってもそっけなく断ることは目に見えていますので、モノで釣ってやりました。「ラーメンと餃子食べたくないかい?」ってきいてみたら、即答で「行く行く!ケンちゃん食べたい!!」と返ってきました。子供って、こういう時は調子がいいよねぇ。

長男を連れて、前から気になっていたラーメン屋さんに入ってみました。個人経営の小さめのカウンターは10席もなくて、あとはテーブル席が2つあるだけのこぢんまりとした内装でした。

お店の中に入ってすぐに席に着こうとしたら、食券を先に買うように言われました。食券システムのあるお店は何年もきたことがなかったのですっかり忘れておりました。そうだ、ラーメン屋にはこの素晴らしいシステムがあったんだ。楽ちんでいいですな、食券ってやつは。

店主からおまけをもらいました

久しぶりのラーメンで長男くんは待ちきれない様子です。まだ見ぬラーメンを想像しながらはやる心を抑えきれない。ラーメンだけでこんなにワクワクできるだなんて!

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そして念願のラーメンが到着!

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味噌が自慢のお店のようです。スパイスが強めで美味しかったです。長男もその味に酔いしれているようです。

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人間はこんなにわかりやすく表現できるもんなんだねぇ。このノリなら中華一番の実写版に出られるな(笑)。

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ラーメンが出されたときに、注文していない煮卵が息子のラーメンの上にのっかっていました。変だなと思うと、店主が息子のためにおまけでくれたらしいのです。まぁ、うちの息子はこの「おまけ」って言葉に反応しておもちゃでももらえるもんだと勘違いしてましたけど。

この心遣い、めちゃくちゃありがたいです。チェーン店では絶対にできないやつですね。店主が見るからにいい人で、話していても子供がめっちゃ好きなんだなぁってのが肌で伝わってきます。この卵をくれた行為に他意はないんですよ、単純に善意なんですよ。だから、だからこそ辛い…!!うちの息子は卵を食べない…!!昔は卵アレルギーだったから、卵は食べさせなれなかったんですけど、今はアレルギー反応も出なくなったので、ただ単に食わず嫌いというだけ。

うちの長男は食わず嫌いが激しくて、「これは嫌い」と認知した瞬間から頑として食べなくなってしまいます。こればかりは困ったもんでどうすればいいんだかわかりません。今回の卵も「白身のところだけでもいいから食べなさい」と言っても、一欠片も食べようとしません。うーん、どうしたもんか。

善意の断り方がわからんです

返報性の原理ってのがあるじゃないですか。何か他人にしてもらったら返さんとあかんなって思ってしまうやつ。これって、繊細さんな気質の人はより強く働くような気がします。で、ただでさえ何かをしてもらったら返さないといけないなと強く感じてしまうのに、どうしてこれを断ることができましょうか(笑)??少なくとも僕にはできんのですよ。

好意で卵のおまけをつけてくれたのに、「あ、うちの息子卵嫌いなんでいりません!」なんて断ることは僕にはできないし、現にできなかった!第一、人の好意を平気で踏みにじることが出来るやつは人でなしじゃないか(笑)?

相手の好意が純粋であればあるほど、断ることの難易度は釣り上がっていきます。今回は子供好きな店主が、うちの息子が喜ぶだろうと思って煮卵をつけてくれたということは明白なので、もう拒否するわけにはいかんのですよ。どうする、自分!

厨房をチラチラみながら、店主の視線がこっちから外れた隙を狙って、息子の丼から卵をサッと取り出して素早く飲み込む!!これしかないでしょう、誰も傷付かない方法は。僕にはこんなことしかできやせんでした。他に何がベターな方法があったら知りたい…!

食べ物の場合は色々とハードルが上がりますな

僕みたいにそんなにうだうだ考えるのは無駄だからそもそも考えない方がいいんでしょうけど、それでもちょっと考えてしまいます。例えば、今回のような食べ物の場合はもしかしたら生命の危機に関することになりかねないので。

僕はアレルギーといったら花粉症くらいなもんで、そんなに大したことはないんですけど、長男はピーナッツアレルギーを持っていて、これがなかなか危険らしいです。外出する時は基本的にエピペンを持ち歩いています。自分が食物アレルギーとは無縁の人間だっので、息子が生まれるまではそんなにヤバいもんだとは全く気付きませんでしたね。

まだ息子がピーナッツアレルギーだとわからなかったときに、ナッツ類の何かを食べて吐きまくったことがありました。子供用のカーシートがゲロまみれでそれはそれは後処理が大変でした。その後、アレルギーが判明して、その深刻さに初めて気付きました。今でこそ食品にアレルギー表示が義務付けられていますけど、僕が子供の頃(30年くらい前)ってそれほどアレルギーに対する理解がなかったと思いますし、30年経っても僕みたいにアレルギーと無縁だった人間はアレルギーに対する理解がなかったです。「色々と食べられなくて大変だなあ」くらいの感覚しかなかったです。しかしながら、我が子がアレルギーとなるやいなや、これは食べ物も人を殺しかねないなと急にビビるようになるわけです。よかれと思ってホイホイ子供に食べ物をあげるのは危ないなぁと。大人なら分別があるからいいですけど、子供なんて与えられたら取り敢えず口に入れちゃいますもんね。子供の場合は気をつけんとあかんですな。

まぁ、散々アレルギー云々書きましたけど、息子はもう卵アレルギーじゃないから、それは食べとけよって話ですけどね(笑)。

赤ちゃんの時は卵とか乳アレルギーになりやすいみたい。因みに、うちの次男坊は乳アレルギーです。赤ちゃんのくせに乳アレルギーかよって、笑っちゃいかんですけど。乳がダメだと、パンが食べられないので厄介ですね。牛乳が少ないパンを少しずつ食べてアレルゲンに慣らしていっております。超熟はあまり牛乳を使っていないから練習にはうってつけらしいです。知らなかった。

さて、どう善意を施せばいいんじゃい?

昨今はどんなことにもうるさく言う人がおりますからね。歴史上、こんなにも「正しさ」を求められている時代もないでしょう。僕みたいなちゃらんぽらんな人間には住みにくい世の中になったもんです。

さぁ、今回のラーメン屋さんの場合、どうすれば "正しく" 子供に卵のおまけをあげることができたのでしょうかね?

店主に「卵のおまけをつけたいのですが、好き嫌いやアレルギーなどはありますか?」なんて訊かれたら、うーん、これではいくら正しかろうても、店主の "粋さ" がゼロ!全くもって興ざめだねぇ。おまけってのは、サプライズ感があるからいいのに、こんなこと言われたら「はぁ… ありがとうございます…」としか言いようがないなぁ。やっぱ、さりげなく「おまけつけといたよッ」て言われたいね。

やっぱり過度に正しさや合理性を求めると違和感しかないですな。テキトーくらいがちょうどいいのかもね。

 

赤ちゃんのモグモグ寝

前髪を切ろうと頑張ったんですけど、めっちゃ嫌がられたので結局ほとんど切れず、前髪もっさりさんのまま・・・

鬱にならないために「自分以外のことに焦点を当てよう」って先日のブログに書いたばかりなのに、放っておくとついついダークサイド方面にいってしまうので、今日は他人について書きます。他人といっても自分の息子なので赤の他人ではないですけど、自分ではないので、ギリギリ自分以外ってことで。

赤ちゃんがご飯を食べながら寝ちゃう動画がYouTubeとかであるじゃないですか。ご飯食べたいけど、眠たい~みたいな感じのやつです。子供ができる前までは、そんなのはネタだと思っていました。いやいや、いくら赤ちゃんが本能のままに生きているからといって、睡眠欲と食欲が競合するなんてあるかいなって思っておりました。でも、実際競合しちゃうみたいなんですよねぇ(笑)。食べるか寝るか、どっちかにすればいいのに、食べながら寝たり、寝ながら食べたり忙しいよね、赤ちゃんって。

最近はつかみ食べが気に入っているようです。欲張りなので、バナナを両手でつかんで貪り食っています。

ここのバナナはうめぇなあ。店にある分全部くれやぁ

そして食べるだけ食べて・・・バタンッ!!

みなさんお休み。

食って、寝る!!これを至福といわずして何を至福といおうか!

 

よし!今日は鬱成分ゼロで書けたはずです。そして、文量も1分で読めるくらいに絞りきれたかな。

ちなみに、このバナナはそうとうお上品に食べられた部類です。いつもの手掴み食いはこんな感じです↓

マナーとかには一切縛られない!自分の食いたいように食らう!ちょっとワイルドすぎるだろうて。腹ペコすぎて自分の手まで食べちゃう。タコか(笑)!

閑古鳥すら鳴かぬ上野アメ横

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小ネタです。

ちょっと用事があって上野の高島屋に寄ってきました。その帰りに久しぶりにアメ横を通ってみました。時間帯は夜の7時過ぎです。夜の時間にアメ横を通るのは5年半ぶりくらいかしら。そもそも、アメ横自体こなかったですけど。僕の脳内はコロナ前で記憶が止まっているので、あまりに閑散としていてびっくりしました。いやー、全然人がいないですね。全く人にぶつからないで歩けてしまう。いや、別に昔もぶつかってたってわけでもないですけど(笑)。

夜の7時と言ったら、会社帰りのサラリーマン達で飲み屋が溢れかえっているイメージでしたけど、人が入っている店はほぼ皆無でした。こんな状態でよく店が潰れないなと不思議なくらいです。店員さんが暇そうに外に出て客引きをしていましたけど、そもそも人が引けるほど歩行者がいない!閑古鳥が鳴くどころか、閑古鳥すらいない!!大丈夫か、上野!

仲町通りも通ったのですが、ここも全く客がいなかったですねぇ。この辺りは居酒屋とかいかがわしいお店が沢山あって、昔は賑わっていたのに、随分と静かな感じになりましたね。経済的な影響は計り知れんですけど、ただれた街が綺麗になるという点では、今回のコロナはいい影響をもたらしているのかもしれんですね。コロナ後の社会はいろんな意味でクリーンになっていくのでしょう。衛生面も、街の見た目も、人間付き合いも、全てにおいてクリーンになっていくんじゃない?(たぶんね)

アメ横仲町通りをプラプラ歩いていて、昔の記憶が蘇ってきました。昔は、鬱が極限まで酷くなっていて、もう絶望的に生きていたので、何をやるにも自暴自棄な感じ。日々生きるのが辛くて仕方がないから、本当に毎日祈るような感じでした。でも、「神」だとか「仏」だと超越的な存在をどうしても信じることができないので、「助けてくれ」と思っても、それをいう対象がない。なんてこったい。こんな救いようのない社会でみんなどうして平気な顔しているんだい?と嗚咽を漏らしながら生きておったわけです。こんな人間が何に逃げるかといえば、そりゃあ、酒に逃げるしかないわけで、上野近辺の居酒屋に入り浸っては記憶がぶっ飛ぶまでのんでいました。

毎回記憶が残っていないので、自分が一体どこで飲んでいたのか未だによくわからんですね(笑)。

アメ横の居酒屋で飲んでいる人を見ると、当時の自分が蘇ってくるような感じです。夢か現実かその境界がわからなくなるまで飲んで、フラフラ歩きながら、それでいて帰るでもなくさらにもう一軒もう一軒と店を梯子する。酔生夢死って言葉がぴったりですねぇ。あの時はもうそのまま死んでもいいと思っていたしなぁ。

いやー、当時を振り返ると、後悔しかないですね(笑)。なんで酒を辞めなかったのかと言われると、不思議なことに当時の自分は酒を飲むことが悪いことだなんて微塵も思っちゃいなかったです。自分の人生をより惨めにしているのが酒だなんて思っていなかったですね。これが依存症の怖さ!ドラッグは怖いのです。身近にあるぶん、ひょっとしたらハードドラッグよりもビールの方がやばいかもしれんですね。

この鬱マックス状態なクズ人間期を経て解ったのは、人間、「信じる」という能力がなくなってしまうと生きていけないということです。「信じる」と言っても、大袈裟にキリスト教とかイスラム教みたいな創唱宗教を信じるってなことだけではないです。明確な宗教以外にも、僕たちはいろんなことを信じていますよね。社会のルール、貨幣、資本主義、愛、友情、会社、なんでもいいけど、ありもしないものをあるものだと信じて毎日生きてる。「そういう設定」としてなんの疑いもなくやり過ごした方が行きやすいし、そうじゃないと社会が回らんですわね。「信じる」っていうのか「妄想する」っていうのか、どっちがよりしっくりくるかわからんですけど。こういうのをあのユヴァル・ノア・ハラリが言語がしていて「おー、西欧圏の人がそんなこと言うなんてすげぇ!」って驚愕しました。僕らはどう足掻いても、宗教的にしか生きられない存在ですわね。「信じる」という基本的なことができなくなってしまうと、あとは絶望しか残らんわけで、これはなかなか厄介なもんです。一度でも「不信」の沼にハマると塗炭の苦しみを味わうことに!

こういうことを言うとたいてい「何言ってんだこいつ」っていう反応をされると分かっています。そう、ちゃんとした人たちは生きることではそもそも躓かない!そういうとこで躓いちゃうのは社会不適合な人間のクズだけ。でも、クズだっていいじゃない!こんなクズにも多分生きる権利くらいはあるはず。

いかんいかん、なんか自虐っぽい感じになってきたのでそろそろやめます。なんかアメ横の話からだいぶそれてしまいました。えーと、アメ横は楽しいからみんな来てねっていう話だったかな。次からはもっとパリピな話にしますね。「上野で飲んだよ!たのしー!」みたいな感じにします。はい、生きることは喜び。誰なんだ、一切皆苦とか言い出したけしからんやつは!酔ったように生きて夢の中で死んでいくんだ!

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あ!この前の投稿で「自分に焦点を当てないこと」って書いたのに、早速自分に焦点当てまくってる!なんてこった!これはなかなか治らん癖ですねぇ。

妻にちゃんと寝てもらおうとやった善意のせいで、逆に妻を不眠にさせてしまった

朝から妻がちょっと俯き加減でちょっと調子が悪そうだったので、いったいどうしたのかと訊いたところ「ちょと鬱気味」という応えが返ってきました。育児鬱っていうやつはなかなか侮れないもんで、深刻な状況に陥ってしまう場合も少なくないと思います。特に、うちの妻の場合は元々が鬱になりやすい気質なので注意が必要なのです。ということを抑鬱30年の自分が言っているのもなんだかなぁという感じはしますけれど。自分の鬱をまずはなんとかせいっていうね(笑)。まぁ、それはそれとして、この日は妻のケアをせんといかんなとダメ夫なりに考えたわけです。

僕の経験上、身体の状態と精神はかなり密接にリンクしていて、鬱に関しても、まずは身体問題を解決するのがよかろうと考えております。疲労と空腹を解決すれば半分くらいは問題が解決してしまうかなぁと思います。統計データとかは持ち合わせていないので、あくまで個人的な考えの範疇を超えませんが。

育児に着目すると、一番の問題は睡眠不足なんじゃないかと思います。夜泣きだなんだかんだで、睡眠が断続的になってしまうので、どうしても睡眠不足になって一日中疲労感が抜けなくなります。こうなると、鬱にとってのベストコンディションが整ってしまいます。僕は声を大にして言いたいです。鬱になったらまず寝とけと。というか、鬱になる前に寝ろ!と。(医者の話ではないので参考にしないでください) 

ということで、単純な僕は、妻にも睡眠時間が必要だと考えてしまったわけです。そのためには、我が家のボーイズをどこか外に出さなきゃいかんなと… この日は気温が34℃超えの猛暑だったので、外で遊ぶのは危険すぎます。なので、室内で遊べるところを探していってきました。↓こんな感じのモールの中の遊び場で妥協してもらいました。長男くん (5) は前からここに来たかったみたいでめちゃくちゃ喜んでいました。テンションマックスなうちの長男と、明らかに疲れ切ったお父さんたちの様子が対照的でちょっと面白かったなぁ。

ベイビーくんは自分がどこに連れてこられたのか理解できておらず、しばらくキョトーンとしていました。↓トンネルというものが理解できず呆然とする次男。そして、次男の代わりに何度も長男がトンネルをくぐりましたとさ。

長男はずっと前からここのボールプールで遊びたかったらしく、大はしゃぎで滑り台で遊んでいました。こんな単純なことではしゃげる子供がうらやましい!!

かたやベイビーくんはというと、ボールプールについてもやっぱり理解ができなかったようで、ずーっとぽつねんと座っていました(笑)。

おれはなんでこんなファンシーなところに来させられとるんや

ちょっとびっくりだったんですけど、赤ちゃんって、ボールプールのボールに腰かけられるんですね。この小さいボールに普通に座っていて驚きました。お前さん、そんなにも小さかったのか!

ベイビーくん、しばらくして人にボールを配る仕事に従事し始めました。ここでの自分の役割をみつけたようです。そうだベイビーよ、これが人生だ。我々は訳もわからずボールプールに投げ込まれるんだ。「なぜ自分がボールプールにいるのか」という問いには誰も答えてくれないのだ。自分で何のために実存するのか答えを求めていかねばならんのだよ。君は今、「人にボールを渡す」という存在意義を見つけたね。そうだ。それが君にとっての答えだ。でも、残念ながら父さんはそんなに何個もボールはいらないよ。見ての通り手は2本しか生えていないからね。

この後、ベイビーくんは人生初の滑り台に挑戦しました。ちゃんと滑れるかなぁと思ったんですけど、案外滑れるもんですね。1歳なので、だいぶ体幹がしっかりしてきているようです。滑っていてもちゃんと体の軸がぶれないです。知らん間に成長するもんですね。

この前まで歩けなかったのに、もう滑り台まで長男と滑れるようになったとはちょっと感慨深いです。怖がりもしないで大興奮でした。まぁ、ベイビーくんより興奮していたのは長男の方ですけど(笑)。

こうして子供2人を一人で面倒見るのって大変だなぁとつくづく思います。いや、こういう書き方をすると、いつも一人で面倒みてんのかよって勘違いさせるかもしれませんけど、全然そんなことはないです。別に僕はイクメンではないので (そもそもこの言い方が嫌い)。幼稚園が夏休みの間、妻はよく二人の面倒をみていてくれたなぁと感謝です。僕がやったら確実に2日でギブアップです。やっぱり子育ては、大人 : 子供 = 2 : 1 くらいの比率じゃないとムリ!!

そして夜は眠れず妻の鬱を悪化させる…

しこたま遊んで、これで子供たちは疲れて夜もぐっすり眠れることでしょう!なにより、うちらが数時間家を空けた間、妻は眠れただろうしね。これで完璧!って自分では思っていました。しかし、この日の夜、昼間の行動が完全に裏目に出ました…

深夜の1時半くらいからベイビーが泣き始めました。これがいつもの夜泣きよりもひどく、例えていうなら10倍界王拳を使ったような感じです。ギャンギャン泣き叫んで、水をあげても、抱っこをしても、何をしてもダメ!!1-2時間くらいずーーーっとギャン泣きしていました。子の夜泣きはなかなかしんどかったです。何をしても泣き止まないので、僕が「どうして泣き止まないんだろうねぇ・・・」と妻に言うとーーー

妻「昼間に滑り台で興奮したからだよ。なにか興奮することがあると、いつも夜泣きがひどくなる・・・

ものすごく暗い声でボソボソとつぶやかれました。完全に昼間の行為が裏目にでました。禍福は糾える縄の如し。因果というのはどう繋がるかわからんもんですね。

今回得られた教訓: アホウな夫が思いつきで行動してはいかん。