茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

赤ちゃんの進撃を食い止めるには柵しかない

我が家の1歳児のベイビーくんは歩けるようになってから、日に日に活発になって、その行動範囲が順調に拡張していっております。子供が成長してくれるのはいいことなんですけど、赤ちゃんって手当たり次第にとりあえず口に入れていくので、常に側にいて変なものを口に入れていないか監視しておくか、部屋の中を赤ちゃんが口に入れても問題ないものだけにしておくかのどちらかですね。ああ、ベイビープルーフな部屋が欲しい…

子供ができる前までは「ベビーサークルにいれておけばいいんじゃね?」って思ってた

そう、子供を実際に持つまでは、赤ちゃんなんてベビーサークルに入れておけばいいんでしょって思っておりました。たぶん、多くの人がそう思んじゃないかなって気がします。普通は「サークルの中におもちゃだけ入れておけばいいんでしょ?」って短絡的に考えちゃう。でも、これがなかなかうまくいかんのです。まだ赤ちゃんが自分が柵の中に入れられていないと理解していないうちは問題ないのですが、ちょと知恵がついてくつと、「なんでこんなとことに入れるんじゃ!はよ出せぇ!!」っていう感じでギャンギャン泣き出します。そもそもベビーサークルの中に入ってくれないという問題が発生するのです(笑)。少なくともうちの子供たちは、商品写真のように穏やかにベビーサークルの中に入っているときの方が少なかったんじゃないかなぁ(笑)。一体なんのために柵があるのやら。

ベビーサークルの第二の人生

ベビーサークルは、赤ちゃんを中に入れるためのものですが、そのうち赤ちゃんは柵の中に黙って入ってくれなくなってしまいます。じゃあ、ベビーサークルはもう不要かというと、そんなこともないんです。これはたぶん、うち以外の家庭でも同じことをしていると思うんですけど、ベビーサークルの中に赤ちゃんに触られたくないものを入れる。そう、使い方が逆転するんですね。赤ちゃんを檻の中に入れておくか、モノの方を檻の中に入れておくか。こういうふうになるって、実際に子供を持つまでわからんかったです。育ててみると、そうならざるを得ないんだけど、なんか「ああ、なるほどなぁ」っていう不思議な納得感がありました。何に納得したのか謎ですが。

うちの1歳児もいよいよ柵の中に入らなくなってきた

だましだまし息子をベビーサークルの中に入れていたんですけど、どうやら部屋中歩きたいみたいで、最近はおとなしく柵に入ってくれないのでもう限界だなぁって思っていました。そうはいっても、そのままベイビーくんを解き放ってしまうと、台所の方に入ってきてしまって危険なのでなんとかせねば!赤ちゃんって不思議なもんで、絶対に触って欲しくないやつから触っていくんですよねぇ、ゴミ箱とか。台所とリビング(的な部屋)の間に仕切りを設けにゃあかんなぁ、これは。でも、ベビーゲートを買うのに今まで躊躇しておりました。すごくどうしようもなくケチな話なんですけど、もうこれ以上ベビーゲートは買いたくないなぁって思っておりました。

これまでに4-5個はベビーゲートを買っている

これまでに4つか5つくらいベビーゲートを買っているので、もうこれ以上は買いたくないなっていうのが本音。でも、なんでそんなにベビーゲートを買ったんだよって話ですよね。

まず、長男が生まれてから大西洋に面したどこぞの国に引っ越すことになりました。そのこお家は奇妙な構造で、やたらと階段が多かったので、赤ちゃんが階段から落っこちないようにベビーゲートをいくつか買わなきゃいかんかったわけです。

そこでの生活が落ち着いたところで、事務所の意味不明な移転により、1000kmくらい南下した州に引っ越すことになりました。僕が移り住んだ土地は、まだ開発真っただ中の新興地で、これがまたデカイ家しかないところでした。彼の国も、古い年代の家はわりかし小ぢんまりとしているのですが、ここ最近の家はどんどん巨大化しているようです。いま僕が住んでいるアパートの3倍は広かったです。アホみたいに広かったのに "フツー" と不動産の人はいってました。土地が日本の25倍もあると感覚が違うのね。うらやましい。

こんな無駄に広い家では、それまで使っていたベビーゲートがあまりにも短すぎて全く使い物になりませんでした。最終的に2-3mくらいのでーっかい柵を買いましたねぇ(笑)。あれはひょっとして動物用の柵だったのかしら?

そんなこんなで、長男が生まれてから4年でやたらたくさんベビーゲートを買ったわけです。で、日本に帰るときにさすがにもう要らないかなって思い、ちょうど赤ちゃんのいる人にあげてしまいました。今思えば小さいやつを1つだけ日本に送ればよかったと激しく後悔です…!

あきらめて新しいゲートを買いました

「新しいゲートなんてもう買いたくねぇなぁ」ってうだうた迷っていたんですけど、もうベイビーくんの進撃が止まらないので、潔く諦めて赤ちゃん本舗にゲートを買いに行ってきました。

今回と前回までとで違う点は、「5歳児と1歳児がいること」です。これまでは、自分と妻がゲートを開けられれば全く問題なかったのですが、今回は5歳児もゲートが開けられないといけません。ベビーゲートって、結構ロックがしっかりかかっていて、大人でも開けにくいやつがあるんですよね。これだと、うちの場合はアカンわけですよ。下手したら長男くんがロックアウトされてしまう。

なので、「ベイビーには開けられないけど、5歳児は開けられる」ゲートを探さないといけないわけです。こんな小児選択性の高いゲートなんてあるのかしら?(小児選択性っちゅう言葉は果たして存在するのか…)

赤ちゃん本舗の展示品を全て試したのですが、やっぱり5歳児には結構開けるのが難しいですね。中には僕でも開け方がよくわからないやつもあったし(笑)。そんな中でも、これ(↓)は子供でも割とスムーズにあけられました。というか、これ以外は5歳児には開けられなかった!

もうこれしかないよねって買うことに決めたんですけど、おや?スペックがなんか変だぞ?取り付け幅が90cmまで!?

た、たしか取り付ける場所の幅は92cmくらいあったなぁ… ああ、微妙に足りない…!!なんでこんな諦めきれない幅なんだろう。前から思っていたけど、このアパートはありとあらゆる場所の寸法がなんか変。この2cmの差って、本当に微妙です。一応、そのまま無理やり付けちゃってもなんとかなるくらいの差だとは思います。ただ、突っ張り強度が落ちてしまうので、ベイビーの突進に耐えられるか甚だ疑問なところです。こうなったら、やっぱりゲートを付けるところの幅を狭めるしかないですねぇ。

さぁ、DIYの時間です

DIYの基礎知識なんてろくすっぽ持ち合わせちゃいないので、「とりあえず板ぶち込んでおけばいいんだろ!」っていうすごく乱暴なのりでやっつけました。こちらが施工前のお写真↓

で、こんな感じで板付けておけばいいんじゃない?穴は退去時にパテで埋めればいいでしょう。至る所傷だらけだからひょっとしたら修復しなくても気づかれないかも。

こんな感じで両サイドに板をつければ、なんとか幅90cm以下になるでしょう。このやっつけ感、僕のいい加減な性格が滲み出ています。こんなやっつけ仕事では口がさけてもDIYブログは名乗れないね。(でもタグにDIYって書くくらいなら許してもらえるかな)

そして完成!!ガッシリついているので、ベイビーくんが体当たりをしてきても大丈夫でしょう。

そして、このゲートの設置を何故か長男が喜んでいる…

さて、このゲートをみてベイビーくんはどんな反応を示すでしょうか。

お土産をもらう人よりも、あげる人のことを考えるのが大事なのさ!

タイトルからして「何言ってんだこいつ」って感じだと思いますが、それは正しい感想ですね。僕もそう思いますもん。普通は、お土産は、それを受け取る相手のことを第一に考えにゃいかんのですけれども、なぜかそうならないこともありますわね。社会ってのは不思議なもんです。※フィクションですよ!!

とある会社の中堅社員くんは、サプライヤーの工場見学に行くことになったらしいです。その人だけでいけば、別に何の問題もない工場見学ですが、今回は会社の役員まで一緒に行くことになったそうです。

手ぶらでは訪問することはできませんので、手土産を用意しなければいけません。さてはて、これがなかなか悩ましいところ。工場にいくので、出来るだけ数の多いお菓子が好ましいです。ヨックモックは美味しいし、数もたくさん入っているので、工場の人達への差し入れにはピッタリなんですけど、もしこれをやっちまったらお偉いさんになんて言われるか分かったもんじゃありません。「てめぇ!俺にヨックモックなんて渡させる気かぁ!?コラァ!」って言われるのは火を見るより明らかです。そう、貰い手よりも、渡し手が気持ち良くなることを考えなければならない… あー、アホらしい(笑)。

まぁ、こんなことはどこの会社でも起きていますよね。社員が外ではなくて、社内の方ばっかりみている状況。狭い世界に閉じこもってしまうと、内輪だけで上手くやれればそれでいいという話になってしまいますね。こういうのが行き過ぎると、不正や、隠蔽が起きるんでしょうなぁ。

まぁ、そんなこんなで、その人は「お客さんが喜ぶもの」ではなくて、「お偉いさんが渡したいもの」を必死で考えにゃいかんのです。これはなかなか難しい。赤子と地頭と上司には勝てんもんです。だいたい、何を選んだところで絶対に、100パーセント、間違いなく、何か文句を言われたり怒られたりケチをつけられます。学生時代だったら、4択問題の内、必ずどれか1つは正解があったもんですけど、これが社会人となると、選択肢の全てが間違いというありえん状況が普通にありえてしまう。こうなると、何かいう前から「すみません。そうですよね、思慮が足りませんでした」という練習をせにゃいかん。Aを選べば「バカか、Bに決まってんだろうが」と怒られ、Bを選べば「バカか、Aに決まってんだろうが」と怒られる。こんな問題が受験で存在したら一大事ですよ(笑)。

その中堅社員は百貨店に行って、お菓子屋さんをみて散々悩んだそうです。和菓子にするべきか、洋菓子にすべきか… とりあえず、水菓子はダメだな。ある程度日持ちするものでないとあかん。そうなると、せんべいとかクッキーみたいな焼き菓子か。うーん、どうする?洋菓子を選んだら「なんでこの場に洋菓子を選ぶんだよ、馬鹿野郎が!」っていう謎な罵声が飛んでくるかもしれん。ならば、和菓子??いやいや、これはこれで何か言われるな。では、和菓子屋が出してる洋菓子にすればいいんじゃね??

っていう、不毛な検討を繰り返して、この中堅社員くんは吉兆の季節限定のクッキーを買ったそうです。これが正解というわけではないですね。これはこれで「こんなもの選びやがって馬鹿かてめぇは!」と怒られるに決まっているのですが、まぁ、多分失点は低い方でしょう。超絶減点法な社会なので、加点されることなんてありえませんね。いかに減点の幅を少なくするか!(ああ、この考え方が会社を、ひいては日本社会を衰退させていく…)

さてさて、この中堅社員くんの出張は無事に終わるでしょうか?

まとめ

いやー、実に不毛で無意味ですな。この中堅社員は早く見切りをつけて会社を辞めちまった方がいいよねぇ。こんなところで何年もへーこらしていても意味ないなぁ。

今の30代、40代って、上の世代よりも遥かに疲弊していて、いつもみんな疲れきってるよね。昔なら、どんなに理不尽なことがあっても給料は上がったし、そもそも社会全体が上向きだったからなんとなく、ほんわかとした夢のようなものはあったと思う。それが今ではその夢まで取り上げられちまっているもんだから、もうみんなゾンビみたいな顔で通勤電車に乗るしかないですわなぁ。何のために仕事にいくのか、何のために生きているのかわかんないんだもんねぇ。そりゃあ無理もない。

意味のない日々をやり過ごして歳をとっていくことに耐えられんですわね。このままでいいのかとみんな思いながら悶々と過ごしているよねえ。かと言って、夢もなければ、やりたいこともないってのが大半ですね。僕もその口です。

ただ、ものすごく危機感はあって、このままサラリーマンをしておったらいかんなと思うわけです。いくら惨めな生活をしてでも、自立せにゃいかんと。それこそ、たとえ家族に迷惑をかけることになっても、サラリーマンは早く辞めなければいけないと思う。これは家族を持つ人間としては最低な考え方だけど、でも、それでもさっさとサラリーマンに見切りをつけないとダメだと思う。

金銭的に家族に辛い思いをさせるのと、何の目的もなくゾンビのような姿を子供にみせる日々を続けるのとでは、果たしてどっちがよいだろうかねぇ?たとえ金銭的に辛くとも、「俺はちゃんと自力で生きている」と息子たちに見せる方が良い気がする。

この前息子に「ケンちゃんは虫博士になるけど、パパは何になるの??」と訊かれて何も答えられなかった自分が恥ずかしい。40を前にして、息子に何か突きつけられている気がしますね。さぁ、お前は何になりたいんだ?40年間ためてきたツケをさっさと払いやがれって言われてるのかな。飼われてばかりいないで、ちゃんと自分の人生を生きろ、自分!

放送大学に入ってみようかしら

ここ最近ずっと悩んでいます。放送大学に入ろうかどうしようかと。何でこんなことを考え始めたかというと、とあるはてなブロガーさんの記事を見たことがきっかけです。単純な頭なもんで、すぐに人に影響されてしまいやす。今まで放送大学というのはなんとなく知っていましたが、一体どう言うものか全く知らなかったですし、知ろうとも思わなかったですね。でも、その方のブログをよんでハッとさせられました。そういう学びの道があったのかと。人間死ぬまで学び続けにゃいかんのですが、放送大学はその一助となるかもしれんですな。

自分よりも年上の人が真剣に学んでいるのに、自分ときたらなに安穏と暮らしているんだい!死ぬ気で学ばなきゃあっという間に死んでしまうぜよ!

若い頃はあまりに怠惰でした

僕は10代の頃からニヒリズム沼にどっぷり嵌まってしまって、それから20年くらいはホントに無駄に生きてしまいました。大学を入ったり、やめたり、また入り直したりと、まぁ、フラフラしておりました。留年の危機に陥りながらも、なんとか首の皮一枚のところで大学院まで出たわけですが、ずっと不勉強だったことがトラウマになっておりました。どのくらいトラウマかっていうと、大学を卒業してからもずっと期末試験で落とされる悪夢ばかり見ていたくらいです(笑)。最近はだいぶこの手の悪夢は見なくなりましたけど、それでもまだたまに夢の中で留年しそうになってうなされます。どんだけ不勉強だったんだって話ですよね。いやぁ、もう本当に大学時代は常に恐怖に晒されておりました。でも、勉強しないというクズっぷり!

どうせ死んでしまうのにどうすりゃあいいんだよぉと青年時代の僕は鬱々としながらガチで鬱になって途方に暮れておったわけですが、それを打開しようと学ぶことすらしておりませんでした。しかし、身体はちゃんとわかっているんですね。散々悪夢で警告してくるってのはちゃんと学ばなきゃあかんってことですね。きっと今から挽回しても遅くはないでしょう。昔の僕が怠ってきた分を今取り返さなきゃいかん気がします。ちゃんと死ぬためにはちゃんと学ばないとね。

好きなことを学んだ方がいい

自分の好きなことを学ばなかったと言うことがトラウマの一因になっていると思います。僕は歴史とかよ人文系の学問が好きなのに、何を血迷ったのか全く関係のない薬学部に入ってしまいました。そこでちゃんと勉強して何かモノにすればよかったのに、一切学ばないで、ただ漫然と呆然と学生生活を過ごしてしまいました。あの時代、東海地方で僕よりひどい学生は多分いなかったと思う。

10代の自分に言いたい。苦手でもいいから、文学部とかに入って歴史とか哲学とか勉強しとけと。お前がちゃんと思考できるのはそういった内容だけだと。10年以上化学と付き合っても、一切興味もわかないし、楽しくないし、全く向いていない!自分でもびっくりだけど、興味が持てないものにはとことん興味が持てないんだなぁ(笑)。自分は理系分野に全く関心が芽生えない質の人間だと30くらいで確信しました。これまでの人生は壮大な無駄だったねぇ。残念!

申し込みました

上記のような文章を数日前に書いて、そのまましばらく放置しておりました。いつもの悪いくせで、途中まで書いてそのまま文章を死蔵させてしまう(笑)。結論からいうと、放送大学に出願しました!といっても、何年もみっちり履修するコースではなく、取り合ず1年だけの「選科履修生」ってやつに応募しただけです。お試しコース的な感じでしょうかね。

一応、ネットで出願できるようなので、試しにやってみました。住所も証明写真のアップロードもうまくいって、これで出願するだけだと思いきや、なんとその場でコースも選ばにゃいかんとな!?これは想定していなかったです。出願だけすればいいと思い込んでいて、まさかその場で科目選択もしなきゃいかんとは思わんかったです。色々調べている間に時間切れ!残念。やる気を失って、その日は出願を断念しました。

日を改めて2回目の挑戦!今度はちゃんと科目を調べてから入力を始めたのに、何故か途中でデータがクラッシュして今までの入力がなかったことになってしまった… なんてこったい。どうやら放送大学に嫌われているようです(笑)。気を取り直して3度目の正直!今度こそなんとか出願できました。紙に書いた方が早かったかもしれんですな(笑)。

選んだ科目は以下の通り:

- ビートルズ de 英文法
- 英語で「道」を語る
- グローバル時代の英語
- 哲学・思想を今考える
- 西洋哲学の根源
- 現代フランス哲学に学ぶ

英語は、なんていうかもう自分に課せられた仕事みたいなもんだから好きとか嫌いを超えたものとしてやってるけど、やっぱりやりたいのは哲学と歴史です。いっぺんに両方は無理だと思い、今回は哲学だけにしました。若い頃に仏教と哲学を真剣に学んでおけばよかったと激しく後悔していますので。とはいえ、学び始めるのに遅すぎるということはないでしょう。我々は死ぬその瞬間まで学び続けんといかんのですから。死ぬために学ぶと言ってもよござんしょう。

昔は哲学よりも歴史の方が好きだったけど、歳をとって嗜好が変わったのか、最近は哲学の方が興味ありです。人間がどう考えてきたかってことが、世の中を大きく動かしてきたと思うと、まぁこれも歴史ですよね。

えーと、申し込んだはいいものの、これからどうなるんですかねぇ。自分の悪い癖で、説明書の類は一切読まないで事を進めてしまうので、これからどうすればいいのかわからんですな。お金の支払いとかもあるだろうから、出願要項とかちゃんと読まなきゃ… さてさて、受講前から先が思いやられます。あっ!うちにはテレビがそもそもないけど、ネットだけで完結できるんだろうか… 

 

断酒の覚悟。飲み会で酒を一滴も飲まなかった

どうということはない話ですけど、僕にとってはかなりの偉業(?)です。端的に言うと、客との飲み会で酒を飲まなかった!一滴も!!

これまで断酒を続けてきたけど、それができたのは第一に日本にいなかったから日本式のそもそも飲み会がなかったことと、あとはコロナでずっと引きこもり生活だったことが主な要因だと思います。特に、コロナじゃなかったら、客との会食は避けられないから、断酒は出来なかったでしょう。

今日は、なんちゅうか、もう典型的な日本の飲み会って感じの飲みだったわけですけど、一切酒を断わりました。

副社長やら常務やら室長やら部長やらお偉いさんばっかりいる中で、僕のステータスが一番低かったわけですけど、酒を全て断ってやった…!!全て!昔の自分だったら、多分あの席で一番酒をガバガバ飲んでいたことでしょう。しかし、昔の自分ではありません。

これでうちの上司が切れて、「おめぇなんかもう知らん!」と言ってきても別に構わんです。そんときは仕事をキッパリやめてやらぁ!

色々書いたいことはあったんですけど、もう、眠いので書けない… ただ、断酒を続けているって自慢したかっただけです(笑)。万に一人もいないだけうけど、もしこれを目にした酒をやめたいサラリーマンがいたら参考にしてくだされ。

 

どうでもいい仕事について。効率化という名で達成される非効率

「ブルシットジョブ」の本を読んでいたく感銘を受けて、あたらめて周りをよく見てみるとブルシットジョブの多いこと多いこと。7割くらいはクッソどうでもいい仕事なんじゃないかなって思います。これはあくまで主観的な見方なんですけれども。コンプライアンス関連の仕事なんて、僕にはどうでもいい仕事に見えてしまいますが、確かに大切だという意見もわかります。でも、人出ばっかり使って全く利益を出していないどころか、一般業務を非効率にしてるなぁって思ってしまう。

ここで書くのは僕の妄想の話だと思ってください。フィクションです。

作業がべらぼーに増えてる

とある中堅社員は、どこぞの関連会社に出向して何年かぶりに本社に帰ってきました。その数年間のうちに会社の様子は随分と様変わりしたようです。そもそも、合併によって自分のいた組織が消滅していました。

合併直後は2社のシステムを併走させていたそうなのですが、これを統合させなきゃいけないという話になりました。ここまではわかります。たしかに、同じ会社で使っている基幹システムが違ったら面倒ですからね。数年がかりで新しいシステムを構築した結果… 社員みんなから「クソシステム」と罵られるステキなものができましたとさ。

何が素晴らしいかって、以前よりも入力情報が格段に増えて、操作も複雑になったのに、検索はしにくいし、欲しい情報が全く出てこない… やたらとインプットは求められるのに、情報のアウトプットが脆弱すぎる… こんな状態なので、みんな必要なデータは「自分でエクセル管理する」という結局昔と同じ状態に戻ってます。「効率化」が目的だったはずなのに、作業がべらぼーに複雑化して、そのために膨大な時間を費やすことになるという笑えない状況ですね。みんな冗談で「紙の方が効率いいんじゃねぇの?」なんて言ってますけど、本当にそうかもしれない…

とりあえず人増やすという発想

そんなこんなで「効率化」の名目によって格段と非効率化されたその組織は、その体質として、いつもどこかお役所的なところがあるようです。「効率化しよう」→「システム統合だ!」→「データの入力が増えすぎて人が足りない」→「派遣をいっぱい雇おう!!」という流れになるみたいね。なぜこうなる… そこは効率化しようとしないで、人を増やせばいいという考えになるんですね。不思議なもんです。こうしてさらに非効率化は加速していくのです。

「人を増やす」というのも、実際に効率化につながるかどうかなかなか難しいもんだと思います。それぞれの作業がつながっていて、1人で全てこなした方がいい場合、それを分断して2人でやってしまうと逆にやりにくかったりしますわね。作業の引き継ぎのところでどうしてもロスが出てしまう。単純に人手を増やせばいいというもんではないよなぁ。

この「取り敢えず人増やしちゃう問題」は一体どういう発想からくるのか謎です。ある程度組織に人を置いて、それなりの形に仕上げるのがいいっていう面子からきているんですかねぇ。

明らかに仕事がそんなになくて暇そうにしているのに何故か年中「忙しい忙しい」って言って、人員を拡張しているところもありますわねえ。そして昼寝する派遣社員が増えていく…

pdfで効率化は達成できない

だいぶ前からペーパーレス化の波は来ていますけど、コロナになってからさらに加速したような感じですね。紙の管理は大変だし、保管に場所をとるのでpdfにした方が遥かに効率が良さそうなもんですがー、なぜか現実にはそうはならなかったりする。ブルシットな魔法がかかってしまいやすね。これも架空の会社のはなしなんですけど、こんなことが起きてるそうです。

ペーパーレス化を進めるにあたり、そのpdfをどうすれば適切に管理できるかということが浮上してきます。紙の場合は改竄がしにくいですけど、電子媒体の場合は、改竄してもパッと見分かりにくいですからね。例えば、お客さんからの受注や、こちらからサプライヤーへの発注記録なんかは厳密に管理しなきゃあかんという話になるわけです。いい加減に管理していたら、横領の温床になるかもしれんですからね。ここまでは話はわかります。ではどうやって管理するのかとなった時に、電子媒体で受発注をした場合は、「一件一件稟議(電子)にかけなければならない」という謎ルールがその会社では生まれたそうです。もう、何を言ってんだか全く理解できないです(笑)。これ、冗談ならわかるけど、本気でやっちゃうところがすごいよねぇ。どういう考え方をしたらそうなるのか… 電子化で効率化するはずが、管理のための仕事が増えて、それを承認するために多くの人手が必要となる。あれ?こんなことなら、紙をファイリングしておく方が100倍楽じゃない(笑)!?

技術の進歩は必ずしも人間の社会を豊かにしないということですね。僕たちは科学技術が進歩すればより幸せになれると信じてきたけど、案外そうでもないなあ。人類の歴史を1万年くらい遡ってみても、農耕が始まってから人類は餓死するようになったんだから、昔から人類は何かに呪われとるんじゃないかと思ってしまう。

拘束時間について

どんな部署の人でもそうだと思うけど、365日四六時中忙しいという人はまずいないはず。もしそんなのがいたら、仕事の管理についてもっと考えた方がよいですね。仕事には絶対緩急があって、繁忙期もあれば閑散期もあります。忙しい時もあればちょっと暇な時もあるはずなのに、現在の労働形態ではそんな事情は完全無視で、絶対に9-5時で会社にいなければいかんという。みんなこれが無意味だって思っているのに是正する手段は無さそうですね。

例えば、経理だったら四半期や決算期はめちゃくちゃ忙しいでしょうけど、それ以外の期間もそれと同じくらい忙しいかっていうと、そうではないですよね。暇な時は、それこそ昼の3時くらいに帰っちゃってもいいのになと思うわけです。

でも、できないんですよねぇ。これをやってしまうと管理が劇的に難しくなってしまいますわね。成果主義はいいとして、果たしてそれをどうやって公平公正に評価するのか。Aさんは会社に週40時間いるけど、Bさんは週20時間しかいない。「成果は同じだから給料も同じね!」なんてやったら、絶対に不平不満が爆発しますわなぁ。

ここで発生しそうな問題は、「公平公正に社員の働きを評価するシステムを構築しよう!」って言う人が出てくることかな。こんなことやったら嫌な予感しかしないです(笑)。一体何が起きるかなあ…

・新しい人事評価システムを構築するためのプロジェクトチームが立ち上がる

・効率的な人事システム構築のための超非効率で不毛な会議が何百時間も実施される

・結局誰得なのかわからないシステムができあがる

・システム運用のための部署ができて、人出が増える

・人事評価のために無駄なデータ収集作業が増える

・振り返ってみると前よりも無駄な仕事が増えてる…

冗談で書いてみたけど、こんなバカみたいなことが実際の社会で起きてしまうから不思議ですよねぇ。なんなんでしょうね、この意味のわからんパラドックスは。効率化を進めれば進めるほど非効率になっていく。僕ら人類は踏み込んではならない沼にどっぷり浸かってしまっているのかしら。

一体何が本当に効率的なのか、考えていかんとならんですな。人間がこねくり出す合理性なんて所詮欠陥だらけなんだから、合理性の陥穽にはまらないようにしないとね。

まとめ

合理性なんてクソっくらえだぁ!って叫びたいですね。所詮、人間の合理性なんて限界があるので、合理合理と叫んで、理詰めでいろんなものを構築していっても、不思議なことに不合理のキメラみたいなもんができちゃうんですよね。どうにかならんもんかね。やっぱり、少人数でツーカーで仕事をするのが「無駄な仕事が増えない」という点に於いては一番効率が良いのかも。個人的には、大きくても100-150人くらいの集団がちょうどいいなぁ。

赤ちゃんとゴリラの類似性

赤ちゃんとゴリラは一体何が似ているのか・・・

 

 

 

単純に見た目かな(笑)。すみません、なんも意味はないです。ただ、バナナ食べてる姿が赤ちゃんゴリラみたいだったから、やっぱり人間もサルの仲間なんだなぁって感慨深く思っただけです。昨日もバナナの投稿をしたから、ちょっとダブってますけど、今日の方が "よりゴリラ" ってことで。
誰もベイビーのバナナなんて盗らないのに、めちゃくちゃ真剣ですよ。

おれのバナナやから、ぜーったいにやらへんぞ!!

そして今回も激しいお食事。

人間らしく食べられるようになるのはいつでしょう。

そういえば、長男のときは食事しただけでお風呂に入ったりしていましたねぇ。あまりにも激しく汚すもんだから、拭くよりもそのまま風呂場で洗っちまった方が手っ取り早いってんでね。お食事に排泄。人間が人間らしい行動をとるようになるにはたゆまぬ訓練が必要ですな。食事よりもウンチの方がしつけは大変なんですよねぇ。ああ、思い出しました。「暇と退屈の倫理学」で、決まった場所に排泄するという行為はかなり不自然なことだから、これをなじませるのはかなり難しいとかなんとかって書いてありましたね。狩猟採集時代は、うんちはその辺にしていればよかったのに、定住がはじまるとちゃんと決められた場所にせにゃいかんので、これが人間の本来性と相容れないんだとか。へー、なるほどね。たしかに、したいときにしたいところでウンチできた方が合理的よね。いやいや、そんな世の中だったら散歩もろくにできないか。パリの街なんかワン糞と人糞だらけになっちゃうね。

さて、犬のウンチに気を付けて今日もでかけましょうかね。

他人の好意の断り方がわからない

超繊細さんな気質なので、ついつい他人がどう思うかなんていうどうでもいいことばかりが頭の中を駆け巡ってしまい、なかなか自分の主張をはっきりと表明することができません。みなさんもそういうことありませんかね?今回は、そんなスーパー繊細さんが他人からの善為を受けた時の話です。

休みの日は、出来るだけ息子たちを妻から遠ざけてストレスを与えないようにしないとあかんなぁと自分なりに気を遣っておるつもりです。時にはそれが裏目にでることもありますけれども。

この日は長男 (5) を連れて昼ごはんに行きました。単純に「外に行こう」と誘ってもそっけなく断ることは目に見えていますので、モノで釣ってやりました。「ラーメンと餃子食べたくないかい?」ってきいてみたら、即答で「行く行く!ケンちゃん食べたい!!」と返ってきました。子供って、こういう時は調子がいいよねぇ。

長男を連れて、前から気になっていたラーメン屋さんに入ってみました。個人経営の小さめのカウンターは10席もなくて、あとはテーブル席が2つあるだけのこぢんまりとした内装でした。

お店の中に入ってすぐに席に着こうとしたら、食券を先に買うように言われました。食券システムのあるお店は何年もきたことがなかったのですっかり忘れておりました。そうだ、ラーメン屋にはこの素晴らしいシステムがあったんだ。楽ちんでいいですな、食券ってやつは。

店主からおまけをもらいました

久しぶりのラーメンで長男くんは待ちきれない様子です。まだ見ぬラーメンを想像しながらはやる心を抑えきれない。ラーメンだけでこんなにワクワクできるだなんて!

f:id:Edo-Kashiwa:20220829074815j:image

そして念願のラーメンが到着!

f:id:Edo-Kashiwa:20220829075113j:image

味噌が自慢のお店のようです。スパイスが強めで美味しかったです。長男もその味に酔いしれているようです。

f:id:Edo-Kashiwa:20220829075235j:image

人間はこんなにわかりやすく表現できるもんなんだねぇ。このノリなら中華一番の実写版に出られるな(笑)。

f:id:Edo-Kashiwa:20220829075306j:image

ラーメンが出されたときに、注文していない煮卵が息子のラーメンの上にのっかっていました。変だなと思うと、店主が息子のためにおまけでくれたらしいのです。まぁ、うちの息子はこの「おまけ」って言葉に反応しておもちゃでももらえるもんだと勘違いしてましたけど。

この心遣い、めちゃくちゃありがたいです。チェーン店では絶対にできないやつですね。店主が見るからにいい人で、話していても子供がめっちゃ好きなんだなぁってのが肌で伝わってきます。この卵をくれた行為に他意はないんですよ、単純に善意なんですよ。だから、だからこそ辛い…!!うちの息子は卵を食べない…!!昔は卵アレルギーだったから、卵は食べさせなれなかったんですけど、今はアレルギー反応も出なくなったので、ただ単に食わず嫌いというだけ。

うちの長男は食わず嫌いが激しくて、「これは嫌い」と認知した瞬間から頑として食べなくなってしまいます。こればかりは困ったもんでどうすればいいんだかわかりません。今回の卵も「白身のところだけでもいいから食べなさい」と言っても、一欠片も食べようとしません。うーん、どうしたもんか。

善意の断り方がわからんです

返報性の原理ってのがあるじゃないですか。何か他人にしてもらったら返さんとあかんなって思ってしまうやつ。これって、繊細さんな気質の人はより強く働くような気がします。で、ただでさえ何かをしてもらったら返さないといけないなと強く感じてしまうのに、どうしてこれを断ることができましょうか(笑)??少なくとも僕にはできんのですよ。

好意で卵のおまけをつけてくれたのに、「あ、うちの息子卵嫌いなんでいりません!」なんて断ることは僕にはできないし、現にできなかった!第一、人の好意を平気で踏みにじることが出来るやつは人でなしじゃないか(笑)?

相手の好意が純粋であればあるほど、断ることの難易度は釣り上がっていきます。今回は子供好きな店主が、うちの息子が喜ぶだろうと思って煮卵をつけてくれたということは明白なので、もう拒否するわけにはいかんのですよ。どうする、自分!

厨房をチラチラみながら、店主の視線がこっちから外れた隙を狙って、息子の丼から卵をサッと取り出して素早く飲み込む!!これしかないでしょう、誰も傷付かない方法は。僕にはこんなことしかできやせんでした。他に何がベターな方法があったら知りたい…!

食べ物の場合は色々とハードルが上がりますな

僕みたいにそんなにうだうだ考えるのは無駄だからそもそも考えない方がいいんでしょうけど、それでもちょっと考えてしまいます。例えば、今回のような食べ物の場合はもしかしたら生命の危機に関することになりかねないので。

僕はアレルギーといったら花粉症くらいなもんで、そんなに大したことはないんですけど、長男はピーナッツアレルギーを持っていて、これがなかなか危険らしいです。外出する時は基本的にエピペンを持ち歩いています。自分が食物アレルギーとは無縁の人間だっので、息子が生まれるまではそんなにヤバいもんだとは全く気付きませんでしたね。

まだ息子がピーナッツアレルギーだとわからなかったときに、ナッツ類の何かを食べて吐きまくったことがありました。子供用のカーシートがゲロまみれでそれはそれは後処理が大変でした。その後、アレルギーが判明して、その深刻さに初めて気付きました。今でこそ食品にアレルギー表示が義務付けられていますけど、僕が子供の頃(30年くらい前)ってそれほどアレルギーに対する理解がなかったと思いますし、30年経っても僕みたいにアレルギーと無縁だった人間はアレルギーに対する理解がなかったです。「色々と食べられなくて大変だなあ」くらいの感覚しかなかったです。しかしながら、我が子がアレルギーとなるやいなや、これは食べ物も人を殺しかねないなと急にビビるようになるわけです。よかれと思ってホイホイ子供に食べ物をあげるのは危ないなぁと。大人なら分別があるからいいですけど、子供なんて与えられたら取り敢えず口に入れちゃいますもんね。子供の場合は気をつけんとあかんですな。

まぁ、散々アレルギー云々書きましたけど、息子はもう卵アレルギーじゃないから、それは食べとけよって話ですけどね(笑)。

赤ちゃんの時は卵とか乳アレルギーになりやすいみたい。因みに、うちの次男坊は乳アレルギーです。赤ちゃんのくせに乳アレルギーかよって、笑っちゃいかんですけど。乳がダメだと、パンが食べられないので厄介ですね。牛乳が少ないパンを少しずつ食べてアレルゲンに慣らしていっております。超熟はあまり牛乳を使っていないから練習にはうってつけらしいです。知らなかった。

さて、どう善意を施せばいいんじゃい?

昨今はどんなことにもうるさく言う人がおりますからね。歴史上、こんなにも「正しさ」を求められている時代もないでしょう。僕みたいなちゃらんぽらんな人間には住みにくい世の中になったもんです。

さぁ、今回のラーメン屋さんの場合、どうすれば "正しく" 子供に卵のおまけをあげることができたのでしょうかね?

店主に「卵のおまけをつけたいのですが、好き嫌いやアレルギーなどはありますか?」なんて訊かれたら、うーん、これではいくら正しかろうても、店主の "粋さ" がゼロ!全くもって興ざめだねぇ。おまけってのは、サプライズ感があるからいいのに、こんなこと言われたら「はぁ… ありがとうございます…」としか言いようがないなぁ。やっぱ、さりげなく「おまけつけといたよッ」て言われたいね。

やっぱり過度に正しさや合理性を求めると違和感しかないですな。テキトーくらいがちょうどいいのかもね。