茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

承認欲求の塊

先日初めて納めたライティングについて、さっとくクライアントの方から反応があった。

検収させていただきました!ありがとうございます!大変丁寧に対応いただき感謝です!・・・・・・お願いしてよかったです。別の案件も間もなくご案内ができそうですので、またお声がけさせて下さいませ。お疲れ様でした!」

これはかなりの好印象だったんじゃないかな。数百円の案件だけど、こんなふうに感謝の言葉がもらえて正直に嬉しかった。プライベートを除いてこんなに嬉しいと思ったことは、たぶんここ10年くらいなかったと思う。ホントに、全く誇張なく。他人から感謝されるのってこんなに嬉しいもんなんだなとこのメッセージをもらって一人でニヤニヤしながら余韻を噛みしめていた。本当に嬉しかったものだから、チャットのスクショをとって保存してしまったくらいだ(笑)。冷静に考えて、30のおじさんがとる行為ではないね。ただ、今回の件は、掛け値なしに嬉しかったのだ。

僕の会社はいわゆる "B to B" っていうやつで、一般消費者と直接的にかかわることが全くない。常に会社対会社のやり取りばかりなので、変な人とかかわる確率はものすごく低く、仕事のやりとりで抱えるストレスは客商売の人と比べるとかなり少ない。少ないというか、たぶん皆無レベルなんじゃないかな。

その反面、僕 "個人" が何か感謝されるということはない。だって "会社" としてやっているのだから。いくら僕が取引先のためを思って色々頑張ったとしても、それに対してそんなに感謝されることはないし、極論を言ってしまえば "替え" はいくらでもいるので、別に僕じゃなくてもこの会社は普通に回っていく。(この考えは危険なのであんまりしない方がいいけど、ついつい考えが頭をよぎってしまう…) 綾波レイじゃないけど、「でも、替わりはいくらでもいるんでしょ?」って思っちゃうんだよねえ。

今の会社に入って10年くらい経つけど、果たして僕はこれまでに仕事で人から感謝されたことってあるんだろうか?と真剣になって考えてみたけど、全くないような気がする。そりゃ表面的には「ありがとうございます」とは伝えられるけど、そうじゃなくて、心が動くレベルで感謝されたことってある??・・・ないなぁ。なんて残念なんだ!10年も働いていて、一度も感謝されないって一体どういうことだい??これでは一体自分が「何のために」組織に属して仕事をしているのか、わからなくなってくるよなあ。そりゃ、会社の経営理念や方針とかをみれば自分が「何のために」この会社で働くのかは表面的にはわかるかもしれんけど、そうじゃない。自分を心から突き動かすものは何か??それに10年間全く出会わなかったのかよ。うーん、これは考え物だなあ。10年も仕事をしていたら、何か一つくらい心を震わせるような経験があってもよさそうなもんなのにね。

仕事とは言えないと思うけど、一つだけ、自分の心が動いた出来事がある。僕が子会社に出向していた時、そこの社長が引退することになった。その子会社は所帯がすごく小さく、オフィスにいる社員は6名だけ(オームオフィスとかを含めるともう少し多い)。小回りの利く会社だったので、結構家族同士でも付き合いがあったし、社長の奥さんとうちの妻が一緒にでかけることもあった。うちの息子が当時はまだ赤ちゃんだったので、色々と気を遣ってもらったし、その後、妻が二人目を妊娠したときも「仕事よりも家族を優先させなさい。家族が一番だよ」と優しい言葉をかけてくれた。
僕が出向先で問題なく暮らせていたのはこの社長のおかげだとめちゃくちゃ感謝していたので、社長の引退は結構ショックだった。そして、最後に何か記念になるものを贈ることはできないかなと考えて、これまでの写真をまとめてちょっとしたアルバムを作った。最近はウェブ上でデザインをするだけでそれなりにちゃんとしたアルバムができる。
社長の送別会の時に、社長の好きなゴルフのグリーンを模したケーキと、そのアルバムを渡したところ、それを見た社長の奥さんが号泣していた。僕もまさかそんなに反応してくれるとは思ってもみなかったのでちょっと驚いた。社長と奥さんはそのアルバムを1ページ1ページめくりながら昔を思い出しているようで懐かしそうにしていた。そして、最後までめくるとまた最初から見直していた。何度も何度も見返していた。余程感慨深かったんだろう。そして奥さんの口から「〇〇さん(社長の名前)、大変なこともあったけど、ここにきて頑張って本当によかったね」という言葉が出た。この言葉は強烈に僕の心に刺さった。自分が行った行動で、こんなに人の心を動かして、喜んでもらえた。「お世話になったから、何かお返しをしたい」という些細な思いからやったことだったけど、こんなにも喜んでもらえるとは予想していなかった。奥さんがこの言葉を口にしたときは嬉しかったなあ。

とまあ、仕事絡みでこの出来事が僕にとって一番心に残った出来事だと思う。残念なのは、これは別に「仕事」ではないってことだ(笑)!この出来事の "次" が今回のライティングのお礼である。他の人からしたら、単純な感謝の言葉だったかもしれないけど、僕の精神は感謝砂漠状態だったこともあり、「ありがとう」の一言が海綿体もびっくりなほど心にしみ込んだ行ったのだ。

今回の一件にわかったのは、そう、「俺、めちゃくちゃ感謝されたがりやん(笑)!」っていうこと。いやぁ、言われてみるまで全然気づかなかったなあ。
昨今は SNS 全盛で、「いいね」依存症になっている人なんかをみては小馬鹿にしていたもんだけど(はい、人間のクズです)、自分自身がまさにそれやんか(笑)。いい年だし、もう自分のそういう面もちゃんと認めていこう。自分は  "いいね" が欲しいんだと、"承認" してもらいたいだけの男なんだと。 それでいいじゃないですか。そういう思いがあるのに、それに無理やり蓋をしてみて見ぬふりをするよりも、ちゃんと認めてしまった方がたぶん精神衛生的にいいでしょう。まずは自分の欲求を認めるところから始めよう。それから承認欲求で苦しんでいこうじゃないか。僕はまだスタートラインにすら立てていなかった。そういうものを傍から見て小馬鹿にしていたけど、そういうのこそ大馬鹿もんだわな。

30年以上ずっと遠回りをしてきましたけど、やっとこさ本来立つべきスタートラインに立てたような気がしますね。自分は誰かの役に立ちたい、誰かの助けとなりたい、誰かからありがとうと言われたい。だたそれだけのことだったんですな。なんとも単純な欲求なのに、なんでそれを直視しないできたんだろう。承認欲求バッチ来いだな。まずはこれとちゃんと向き合ってみようじゃないの。これがちゃんと生きる動力になるのであればそんなに悪いもんじゃないかもしれないしね。