茹で蛙の盆踊り

茹で蛙の盆踊り

アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

四十路を目前にしていまさら自己分析してみたけど、やっぱり自分のことはよくわからんのです

マルチタスクが全くできない人間でして、同時に複数の仕事がこなせる人が信じられないですね。プライベートについてもこれは当てはまっていて、やりたいことを同時にいくつも掛け持つことができないです。

かと言って、一つのことに熱中し続けられるかというと、別段そう言うわけでもなく、何かにハマるとその一時は集中するけど、またすぐに他のことに気が向いてしまいます。みなさんもそんなことないですかね?ただの飽き性なのかもしれんですけど(笑)。

そんな飽き性人間が珍しくこのブログを数ヶ月続けておったんですけど、ちょっと他のことに興味が湧いてきて、さらにハマってしまったがゆえにしばらく書くことをやめていました。

この春から仕事を辞める準備を少しずつやっていて、何かいいアイデアはないものかと家にある本を眺めていたら自己分析の本が目に止まりました。

自己分析って、大学生が就活の時に必死こいてやるやつらしいじゃないですか。みなさんはちゃんとまじめにやりましたか?僕は、大学時代はめちゃくちゃ斜に構える質だったので、自己分析なんて鼻で笑って見向きもしませんでした。はい、こういうのをダメ人間といいますね。昔の自分はダメだったなと言う反省を込めて、だいぶ前に自己分析の本を買ったんですけど、何故だかもう一度ちゃんとやらなきゃいけないような気がしてやってみました。

もう四十路前なのに今更自己分析だなんて、「なにやってんだこいつ」って馬鹿にするでしょ?その通りだと思いますよ。子供もいるのに今になって自分探しかよってね。

 

そもそもね、「自分探し」とか「自己分析」ってのは何か違和感を感じるんですよ。大半の人がこう思うんじゃないかなぁ…「そんなもんわかるわけないだろ、バカ!」って(笑)。

自分自身のことを振り返ってみると、数年前と今では考えていることや思考法自体が全然違うし、もっと遡って、20代のころや10代のころと今を比較すると、全くの別人と言ってもいいと思います。昔の偉い人の考え方を借りると、自分ってのは五蘊の集合体に過ぎないから、僕らが普段あると思い込んでいる自分なんてもんはありゃせんのだと。そうだよなぁ、常一不変の自分っていうのをついつい考えてしまうけど、そんなものは幻想に過ぎないですわね。でも、そんなものがあると思っちゃうんだよねぇ、つい癖で。「自分探し」で自分が見つからない理由はここですね。そもそも、てめぇの探している自分なんてのはありゃしねぇんだと。

自己分析ってのにも同じことが当てはまって、分析したところでその都度結果が変わるからどこまであてにできたもんかなと疑問です。質問のきき方や質問に答えるタイミングによって結構答えが変わりません?自己分析とはちょっと違うかもしれないですけど、自分が昔書いた文章を読むと「こんなこと書いたっけ!?」って驚くことありませんか?身に覚えのない文章が我が家には山積しております(笑)。

 

散々、自分探しや自己分析をディスってしまいましたが、それでも今回はあえて自己分析をやってみようと思いました。アラフォーなのにね(笑)。いや、人生の岐路に立っているアラフォーこそやるべきなのかもしれません!

自分っていうのはありえんほどコロコロコロコロ変わっていってしまうから、全くつかみどころがないわけですけれども、それでもなんとなーくの傾向みたいなもんは掴めるかもしれんなと思ったわけです。例えば、僕の場合だと、めちゃくちゃ気にしちゃう性格ってのは30年以上変わっていないので、今後も変わらない可能性が高いとかね。

自分ってのを川みたいなもんだと考えればわかりやすいですかね。例えば、荒川。荒川っていう確固たるものがあるもんだと思いがちだけど、川は一瞬一瞬変化していくから、荒川なんてものは概念の中にしか存在していない。江戸初期くらいまで遡ると流れている場所も今とは全く違っていて、そいつを今と同じ「荒川」と呼んでいいものか甚だ疑問だけれども、とりあえず便宜上あの水の流れてるやつを僕らは荒川と呼んでいる。常に変わっているやつだけれども、「関東地方にある」とか「太平洋側に面している」とかの大雑把なことろは昔と変わっていないし、やつは信濃川とは違うって感じの差異くらいは変わらずにありますわね。

これって、人間に対しても同じことが当てはまるんじゃないかな。ガチッとした自己なんてものは存在しないけど、一般生活をする上で、私的なもんは確かに存在するっぽい。その私みたいなもののザックリとした傾向はもしかしたら掴めるかもしれんと。グダグダ書きましたけど、こんな感じで自己分析をやってみたわけです。

 

いきなり「よっしゃ!自己分析や!」って思い立ったわけではなくて、本棚を眺めていた時に久しぶりに目に入ってきた「ずっとやりたかったことをやりなさい」を読見返したのがきっかけでした。

この作品で紹介されているモーニングページってのは僕のお気に入りなんですけど、頭の中の毒を中にはとても効果的な方法です。この作者の書いていることは若干スピリチュアルがかっていますけど、このモーニングページってやつは万人におすすめできるもんだと思います。

久しぶりに本気を出して頭の中の妄想を次から次へと書き出していたら、急に「この後どうするかなぁ… 自分が本当にやりたいこと、やるべきことはなんだろうなあ」っていう思春期の学生みたいな考えフツフツとわいてきました。そして、大学生の時にまじめに取り組まなかった自己分析でもやってみようかと思ったわけです。で、そんなときに自己分析の本が目に入ってきたわけです。

 

自己分析とかやりたいことを考えるときの軸は主に3つですかね。自分が大切にしてることとか、価値観。自分の好きなこと。自分の得意なこと。誰も解析していくのは難しいですが、一番難しいのは「価値観」を見出すことかなぁ。これが人生の基準になりますからね。創唱宗教を信じている人は明確な答えがあるので、この辺のことは悩まなくてもいいと思いますけど、明確な信仰を持っていない人間にとっちゃこれが一番厄介な問題です。

最近は意識高い系の人が「私のミッションステートメントは〜」なんて言ってたりしますけど、ああいうのを見ては、気持ち悪いなぁと思う反面、ものすごく羨ましく感じます。我々の多くは信仰のない宗教にどっぷり浸かってますけど、ミッションステートメント云々を堂々と言える人は、宗教なき信仰が持てているわけですからね。ホント羨ましいわ… 

で、僕の価値観ってのは一体なんなのかなぁって書き出していったら、ベースは正義とか道徳といったもので、一番最上位にくるものが「知識」でした。これ、ホントかよ(笑)?本に書いてある通りにやっていったんですけど、なんかいまいち釈然としないなぁ。価値観っていうか、ただのないものねだりなんじゃねぇかなぁ。

まぁ、いいでしょう。とりあえず、僕の1番の価値観は人を助けることでもなければ、世界平和の実現でもなく、自分の知識を高めることね。なんて利己的なやつだ(笑)!暫定価値観ということにしておきましょう。知識のない自分が知識に価値観を置いているとは皮肉なもんです。いや、知識がないからこそなのかな。

 

お次は自分の好きなこと、興味のあること。これは書き挙げてみると、まぁまぁそこそこ出てきちゃうんで、結構カオスです。自分の方向性がよくわからなくなってしまいますね。

学問系で好きなことは、歴史、仏教、哲学、心理、発音(発声?)です。これらに共通することは、新しく知るとこが楽しいってことかなぁ。ってなると、さっきの価値観もまんざらハズレではないのかな。

あとは、モノをつくること、細かい作業をすること、何かをキレイにすること、などなど。つまり、地味なやつが好きですな(笑)。

子供の頃を振り返ってみると、とにかく人を笑わせるのが好きでした。っていうと、天真爛漫な素直な子をイメージするかもしれませんが、全くそれとは逆の感じです。天邪鬼なので、ひねくれた笑い専門です。

うーん、こうして好きなことを挙げると一貫性がないなぁ。

 

では得意なことはなんでしょうかね。これは自分で書くの恥ずかしいので詳しく書くのはやめておきましょう(笑)。自分では自分の良さってのがわからんので他の人にきいてみたら、忍耐強いとか、興味を持ったら一つのことに没頭するとか言われました。あと、長所ではないのですが、頑固すぎるみたいです。そんなバカな!こんなに柔軟な人間他にいないぞ!って思ってるのは自分だけみたい。

 

さてさて、ここから組み合わせてみしょうかね。好きと得意をかけ合わせるんですよね。定番ですな。簡単簡単って思いきや、めちゃくちゃ難しい!「好き」の方はまぁ、いいとして、「得意」の方の係数が軒並みゼロじゃね?って感じなのです(笑)。ゼロに何をかけてもゼロにしかならんよぉ。例えば、歴史好きと忍耐強さをかけても何も解が出てこない!

で、なんとかひねり出したものが「歴史を面白く伝える」… うーん… なんか微妙過ぎるなぁ… 思いつくものが歴史系のYouTuberになることくらいしかない… 「歴史」のところは他のものに代替しても問題ないんだけど、やっぱり後半のほうが問題よねぇ。いや、だって、係数がゼロにならない「得意」っていうやつを探してみたらかろうじてひっかかったのが「面白く伝える」だったんですよ。そしてこれが自分の得意なことかどうかは全くの疑問ですが。

まぁ、とりあえず今のところはこれでいいかな。まずは「暫定版」っていうことで。一応、この「歴史を面白く伝える」っていうのは、自分の価値観である知識のところにも共通するしね。たぶん。

 

ここまで書いてきてあれなんですけど、結論を言うと、やっぱり自己分析ってなんかしっくりこないな(笑)!インストラクション通りに進めていっても、途中から「あれ?なんか違わないか??」っていう疑念ばかりがでてくるんですよねぇ。まぁ、無駄だとはいわないですけど、完全に信用しちゃうのは危険ですね。たぶん1か月後に同じことやったらまた違う結果がでるでしょうし。あくまで「傾向」をつかむ程度かな。

 

今回、自己分析だなんだかんだやって、その間はブログを更新していませんでした。自己分析ばかりやっていたわけではなくて、ずーっとひたすら本を読みまくっていたんですけど、なにかをする時も「あ、このネタ書きたいな」とか、頭の中でブログを書く時みたいな調子で文章が流れてきたりしました。

更新を止めてみてわかったのですが、なるほど自分は文章を書きたいんだなと。自己分析だなんだかんだしてみましたけど、その分析の中には「文章を書く」という選択は一切挙がってこなかったのに!これは思いもしない効用でしたね。

文章を書くのは「苦手だけど、好き」ってやつですね。しかも、意味のある文章ではなくて、駄文を書くのが好きときたもんです。

 

問題なのは、インプットとアウトプットのバランスですよねぇ。やっぱり本とか読んで新しい知識を入れていかないと、自分がアップデートされていかないです。何もしないで現状維持ができるならまだいいですけど、そうはならずに退化していきますからね。本を読みたいけど、駄文も書きたい。他の方は一体どうしているんだろうねぇ。

優秀な人はアウトプットのためのインプットがちゃんとできているからそもそもこんなところでは悩まないのかな。僕の場合は、ダメね。スイッチがぶっ壊れているから、書く時は書くだけ。読む時は読むだけ。

 

「駄文書きたい欲」が止まらず、ここまで支離滅裂に書いてしまいました。じつは自己分析とか別にどうでもよかったりして(笑)。冗談はさておき、しばらくはインプットとモーニングページに時間を割きたいからブログに駄文を書き散らす頻度を下げていこうかしらんと思ったしだいです。