茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

ダメな悩み方

あれもこれもはできないね

色々とやりたいことがやってだいぶ長いことブログの更新を止めていました。やりたいことっていうか、「今やらねば!」って感じのことかな。って書くと大仰ですけど、気になることが色々出てきてしまって、本をあれやこれや読んでいたら "本の沼" にはまって帰って来れなくなっただけです。Wikipediaで色々調べていたら、調べ始めていたのと全く関係のない記事に飛んでしまうことってありません?あれの読書版みたいな感じ。たぶん皆さんもこういう沼にハマることはよくあると思います。

読書以外にもボーイズの面倒をみたり、勉強をしたりなんだかんだで時間をたくさん取られておりました。人生はトレードオフ。何かをしたら、何かができないです。何かを選択するということは、それ以外を捨て去るということ。全部やりたくなってしまう現代人には時間が足りませんな。

24時間ネガティブ垂れ流し

もうすぐ四十路になろうというのに、迷うことばかりで、全然不惑からは程遠い感じに自分自身ちょっと呆れてしまいますけど、そうは言っても頭の中に勝手に不安や後悔がポンポン出てきてしまうのでこれを止めるのはなかなか難しいのです。こういう妄想が常に頭の中に渦巻いていて、いくら歳を重ねても人生の悩みの牢獄から抜け出せない。まぁ、自縄自縛ってやつで、その牢獄に自分を閉じ込めているのは自分なわけなんですけど、これが感覚的にわからんのです。だからこそ、四十路を前にしてもいろんなことで悩んでしまう。みなさんもこんな感じないですかね?

僕なんかは「反芻思考の天才 (つまり人間のクズ)」なので、小さなことでも何回も何回も繰り返して悩んで、落ち込んで、そして鬱になります(笑)。よく「そんなことでくよくよするなよ」なんてアドバイスしてくれる方がいますけど、そもそもそれができているならとっくにしていますよと。妄想を止めるために色々と訓練 (のようなもの) をして、まぁまぁそれなりに効果はあったんですけど、そんなものを簡単にキャンセルしてしまうくらいとめどなく溢れてくる思考の波に呆然としちゃいますね。いくら妄想を止めようとしてもこれじゃあキリがない(笑)。24時間365日、頭がネガティブ垂れ流しな状態なんですよ。前まではこれをなんとかしようと格闘していましたけど、「抗ってもしゃーない」と最近は諦めてきました(笑)。あ、別に悪い意味で諦めたわけではなく、どっちかっていうと変えようのない現実を受け入れた感じです。自分の心もままならぬものだから、そういうもんだと認めるしかないなと。悪あがきすると、余計にメンタルが悪化してしまいますからね。

僕みたいに色々と悩みに取り憑かれやすい人は、一定数いると思います。小さいことから大きなことまで、まぁ、色々と悩みますよねぇ。僕の場合、一番大きな問題は「どうせ死ぬのになぜ生きるんだ」っていうことで、中学の時あたりから今に至るまで四六時中頭から離れないですね。つまり、中二から精神的に成長していないということですね。なんちゅーか、自分にガッカリです。でも、こういう実存的な悩みって、僕が周りの人を見ている限りでは、ちゃんと向き合って真剣に考え詰めた人って皆無ですね。これ系の悩み事をいうと「いつまで子供みたいな考えしてんだよ」って一蹴されますもんね。まぁ、いくら答えを探しても答えが見つからない問なので、考えること自体を放棄するというのも一つの手でありますね。その方がちゃんとした人生を送るにはそれがいいのかな。でなければ、抑鬱な人生が待っているかもしれんので (僕はこのパターンです)。

この如何ともし難い、どーしょーもない悩みに四半世紀も取られて、生を感じることもなく鬱々と過ごしてしまいましたが、もうこれ以上は自分一人で悩んでも意味がないですね。よく「時間制限を設けて悩め」なんていいますけど、まさにその通りだと思います。ある程度考えて答えの出ない問題は、他人に訊くか、しばらく棚上げにしておいた方がよさそう。考えが堂々巡りをしてしまって先に進めないですからね。少なくとも四半世紀も悩むもんじゃないのです(笑)。

専門家にきいてしまえ

もうね、25年もあれこれ悩んで鬱になったのなら、考え込むのは十分でしょう。たまには他人に頼ってしまいましょう。ということで、その手の専門の先生に話をきいてもらいました。恥も外聞もどうでもいいやといった感じであれこれ吐き出しみました。

実存的な問いが自分の中では一番の問題となっていますけど、もうちょっと掘り進んでいくと、生を感じ取れない自分のメンタルに問題があると思います。生命維持はしていますけど、ゾンビみたいな生き物に堕ちてしまっておるのです。

問題の根っこを探っていくと、幼少期の母親との関係にあったのかなぁと。正確には、姉と母親のとんでもない親子喧嘩を日常茶飯事的に見ていたことかな。まぁ、あまりにもひどいバトルだったので、自分の反抗期が全くなくなってしまったくらいです(笑)。

話を聞いてもらった先生に「まぁ、僕ももう四十路に近いですし、この歳で母親のとこを恨んだら憎んだりはしてませんけど」と話したら、先生に「それが問題ですよ」と即答されてしまいました。

なるほど。本来であれば、姉や母親に対して憎悪や反抗心を抱かなきゃいけないのに、それを全部心に抑え込んで蓋をしてしまったのが問題の根本にあると。なるほどなるほど。幼少期に自分の心に蓋をして、更にその蓋も覆い隠してしまったから、自分が自分を抑制してしまっていることに気づけなくなってしまっているらしいんです。これは言われてハッとしました。自分の気持ちを抑えつけ、隠し続けてきたせいで、自分が自分の気持ちを抑圧してきたそのことすらわからなくてっていると。これはなかなか重症ですな。

小さい頃にネガティブなものをたくさん見せつけられて、嫌な思いをしたから、ネガティブなもの、特に怒りというものに対して激しい嫌悪感を抱いてしまい、自分がネガティブな感情を抱くこと自体に嫌悪感を持ってしまったみたいです。だから、他人に対して「ノー」といったり、怒ったり、他人を嫌ったりすることができなくなってしまった。なるほどー。指摘されるまで気が付かなかったですねぇ。

振り返ってみると、小学生くらいまではものすごく気性が激しくて、超絶短気な性格だったのが、気が付けば誰ともぶつからない、好き嫌いのない八方美人的な人間に成長していましたが、これは大人になったわけではなくて、感情が抑制されてそして欠落してしまったために結果としてそうなっただけだったのですね。うん、成長というよりは退行していたんだ (泣)。

先生曰く、人間の喜怒哀楽の感情はネガティブなものから表出してくるものなので、それを抑圧してしまうと、喜びや楽しみといったポジティブなものも出てこなくなってしまうらしいです。うわー、これはめちゃくちゃ自分に当てはまる!!自分の場合、特に怒りの感情を押し殺してきたので、感情が機能不全を起こしてしまったんですねぇ。

ネガティブにも意味はある

ネガティブなものを、「臭いものには蓋」といわんばかりに隠してしまうと、後でとんでもないツケがくるようですね。ネガティブな感情は何か意味があってそれを自分自身に発しているのだから、それを黙殺したり、圧殺してはいかんわけですな。そういう感情がわいてくるのは当たり前のことだから、ちゃんと認めてやらないと、鬱になったりするわけねと (経験済み)。

この歳になって、自分の心が何を感じているかというのがものすごく大切なんだと思い知らされました。自分の心を無視すると、楽しみと喜びの感情から消えてしまい、そして生きる意味が感じられなくなってしまいますからね。若いうちは、それでも肉体がなんとかしてくれますけど、歳をとるにつれて抑鬱に対するごまかしがきかなくなってきます (笑)。自分の心を回復させていかないと。

まずはちゃんとネガティブな感情を抱く練習をしていきたいと思います。嫌な人やできごとに遭遇したら、ちゃんと心の底から「あのやろう!ぶっ〇してやる!!」って思うように訓練しよう。これ冗談なしで大切なことですよ。感情が死んでしまうと、よほどのことがないと、「まぁ、いいや。どうせ死ぬし」みたいな極端な考えしかでてこなくなりますからね。

自分が何を感じ、何を思っているか。これまで自分の心をぞんざいに扱ってしまったので大切にしたいと思います。