茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

食えないなら残せばいい --- 田舎の母、大量仕送り問題

親にとって、子供は何歳になっても子供なんだなぁって自分に子供ができてよくわかります。うちの息子は小学校に入ったんですけど、まだ赤ちゃんの時のイメージが自分の中に残っていて、ずっと子供扱いというか赤ちゃん扱いしてしまいます。この調子だと、息子が中学、高校に入ってもあまり変わらないだろうなぁ。親にとっては子供は子供ですね。

ということなのかどうなのかはわかりませんが、たまに田舎の親が食べ物を送ってくれることがあります。一応私も働いておるんで、別に困窮を見かねて食糧支援してくれているわけではないですよ。多少田んぼや畑もやっているので、たまに農作物が届いたりするんです。今回は農作物ではなかったんですが、大量の寿司と餅が届きました。

うちの地方では5月くらいに朴葉ずしとか朴葉餅ってのを作るのですが、多分あの地域だけかな。関東出身の妻は全く知らなかったので。まぁ、どんな料理かっていうと、字面のままで、朴の木の葉っぱに押し寿司みたいなのを包むんです。あと、朴葉餅は柏餅の朴の葉バージョンみたいな感じです。なんであの地方では朴の葉っぱを使うのかは謎ですが、これらの料理以外にも朴葉味噌なんてのも飛騨地方にはありますね。私は飛騨の人間ではありませんが。中部地方に朴の木がたくさん生えているんですかね。あんまみたことないような気がしますけれども(笑)。我が家で朴葉を使う理由は、単純に庭に大きな朴の木が生えてるからってだけかな。

昔からこの季節になると朴葉ずしを作っていて、それを姪っ子たちは気に入ってるみたいなんです。彼女たちは毎回競ってたくさん食べるもんだから、そりゃあ、作るばぁばとしては嬉しいですわなぁ。孫が上手い上手いと自分の作ったもんを食べてくれるんですもの。ここまではいいんです。問題は、これが我が家には当てはまらないってことです。うちの長男は好き嫌いがめちゃくちゃ激しくて、初見のものは絶対に口にしません。好き嫌いっていうか、食わず嫌いですかね。本人も「ケンちゃん、食べたことないものは嫌いなの!」と宣言してますし。なんで食べたことないのに嫌いってわかるんじゃ(笑)!!彼にとっては祖母が苦労して作った朴葉ずしも「嫌いなもの」カテゴリーに分類されちゃいます。まっっったく食べやしません。もちろん、うちの母親はそんなことは知る由もありませんから、たくさん朴葉ずしと朴葉餅を送ってくれたわけです。孫が喜んで食べるであろうと思って。大人2人と子供1人が食べるには過剰な量の寿司を送ってくれたうえに、うちの息子は一つも食べる気なし!ということは、この「課題」は大人2人でやっつけるしかない。私は「お残しはダメ!!」って考えはあんまり好きじゃないんだけど、それでも親が一生懸命作ってくれたもんを無碍に捨てるのは心苦しい。意気込んで食べることにしましたよ。食べてハッとしました。すしが乾いてパサパサしてる(笑)。いくら冷凍技術が発達したからと言って、やはり寿司のような生ものは中部地方から関東に運んではいかんのですな。可哀想に水気を失った米粒たちがそう訴えてかけています。朴葉ずしは地産地消するもんですな。500kmも輸送するなんて、寿司のサステイナビリティには全く寄与しないわけで。というか、そもそも寿司のサステイナビリティなんてせいぜい1日くらいですかね(笑)。コロケーション的にこの単語は寿司には使わないか。パサパサしていお世辞にも美味しいとは言えない状態になっていますが、それでもある程度は食べてやらないとなぁという謎の義務感に駆られ、夕食と朝食に朴葉ずしと朴葉餅をできるだけ食べました。餅の方は、朝には乾燥がいっそう進んで鏡餅の手前の手前くらいの硬さになっていました。基本的に夕飯しか食べないので、こんなにしっかり朝ごはんを食べたのは久しぶり。朴葉のおかげか、腹持ちがめちゃくちゃ良かったです(笑)。これだけ食べればあとは残してもいいでしょう。防腐剤も何も使ってないので、もうらこれ以上は衛生的に限界かな。朴葉にもある程度殺菌作用みたいなもんはあるのでしょうけど。今回得た教訓: やっぱり、「もったいない」とか「申し訳ない」みたいな感情で無理して食べない方がいいね。食えなきゃ残せばいいと思う。私の子供の頃は、やたらと残すのはダメだって言われていたけど、今もそういう教育してるのかなぁ。私もそういう感覚が強かったけど、日本を離れてからこの感覚は無くなりました。私が一時的にいたバーガーの国では1ポーションが日本と比べてようもないくらい大きくて、外食とかして、出されたものを「もったいない」と全部食べてしまうと大変なことになる。ヘルシーそうなサラダでも1皿2000kcalとかあって、一体なんの冗談かと目を疑いました。太る理由しか身の回りにないんです。日本のノリでやっていたら、確実に太ると思い、躊躇なく食べ物を残すようになりました。彼の国では日本と違って持ち帰り文化があるので、このおかげで料理を残しやすく、結果とした出される料理の増加につながっているのかも。この国に滞在している間に、「自分の身を守るために食べ物を躊躇なく残す、捨てる」というスキル(?)を身につけました。食べ物と道徳をやたらと結びつけたがる人からしたら私の行動は悪の所業でしかないんだけれども、やっぱり自分の体に無理させるくらいなら、食べ物は捨てた方がいい。もっとも、最初から食べる分だけ用意するのがベストですけど。

「お残しはダメ」っていう変な考えと共にどうも腑に落ちないのが、「好き嫌いはダメ」っていう考え方。これはなんか納得がいかないなぁ。息子が小学校に入った時も「お子さんの好き嫌いをできるだけ無くしてください」みたいなことを要求されました。いやいや、そんなバカなこと言わないでよ。なんで学校から好みまで強制(そして矯正)されなくちゃいかんのじゃい?いくら日本が全体主義的な国であろうと、個人の好き嫌いの自由くらいあろうて。学校の言わんとしていることはわかります。集団生活をするので、みんなが好き勝手にあれが食えないこれが食えないとやっていたら、学校給食が成立しませんからね。でも、その場合も、「子供の好き嫌いをなくす」ってのは方向違いだと思う。「嫌いなものでも食べろ」なら話はわかる。

私が子供だった頃もそうだったし、今もきっとそうなんでしょう。学校教育なんてろくな洗脳をしないです。殊に「好き嫌いはダメ」なんて最悪中の最悪だと思う。好き嫌いは、我の根幹に関わるところだから、むしろちゃんとそれを子供がわかるように大人が教えてあげないといけないと思う。好き嫌いがダメだということを間に受けて真面目に育った人間がどうなるか。嫌いなことがなくなると同時に好きなことまで消失してしまって、生きることの意味を感じられなくなってしまう。心が動かなくなってしまうと、それをもう一度動かすのには多大な労力と時間が必要です。こうならないためにも、自分の好き嫌いはちゃんと子供のころから大事にした方がいい。

と、つらつらと書きましたが、うちの息子に関しては、「文句言わず食え!」っていいたいな(笑)。