茹で蛙の盆踊り

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アラフォーサラリーマンが、まぬけな子育て話などをお届けします

書くこと

自分のメモ用のぼやきです。まったく取り留めのない話です。

この前から「とにかく英語で書く」ということをやっていて、やっぱり「書く」ことの効果はすごいなあと思いました。

大した英語なんて書けやしないんで、このブログよりさらにひどい駄文ですけれども(笑)。

思考的なこと、つまり抽象的なことを英語で書くのは難しいので、とりあえずぐーんとハードルを下げてみました。

自分の日常を描写してみるということです。要するに、日記ですね。日記というか、単なる記録かもしれんですけど。

日記というのは、「自分に関すること」なので、書こうと思ったらいくらでもかけます。

所詮人間自分のことにしか興味がないので、英語で自分に関して書くというのはいい方法だなぁと思います。

「いくらでも書ける」ということは、それだけ時間を費やせるということなので、これまで僕が挫折してきた勉強法より断然良かったなと思います。

いやいや単語を覚えるよりも、没頭しながらやった方が絶対にいいですよね。それが僕の場合は「書くこと」でしたね。もっと早くに気付いていればよかったなぁ。

書くことによって色々と気付かされます。

まず、自分の英語能力の低さ(笑)。これはしゃーない。しょうがないんですけど、心の中では、「もっと頑張れよ、自分」って思っちゃいますね。

簡単なことでも表現できないです。「言いたいことも言えない」反町隆史の気持ちがよくわかります。すみません、古いネタです。

表現が十分にできないので、産出された文章と自分が実際に思っていることが、結構乖離しているんですよねぇ。

「あー、これは俺が言いたいことじゃない」って。

ここで言葉の重要性を思い知らされますね。

人間、言葉でしか思考できないので、その言葉が制限されているとものすごく不自由です。これは英語に限らずですね。

特に、英語の場合は少ないボキャブラリーや文章表現で世界を切り取らなきゃいけないので、絶対に不正確になってしまいます。

日本語で何かを表現するときは、いつくかあたりをつけて言いたいことを表現して、なんか自分の言いたいことと違ったらまた表現を変えてどんどん自分の言いたいことに近づけていくことができますけど、これが第二言語だと難しい。

「デッサン法」っていうんですかね、この表現法の仕方は。これが外国語の場合はできないのでもどかしい。

言いたいことはあっても、表現の幅が狭すぎて、自分の言いたいことと能力がまったく一致しない。

ひどいときなんて、うまくもない飯の評価をするのに "Good!" なんて言わなきゃいけなかったりしますね(笑)。

言葉、特に第二言語を使おうとすると、いかに言語というものが世界を切り取ってしまうか (制限してしまうか) というのがよくわかりますね。

言語はまさに認知そのものですね。

英語でだらだらモノを書こうとしたときに、「言いたいことが書けない」という話をしましたが、これは自分の表現のストックが貧困であるということ以外に、「そもそもそういう表現を英語でしない」ということも原因として挙げられますね。

「英語」という言語を選んだ瞬間に、その構造のなかでしか表現ができないため、英語という言語がもっているものの見方でしか世界を切り取ることができなくなってしまう。

英語と日本語ではその言語間距離があまりにもかけ離れているために、「日本語でいいたいこと」がごっそりバサッと切り捨てられてしまう。だからもどかしいんですよね。

 

なんか話がそれてしまいました。「英語で書く」ということをやってみて気づいたこと。それは、アウトプットありきでインプットを考えるように変わってきたことです。

これはいい変化だなぁと思いました。

これまでは、英単語とか構文とか、いつ使うのかわからないものをとりあえず詰め込んでいくような感じでしたけど、これでは全く楽しくありません。

自分が言いたいことがあって、そこから逆算してインプットしていくのは、ちゃんとインプットの使い道があるのでやっていて楽しいですね。

よく、第二言語習得で言われるのは「大量インプットと少量アウトプット」ですけど、僕は個人的にアウトプットを前提としてやった方がいいなと思いました。

もちろん、「大量インプット」が必要なのは間違いありません。苦も無くそれができる人ならいいんですけど、僕にはそれができなかった(笑)。

僕の場合は、大量インプットが「苦しい」し、「楽しくない」し、「続かない」というデメリットばかりだったので有効に作用しなかったですね。

英語以外もそうですけど、結局「いかに楽しめて長時間打ち込めるか」という点が一番重要なので、そこさえクリアできてばあとはやり方なんてどうにでもなるんじゃないかなぁ。

とりあえずアウトプットしてみて、足りないところをその都度インプットしていく方略は、とりあえず僕に合っている学習法ですね。

正直、TOEICの勉強なんてクソつまらんですしね(笑)。TOEIC の勉強に時間を費やすなら、自分の駄英文作成に時間を費やすべきだったなと反省です。

 

「取り留めのない話」と予防線を張っておりましたけど、まさか本当にこんなに取り留めのない話を書いてしまうとは・・・失礼いたしました。